絶対に忘れてはいけない子殺し事件3! ノンフィクションライターが選出!!

親が子どもを殺す。これほど痛ましいことはない。子殺しの事件は、今年に入ってからだけでも5件以上が起きている。だが、ろくに報道されることもなく、すぐに忘れ去られてしまう。
「いたずらを注意したが聞かなかったから」
「言うことを聞かず、泣きやまなかったのでやった」
「イライラして払いのけた」
これは、加害者となった親たちの言葉。たったこれだけの理由で、殴ったり首を絞めたりして命を奪ってしまう。橋の上から、子どもを川に落とした母親もいた。
「食べ物の好き嫌いが激しかったから死んだのではないか」
食事を与えずに、3歳の娘を餓死させた19歳の母親は、そう弁明した。もちろん子育ての大変さは、経験した者でなければわからないだろう。育児に疲れ果てて、子どもとともに無理心中を遂げた例も少なくない。
親が子を殺める現場に、派手さはない。周囲の遺族も早く忘れたいと願う。そんなことから、報道も先細りになっていくのだろう。無残な死を遂げる子どもを1人でも減らすためにも、これから紹介する子殺しの事件に目を通して頂けたらと思う。
【1、目黒5才児窒息ゴミ袋殺害】
東京・目黒の高級住宅街、碑文谷。中でもひときわ目立つ3階建ての豪邸には、白いイタリア製の高級車が停まっていた。近所でも有名な豪邸には、夫婦と母親、13歳、3人の男の子と長女との7人が暮らしていた。
事件が起きたのは平成24年9月2日。正午頃、夫が異変に気づいた。2階のリビングで、三男の滉史くん(5歳)が、頭と足から2枚のゴミ袋をかぶせられているのを発見したのだ。袋は粘着テープでつなぎ合わされており、滉史くんは窒息状態でぐったりしていた。すぐに病院に搬送されたが、3日後、低酸素脳症で死亡した。
発端は事件前日の1日夜。子どもたちが遊んだおもちゃを片づけないことを、母親の重田史都(しづ、当時41歳)が叱り、ニンテンドーDSを取り上げてゴミ袋に捨てた。そして、かねてから睡眠障害に悩まされていた史都は、睡眠剤1錠と焼酎の水割りを1杯飲んで眠りについた。朝までに2度、目が覚めると、そのつど睡眠剤を服用した。
翌2日の午前11時ごろ、史都が目を覚ますと「おかあ、DS」と言って滉史くんがすがってきた。長男と次男は手のかからない子どもだったが、滉史くんは活発でやんちゃ、聞き分けのないところも目立った。かねてから、史都はしつけに悩んでいたのだ。
「息をするのと、DSやるの、どっちがいい?」
史都は滉史くんに聞く。すると、滉史くんは答えた。
「DSするほうがいい」
息を吸うことが大切であるということを伝えたい。そう考えた史都は、滉史くんの手足をビニールひもで縛ったうえ、目や口に粘着テープを貼った。その上に、ごみ袋を、頭からと足から、2枚かぶせて、粘着テープでつなぎあわせた。
そうすると史都は、再び睡眠薬の効果で眠り込んでしまったのだ。ぐったりした滉史くんを発見した夫の通報で、救急車とともに警察もやってきて史都は逮捕された。
長野県で生まれ育った史都は、県で一、二を争う名門高校へと進学。東京大学を目指すが不合格に終わる。有名私立大学には合格していたが、「それじゃあ意味がない」と専門学校に進学していた。
夫は、飲食店や宅配弁当を手がけ、年商70億円に迫る会社の経営者。史都も子育てしながら、家で経理を手伝っていた。平成25年10月3日、東京地裁での裁判員裁判で、史都への判決公判があった。田辺三保子裁判長は「犯行は非常に悪質」と指摘しつつ、夫の会社の仕事と並行し、家事と4人の育児を独りで担うなかで、夫がうつ病を発症し、体も心も追い詰められていたと配慮を示し、懲役3年保護観察付き執行猶予5年(求刑懲役4年)の判決を言い渡した。
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