ヒルサイドの絞殺魔アンジェロ・ブォーノ ― 12歳を強姦、洗濯洗剤注射拷問…、最恐に後味が悪い連続殺人事件の顛末!

 連続殺人鬼は単独で犯行を行うことが多いとされるが、稀にコンビを組む者もいる。70年代にカリフォルニア州で、10人以上の若き女性たちを次々と拉致し、強姦、拷問、殺害して、全裸のまま遺体を人目につく場所に捨てた「ヒルサイド・ストラングラー」連続強姦殺人事件も、従兄弟による犯行だった。

『コピーキャット』『ヒルサイド・ストラングラー 丘の上の絞殺魔』というタイトルで映画化までされたこの連続強姦殺人事件は、この上なく後味の悪い事件になったことでも知られている。残虐非道な「ヒルサイド・ストラングラー」こと、アンジェロ・ブォーノとケネス・ビアンキとは、一体どのような人間だったのだろうか。


■アンジェロ・ブォーノ、生粋のワル。しかし最強にモテる男

 アンジェロ・ブォーノは1934年10月5日、ニューヨーク州ロチェスターに誕生。5歳の時に両親が離婚し、妹と共に母親に引き取られ、カリフォルニア州グレンデールに引っ越した。成績は悪く14歳で友人相手に「アナルセックスをした」「少女を強姦した」とほらを吹いたり、強盗強姦魔として有名な死刑囚キャリル・チェスマンのことを「オレのヒーロー」だと言うようになる。キャリルについては「強姦だけじゃなく全員殺すべきだった」とも言い、女性をとことん卑下。母親を「あばずれ」「マンコ」と罵倒するようになった。

ヒルサイドの絞殺魔 ― 12歳を強姦、洗濯洗剤注射拷問…、最恐に後味が悪い連続殺人事件の顛末!の画像2アンジェロ「YouTube」より

 16歳で学校を中退したアンジェロは窃盗罪で数回逮捕され、少年院に送られたが脱走。17歳の時に、捕まえられ再度少年院に入所した。退所した後、21歳で高校の後輩を妊娠させ結婚したが、1週間も経たないうちに家出。1956年1月に長男が生まれたという連絡を受けたときも「オレをパパと呼ばせるなよ」と言い、養育費支払いを拒否した上で、さっさと離婚手続きをした。ちなみに、長男誕生時、アンジェロは車両盗難の罪で刑務所に入っており、父親の自覚などこれっぽっちもなかった。同年、交際していたメアリー・カスティージョも男児を出産しているが、こちらはアンジェロにとって次男になるものの、アンジェロ・アンソニー・ブォーノIIIと命名し、自分の名前を継がせた。そして、翌年1957年4月にメアリーと結婚。同年第三子にあたる男児、翌年第四子にあたる男児、1960年に第五子にあたる男児が生まれ、1962年に生まれた第六子目でやっと女児に恵まれた。

 28歳で6人の子持ち(うち1人は育児拒否)となったアンジェロだったが、父親の自覚などなく、長女が生まれた年に再び警察に捕まり5日間刑務所に入っている。1964年にも、こそ泥で逮捕され短期間服役。また公になっていないが同じ頃、2歳になったばかりの長女を強姦したとも伝えられている。この年、メアリーは離婚を申請。理由は「暴力的で酷い性交渉を強いられること、日常的なDV、モラハラ」。子供たちが見ていても平気で強姦さながらにセックスしたり暴力を振うアンジェロに耐えられなくなったのだった。


■過激化する暴力的な性交渉 2歳の娘にまで…

 メアリーいわく、アンジェロの「暴行的で酷い性交渉」は結婚当初から行われており、手首足首をベッドの4つ角に縛り、殺されるかと思うほど激しいアナルセックスをされたとのこと。アンジェロは性交渉中にメアリーが痛がったり、恐怖心を見せることを好み、自分の指示通りの行為をしないときには容赦なく暴力を振るった。また、アンジェロは母親を傷つける姿を、子供たちに見せびらかすこともした。その上、たった2歳の娘にまで性的な暴行を加えるようになり、メアリーは耐えられなくなってしまったのだった。

