神戸女児遺棄事件と類似 ― シンガポール犯罪史上最も後味が悪い「黄娜殺人事件」の悲劇とは?

 今月11日から行方不明になっていた神戸市長田区の小学1年生女児(6)が23日、自宅近所の雑木林でバラバラ遺体で発見。人懐っこくて愛らしく、大きな日傘を差して外を歩くのが大好きだったという少女だった。

 何重にも重ねられたポリ袋に入れられていた切断遺体が発見された翌24日には、付近に住む男(47)が死体遺棄容疑で逮捕されたが、経緯を追及する警察に対して黙秘し続けているとのこと。動機など、事件の真相解明にはまだまだ時間がかかりそうである。

 今から10年前の2004年10月。治安がよいことで知られるシンガポールで、今回の事件と類似した事件が発生した。シンガポールの犯罪史上、最も後味の悪い事件として伝えられている「黄娜殺人事件」である。


■黄娜ちゃんの生い立ち

神戸女児遺棄事件と類似 ― シンガポール犯罪史上最も後味が悪い「黄娜殺人事件」の悲劇とは?の画像2黄娜ちゃん「Wikipedia」より

 黄娜(Huang Na)の母・黄淑英(Huang Shuying)と父・鄭文海(Zheng Wenha)は中国福建省ホ田市出身で共に1973年生まれ。1995年に出会い、その後間もなくして黄娜を妊娠し、2人はいわゆるデキ婚をした。

 翌年、両親はよりよい暮らしを求めてシンガポールに行き、不法滞在しながらパシル・パンジャン卸売市場で働き始めた。しかし、夫婦仲は悪く、父親の鄭文海が浮気をしたことが原因で2人は離婚。黄娜の親権は母親である黄淑英が取得し、彼女はその後知り合った福建省出身の実業家と再婚。2003年には2人の赤ん坊が誕生した。

 2003年5月、黄淑英は子連れの母親を対象とした学生ビザを取得し、シンガポールでの合法滞在を開始。職場であるパシル・パンジャン卸売市場に住み、黄娜は近くの小学校に通った。黄娜は人懐っこく、年齢関係なく誰とでも友達になれるような明るい子だったとのこと。活発な子でもあり、市場を遊び場として、遅くまで家に戻らないという若干放置子的ともいえる生活を送っていた。

 そんな黄娜が2004年10月10日、パシル・パンジャン卸売市場近くのフードコートで目撃されたのを最後に行方不明になった。最後に目撃された時の格好は、ひざ上までの半ズボンにブルーデニムのジャケット、そして裸足だった。そのため、遠くに行ったとは考えられず「誘拐されたのではないか?」と懸念された。

 事件当日、黄淑英は中国に一時帰国中で、同居している友人に黄娜の世話を頼んでいたが、友人にも仕事があったため、黄娜は家には帰らず、いつものように市場をうろうろしていたのである。


■容疑者は黄娜ちゃんの遊び相手の男

 黄娜が行方不明になり、黄淑英はすぐにシンガポールに戻り、朝昼晩、娘を探した。警察だけでなく大勢のボランティアも、黄娜探しに協力した。警察は有力な情報提供者には1万シンガポールドル(約86万円)の懸賞金を支払うとし、隣接国であるマレーシアにも捜査協力を要請。国をあげて8歳の愛らしい黄娜の行方を追った。

 10月19日と20日。警察は黄娜が行方不明になった日、パシル・パンジャン卸売市場で彼女と遊んでいるところを目撃されたトゥック・レン・ハオという男から事情聴取した。トゥックは1981年生まれのマレーシア人。18歳の時によい賃金の職を求めてシンガポールに向かい、パシル・パンジャン卸売市場で野菜を梱包する仕事に就いていた。黄娜とは顔なじみで、遊び相手をしてあげることも多く、お腹をすかせた黄娜に軽食を買ってあげたり、バイクに乗せてあげたりすることもあったという。

 トゥックは警察に対して、「3人の中国系の男たちが黄娜を連れ去るのを見た」と証言。警察は「念のため、署でポリグラフ検査(科学的な虚偽検出)を受けて欲しい」と要請し、トゥックも了解したが途中で逃げ出した。もともとトゥックを怪しいと睨んでいた警察は血眼になって捜索をし、これ以上逃げられないと観念したトゥックは10月30日、警察に出頭。パシル・パンジャン卸売市場で、いつものように黄娜とかくれんぼをしていた際、誤って彼女を絞め殺してしまったと自白した。