 離婚後、メアリーは養育費もとれず生活保護に頼り5人の幼い子供たちを育てようと必死になったが、心が折れてしまい、すぐに復縁できないかとアンジェロにすがりついた。しかし、アンジェロは彼女に手錠をかけ、腹部に拳銃をあて、オレにつきまとうと殺すぞ!と脅し彼女をつき放した。

 1965年、31歳になったアンジェロは25歳になる2児のシングルマザー、ナネット・カンピーニャと知り合い、彼女の家に転がり込んで同棲を開始。ナネットは1967年にアンジェロにとって第七子にあたる男児を出産したが、アンジェロは車両盗難をやめず、この年にも逮捕され禁錮1年の刑に処された。しかし、裁判官は沢山の子持ちであることを考慮し、養育費を払うために仕事をしなければならないからと禁錮刑を取り消した。アンジェロは養育費など払っていなかったが、払っているふりをし続け同情を得たのだった。ずるい手を使い、自由の身になったアンジェロはナネットの元に戻り、メアリーにしていたように性的暴行、DV、モラハラ三昧の日々を送るが、「オレから離れたらぶっ殺す」と脅されていたナネットは彼に従い続けた。1969年には第八子にあたる男児が誕生するが、アンジェロは父親らしいことは一切せず、ナネットの連れ子の娘が14歳になった1971年に、「そろそろ貫通しなきゃな」と強姦。毎日のように性的暴行を加えるようになり、さすがのナネットも殺されることを覚悟しながら子供たちを連れて彼の元を去った。

■「イタリアン種馬」は暴れ続ける

 1972年、アンジェロはふとした出来心で出会ったばかりのデボラ・テイラーと結婚するが、2人は一緒に住むことはなく、別のアパートでルームメイトとの共同生活を送った。そのルームメイトはアンジェロが双眼鏡で女子児童を見ながら自慰行為をする姿を何度も目撃している。このルームメイトはアンジェロから、幼い息子とアナルセックスをしたことや、息子と娘に性行為をさせて一部始終を見物したことを自慢気に告白したとも証言している。

 1975年、手先が器用なアンジェロはツテを使い高級自動車の内装を手がける工場を構えた。誰も雇わず一人で仕事を請け負っていたアンジェロは工場に住むようになり、仕事の合間に女性を連れ込んではオラルセックスを楽しんだり、十代になった息子たちと遊んだり、息子たちのガールフレンドをそそのかしてセックスをしたりした。アンジェロは自分のことを「精力絶倫の種馬」「イタリアン種馬」だと言っていたが、そう彼が調子に乗るのも仕方ないほど女性にもてた。とうとう十代の少女たちとも付き合うようになり、本命の少女は2度妊娠。最初は中絶、2度目は流産という結果に終わったが、その後もしばらく少女はアンジェロに尽くし続けた。人間として最低な男だったアンジェロだが、この時はまだ殺しはしていない。しかし、この1975年に17歳年下の従兄弟ケネス・ビアンキが彼を頼り移り住んだことで、凶悪強盗殺人鬼へと変貌する。


■ケネス・ビアンキの生い立ち 平気で嘘をつく子

ヒルサイドの絞殺魔 ― 12歳を強姦、洗濯洗剤注射拷問…、最恐に後味が悪い連続殺人事件の顛末!の画像3ケネス「YouTube」より

 アンジェロと従兄弟のケネスには血縁関係はない。1951年5月22日にニューヨーク州ロチェスターで生まれたケネスの母親は17歳のアルコール依存症の娼婦で、出産後すぐに彼を養子に出した。生後3カ月の時に、子供に恵まれなかったアンジェロの母の姉夫婦と養子縁組。養母から「ウソをつく子」「とんでもない子」だと心配されながら育った。5歳の時から妄想癖があり、白目をむきながらブツブツ言うこともあったため、養母は心配し病院を訪ねたが、「小児欠神てんかんだから成長すれば治る」と診断。ジャングルジムから落ちて顔に大怪我を負うなど、どこか抜けている少年だったケネスを養母は不憫に思い溺愛した。夜尿症や尿滴下持ちだった彼に自分の生理用ナプキンを当てさせるほどで、医師はカルテに「母親にも問題あり」と記した。ケネスは8歳のときに精神病の治療も受けており、情緒不安定な少年時代を過ごしたのだ。

 ドン臭いケネスだったがIQは116もあった。しかし養母は「息子は集中力がなく怠け者で短気」だと言い、学校生活に馴染めないとして小学生を2度も転校させられた。厳格なカトリック系の小学校に通わされ養母に振り回されていたケネスだが、12歳の時に自分は幼い女子が好きだと確信。6歳の女子のパンツをおろしては喜ぶようになった。しかしその反面、13歳の年に養父が急死したときは悲しまず、周囲は感情を上手く表現できない少年だと見るようになった。ケネスはその後通わされた公立校では目立つことなくそつなく過ごした。高校時代は同年代の少女たちとデートをし、周囲からは真面目な青年だと見られていたが、ウソは平気でついていた。


■最悪の出会い:アンジェロとの再会

 19歳で地元のカレッジに進学し、憧れの警察官を目指し、20歳のときに同年代の女性と結婚するが、ウソつきな性格に愛想をつかされ、たったの8カ月で離婚。その後、間もなくして警察官になる試験を受けるが落ちてしまい、しぶしぶ警備員の職につく。しかし、警備に行く先々でウソをついては盗みをはたらくようになり、地元に居られなくなってしまう。こうしてピンチに追い込まれたケネスは25歳のとき、従兄弟のアンジェロを頼りロサンゼルスに飛んだのだった。

 自分の息子と年齢の近いケネスが自分を頼って来てくれたことにアンジェロは気をよくし、十代の少女たちをあてがえセックスの快楽を教えた。偽の警察バッジをちらつかせれば、少女たちはイチコロだと自慢した。息子の彼女とセックスするように仕向けたりもした。そうこうしているうちに、特別に気に入った女性ができたケネスは、彼女にウソをつきまくり、恋人関係になるなど、ロサンゼルスでの新生活は楽しいスタートをきった。

 しかし、妊娠した彼女にプロポーズしたものの、「赤ん坊は産むけど、あなたこのことは信用できないから結婚しない」と断られてしまった。落ち込むケネスにアンジェロは、「もっと気楽にいこう」「沢山の女の子とセックスすれば楽しくなる」とそそのかした。ケネスはそんなアンジェロを、尊敬の目で見るようになり、人生のマスターだと見習うようになった。そしてとうとう2人は殺人を犯すようになる。

■まずは、若い娼婦がターゲットに 最初の殺人

 1977年9月、金欠だったアンジェロとケネスは若い女の子たちを集めて売春させ、自分たちは金儲けをしようと計画。ケネスの「好青年っぽい雰囲気」を使い、自分たちの言いなりになる娼婦を捕まえ、アンジェロの「コネ」を使い売春常連の上客リストを手に入れて、効率よく金を稼ごうと企てた。2人はすぐに10代の家出少女2人を捕獲し、セックスをして金を稼ぐよう調教。少しでも抵抗したら殴る蹴るの暴行を加えた。アンジェロは得意のモラハラでも彼女たちを精神的に参らせ、支配下に置いた。しかし、少女の一人が偶然弁護士を客にとったことで、その客に相談してエスケープに成功。もう一人の少女も逃げ出してしまった。アンジェロは激怒したが、少女を逃した弁護士には脅迫をし、自分たちがやっていることを口外しないようにと釘を刺すことは忘れなかった。