■警察も憎悪した、トゥックの自白内容

 トゥックは警察に対して、「いつものように物置部屋でかくれんぼをした。黄娜の足首を縛り、部屋の電気を消して外に出て、彼女が隠れるのを待った。しばらくしたら大きな音がした。驚いて電気をつけると、黄娜が床に倒れていた。口の右端から血が流れ、目はカッと見開き、大量におもらしをしていて……。ビックリしてしまい頭が真っ白になり、どうしたらよいのか分からなくなってしまった。痙攣している彼女を眺めているうちに、『首を手でチョップすると意識が戻ることがある』というのをテレビで見たことを思い出し、黄娜の首を繰り返しチョップしたが、さらに多くの血を吐き出してしまい、パニックになり両手で首を強く絞めてしまった」と述べ、暗闇の中で黄娜が転んで頭を殴打し、痙攣を起こしたので彼なりに助けようとしたのだと説明。

 首を繰り返しチョップしたのも強く絞めたのも彼女を助けるためという、とても信じられないような言い訳に憤りを感じていた警察官は、続けてトゥックが発した言葉に、吐きそうになったという。

「黄娜が突然しゃっくりを始めたので、止めようと彼女の首を3回足で踏みつけた。黄娜の目は開いたままで顔の色が灰色に変わってきたので怖くなり、彼女が着ていたジャケットを脱がせて顔にかけた。足首を縛っていたのでパンツを剥ぎ取ることはできなかったけれど、自分の右手を(パンツの)中に入れて中指を彼女の中に入れた。肛門だったか、膣だったかは分からないけど……、肛門だったと思う。なんで入れたのかはわからない。しばらくして指を抜いて、夢を見るような感じでその指を見つめた。その後、黄娜を見ると下半身からも血が出ており、びっくりしてしまった」

 警察は、トゥックの自供内容は、罪が軽くなるように作った話だと確信。司法解剖と現場検証の結果、トゥックが市場の物置部屋で黄娜を全裸にさせた上で性的暴行を加え、口封じのために首を絞めたり、叩いたり踏みつけたりしながら殺害したと断定した。

 黄娜の遺体だが、トゥックの自供通り、テロック・ブランガー・ヒル・パークの雑木林の中に捨てられるのを発見された。身長わずか120cmの遺体は足を抱え込むような形で9枚に重ねたポリ袋の中に入れられ、さらに段ボール箱に入れられガムテープでグルグル巻きにした状態で遺棄されていた。赤道直下のシンガポールは1年を通して気温が高いため、遺体の腐敗は酷く進み、溶けてしまっていたと発表された。


■娘の死後、豪邸を購入した両親

 トゥックの裁判は2005年7月11日に開始され、弁護士は被告が統合失調症を患っており、事件当時、心神喪失だったと主張。しかし、裁判官は「精神病歴の記録はなく、黄娜殺害、遺体遺棄は計算した上で行った。被告は冷酷な殺人鬼だ」として、8月27日に死刑を言い渡した。

 トゥックの死刑は2006年11月3日に執行された。彼には24歳になるインドネシア人妻と3歳になる息子がおり、最後の別れの時間を与えられた後、絞首刑が執行されたと伝えられている。逮捕後からトゥックの精神状態は非常に不安定で、裁判でも証言台に立てないほどだったため、死刑にすべきではないという声も多く上がっていたが、認められなかった。

神戸女児遺棄事件と類似 ― シンガポール犯罪史上最も後味が悪い「黄娜殺人事件」の悲劇とは?の画像3画像は、豪邸の購入を伝えた記事より「asiaone

 黄娜の葬儀だが、シンガポールの葬儀サービスの好意により大々的な葬儀が無料で執り行われた。8歳で命を奪われた、黄娜の死を悼む何千人もの人が弔問に訪れ、黄娜のためにと服やおもちゃ、大好きだったというハローキティのプレゼントなどが大量に贈られた。また、金持ちの華僑たちから多額の香典も集まった。その後、黄娜には生命保険がかけられていたことも明らかになり、母親の黄淑英と継父の鄭文海は娘が死んだことで、信じられないほどの大金を手に入れたと報じられた。

 それだけでなく、黄淑英はもともとシンガポールに不法滞在していたこと、鄭文海は窃盗罪で2年半服役していたことも暴かれ、「黄娜は、不幸な人生を歩んできた」「何のために生きてきたのか」と伝えられるように。黄淑英と鄭文海は、連日のメディアの取材攻撃に耐えられなくなり、トゥックの裁判が始まる前の2004年11月29日、逃げるように中国に帰国した。

 事件から5年後の2009年。シンガポールのメディアが、黄淑英と鄭文海が大豪邸を建てたと写真つきでスクープした。8歳で我が子を殺され、ある意味彼らも被害者だといえるのだが、そんなことはおかまいなしで、メディアは2人が黄娜の死により手に入れた大金でよい暮らしをしていること、「黄娜の死で得た豪邸」だと批難した。黄淑英と鄭文海は、香典の一部を寄付したと発表したが、香典の合計額やどこの団体にいくら寄付したかは明かしていないため、今なお胡散臭い目で見続けられているという。

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