ヒルサイドの絞殺魔 ― 12歳を強姦、洗濯洗剤注射拷問…、最恐に後味が悪い連続殺人事件の顛末!の画像4犠牲者:ヨランダ。「murderpedia」より

 アンジェロとケネスは次の娼婦を見つけるため町を徘徊。目をつけた美女が大俳優ピーター・ローレの娘キャサリンだと知り、あわてて逃がしたこともあった。一方で、アンジェラはデボラ・ノーブルという娼婦から顧客リストを購入。しかし、リストはデタラメで、金を騙し取られたと2人は大激怒。10月17日、リストを彼らに届けたデボラの友人でハリウッドで身体を売っていた19歳の娼婦ヨランダ・ワシントンを誘い出し、ケネスの車の後部座席で強姦した後首を絞めて殺した。彼女の遺体はハリウッドのスターも眠るフォレスト・ローン墓地に捨てたため、翌日すぐに発見された。

 復讐のためにヨランダを殺した2人だったが、強姦して殺すことで得られる究極の支配力と優越感に強い快感を覚えてしまい、10月31日に二度目の強姦殺人を決行。15歳の家出娘で売春をしていたジュディス・ミラーに声をかけて拉致した上で、手首足首を縛り繰り返し強姦し絞殺した。この遺体も名門校が多く立ち並び、人通りの多いラクレセンタに捨てたため、翌日にすぐ発見された。


■次々と殺されていく女性たち 12歳少女も…


 今までにない快楽に夢中になった2人は、11月5日、娼婦ではなく好みの女性をやろうと決意。21歳のウェイトレスでバレリーナになろうと練習に励むような真面目な娘、エリサ・カスティンを拉致した。そして、すでに殺した2人の娼婦同様、激しく強姦しアナルセックスも繰り返しした上で首を絞めて殺し、全裸の状態で捨てた。エリサの遺体は人気ゴルフクラブであるチェビー・チェイス・カントリー・クラブのすぐ近くに捨てられたため、翌日に発見された。

ヒルサイドの絞殺魔 ― 12歳を強姦、洗濯洗剤注射拷問…、最恐に後味が悪い連続殺人事件の顛末!の画像5犠牲者、ソーニャ「murderpedia」より


 11月9日、2人は駆け出しの女優だった28歳のジェーン・キングを拉致し、強姦した上で絞殺。遺体は車の行きかう高速道路、ゴールデン・ステート・フリーウェイ付近に捨てたが、11月23日に腐乱死体として発見されるまで誰の目にもとまらなかった。11月13日、2人は大胆にも少女2人を拉致する。12歳のドロレス・セペダと14歳のソーニャ・ジョンソンで、スクールバスから降りてきたところを声をかけ車に乗せ、繰り返し強姦しまくった挙句に首を絞め殺した。2人の遺体はドジャー・スタジアムの近くに全裸のまま捨て、9歳の少年により同月20日に発見された。

■長時間に及ぶ拷問を加えて殺害するように

ヒルサイドの絞殺魔 ― 12歳を強姦、洗濯洗剤注射拷問…、最恐に後味が悪い連続殺人事件の顛末!の画像6犠牲者、クリスティン「murderpedia」より

 少女たちの遺体が発見されたこの日の夕方、グレンデールをハイキングしていた人たちが全裸の女性の遺体を発見した。被害者の名はクリスティン・ウェックラーという20歳の学生で、アンジェロとケネスの7人目の犠牲者だった。激しく強姦された上に殺害されたクリスティンは、これまでの被害者とは異なり、拷問された痕が残っていた。腕には無数の注射痕があり、司法解剖の結果、強力な洗濯洗剤を大量に打たれていたことが判明。しかし、死因は窒息死でありクリスティンは長時間もだえ苦しみながら死んでいったことが明らかになった。

 11月28日、2人は18歳の学生ローレン・ワグナーを拉致し、強姦するだけでなく手から電流を通すなどの拷問を加え首を絞めて殺害。人目のつくところに全裸のまま捨て、遺体は翌日に発見された。遺体の一部は電気をながされたせいで焼けているという酷いものだった。ローレンの遺体を見て捜査をしていたロサンゼルス市警は、「この連続強姦殺人事件の犯人は一人ではなく、二人だ」と確信。メディアは、次々と発見される若き女性たちの遺体が、ロサンゼルスを見下ろすグレンデール・ハイランドパーク付近の丘陸地帯に「見つけてください」と言わんばかりに放置されていることから、「ヒルサイド・ストラングラー」の事件として大々的に報道した。

 警察の必死の捜査やメディアの連日の報道をあざわらうかのように、アンジェロとケネスは犯行を続けた。2人は足がつきにくいと思ったのか、ターゲットを娼婦に戻し、9人目の犠牲者として17歳の売春婦キンバリー・マーティンを拉致、強姦。彼女の全体遺体は12月13日、ヒルサイドで発見された。その後、2人は大人しくしていたが、1978年1月に母親を亡くしたアンジェロが精神的に不安定になり、再び女を強姦して殺したいと切望。10人目の犠牲者となった20歳の女子大生シンディ・ハズペスは、2月16日に全裸でエンジェルス・クレスト・ハイウェイ側の崖から投げ捨てられた状態で発見された。


■コンビを解消し、改心したかに思われたケネスだったが…

ヒルサイドの絞殺魔 ― 12歳を強姦、洗濯洗剤注射拷問…、最恐に後味が悪い連続殺人事件の顛末!の画像7ケネス「YouTube」より

 全米を震撼させた「ヒルサイド・ストラングラー」のアンジェロとケネスだったが、あっけなくコンビを解消した。10人目の犠牲者を殺害した1週間後に、ケネスと交際していた彼女が出産したのだ。彼女は実家があるワシントン州に戻り子供を産み、彼女に未練があったケネスは家族になりたいとワシントンへ移住。警備員としての職を得た後、同州ワットコム郡警察が予備警察官を募集しているのを知り応募。見事通り、長年憧れていた警察官に一歩近づいたと大喜びし、彼女もケネスの努力を認めてくれた。

 しかし、ケネスはウソつきで盗難癖があり、おまけにアンジェロと10人もの女性を強姦殺害してきたとんでもない男。拷問を加えられ苦しむ被害者の姿を見て、脳天が痺れるような快感を覚えてしまっていた。そんな彼がいまさら真面目な人生など歩めずはずなどなかった。1979年1月12日、ケネスはウエスタン・ワシントン大学に通う22歳のカレン・マンディックと27歳のダイアン・ワイルダーに、1万円あげるから警備している邸宅の留守番をして欲しいとバイト話を持ちかけ、邸宅の地下室で強姦、拷問、絞殺。遺体は車に乗せ、その車は林の中に放置した。

 アンジェロなしで、1人きりで行った犯行だったからか、ケネスは現場に遺留品を残してしまった。彼女たちに声をかけるところもばっちりと目撃されていた。警察はすぐに遺体が乗せられた車を発見し、それがケネスが運転していたものだと特定。家宅捜査したところ、キンバリー・マーティンとヨランダ・ワシントンが身につけていたジュエリーが発見されたため、「ヒルサイド・ストラングラー」の一人と断定。ケネスは逮捕された。

アンジェロはケネスがいなくなった後、単独では殺人事件を起こすことなく大人しくしていたが、1979年10月22日、ケネスが「アンジェロと一緒に強姦殺人した」と自供したため「ヒルサイド・ストラングラー」の片割れとして逮捕された。

■逮捕後も悪あがきを続けるケネス 謎の女ヴェロニカの登場

多くの連続殺人鬼は思う存分やりたいことをやったからか、逮捕後は堂々と自分の犯行を認めることが多い。捜査官に自慢気に殺したことを語る犯人も少なくない。しかし、天性のウソつきであるケネスは往生際が悪かった。裁判では、「自分にはもう一人の人格がある。スティーヴ・ウォーカーという男で、そいつの犯行だ」だと言い、責任無能力がないと主張。自分で選んだ精神科医の「解離性同一性障害(多重人格障害)」の診断を手に声を荒げた。しかし、検察が選んだ精神科医が「解離性同一性障害者は2人以上の人格を持つんだよ」と告げると、ケネスは「あ~そうそう。ビリーという奴もいるよ」としどろもどろに言い、ウソだとばれた。最終的に「反社会性パーソナリティ障害」と「サディズム」であると診断され責任能力ありと判断された。

ヒルサイドの絞殺魔 ― 12歳を強姦、洗濯洗剤注射拷問…、最恐に後味が悪い連続殺人事件の顛末!の画像8ヴェロニカ「criminalminds.wikia」より

 しかし、ケネスはあがき続けた。連続殺人鬼が大好きで刑務所に入っている彼らに熱烈アプローチレターを送りまくっていた「連続殺人鬼グルーピー」ことヴェロニカ・コンプトンから、ケネスは「女性が連続殺人鬼になることをどう思う?」というラブレターを受け取ったことで、彼女を利用しようと計画。「自分に面会しに来て欲しい。その時にビニール手袋に入れたボクの精液をこっそり渡すから、それを持ってワシントンへ行き、若い女性を殺して欲しい。遺体にはボクの精液をつけてくれ。こうすれば捜査は混乱するし、ボクははめられただけ、真犯人はまだ自由の身なのだと思わせることができる」と提案した。ヴェロニカは彼の言葉通りに行動するが、最後の最後で殺すことができず、1980年10月3日に逮捕された。そして裁判では重罪として裁かれ、少なくとも1993年まで服役するよう言い渡された。

 ヴェロニカとの計画が失敗に終わったことを知ったケネスは、彼女が逮捕された翌日、「世界のみなさまへ」というタイトルの手紙を書き公開。それはアンジェロこそが真犯人で自分は無関係だというものだった。アンジェロはこのケネスのバカげた悪あがきを黙ってやり過ごすのが賢いと思ったのか、何も言わずにいた。おかげで裁判は延びに延びた。最終的に判決が出たのは、1983年10月と11月。ケネスとアンジェロは、それぞれ強姦殺人罪で有罪となり、終身刑を言い渡された。


■刑務所内で略奪再婚したアンジェロ

 刑務所の中でもアンジェロの無類の女ったらしは廃れることなく、隣の独房に入っていた囚人の妻が面会に来るたびに遠くから目でモーションをかけ、ノックアウトされた彼女は夫と離婚し1986年にアンジェロと再婚。アンジェロの犯罪内容が強姦、殺人で、かつDV、モラハラ常習者であったことから、2人きりで会うことは許されなかったが、女性は幸せだったと回想している。

 ケネスは刑務所に入ってからも世間に反発し続けた。1992年には自分の顔が犯罪者トランプに使われたのは著作権に反するとして8億円を超える慰謝料を払うよう求める裁判を起こした。ケネスは、「自分の顔はトレードマークで、このトレードマークを利用して犯罪を行った」と主張したが、認められるわけはなく、訴えは却下された。

 アンジェロは2002年9月21日、心臓発作を起こし独房で一人きりで死んだ。享年67歳。ケネスは2010年に仮釈放を申請したが却下され、次は2025年の74歳のときに仮釈放を申請できることになっているが、認められる可能性は低いだろうと見られている。さらに、ケネスには余罪があると見られており、「アルファベット殺人事件」と呼ばれている3人が殺された連続殺人事件も彼の仕業ではないかという説もある。もしそうだとしたら、ケネスはアンジェロとタッグを組む前から人を殺していたことになるが、ケネス逮捕へと繋がった単独犯行が雑過ぎたため、「アルファベット殺人事件」はケネス以外の真犯人がいるという見方も強い。

 なお、ケネスの指示に従おうとしたヴェロニカだが、2003年に刑を終えて釈放された。今、彼女はどこで何をしているのかは不明である。

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