【近未来、人類滅亡】聖書にハッキリ書かれていた! 地球の滅亡原因とは?

 今、欧米社会では急速に「終末」を意識する人が増えている。その理由は、彼らの文化的バックボーンであるキリスト教が「世の終わる時の状況」を克明に描写しており、かつ現代がそれに符合する様相を呈してきた(と考える人が増えてきた)からだ。

 彼らの終末観のイメージの元になっているのが聖書の記述である。


■終末はどのように訪れるのか?

・旧約聖書(ヘブライ語聖書)の場合

bible0529.jpg画像は、『旧約聖書 (図解雑学)』(ナツメ社)

 たとえば、旧約聖書では、預言者エゼキエルが「終わりの日」に起きる「出来事」を詳細に描写し、また預言者ダニエルは「その時期」について語っている。有力な説によると、それはロシアとその同盟国によるイスラエル侵攻を指しており、時期はエルサレム再建(1948年)から69年後(2017年)。この時に、予言されていたメシアが到来し、はるか古(いにしえ)に神とユダヤ民族との間で交わされた契約が成就する、とされる。


・新約聖書(ギリシア語聖書)の場合

 新約では「終末予言」が旧約聖書以上に強調されている。なにしろ、冒頭の「マタイ書」ではイエス自らが予言を語り、最後の「黙示録」もまた予言で締めくくられているくらいだ。つまりキリスト教とは、仏教とは異なり、非常に明確な終末のイメージを有する宗教なのだ。そして今、欧米の人がそれを意識しつつあるという。予言についてだけ知りたい人は、新約聖書にある「マタイによる福音書」だけでも読むといいだろう。

 この書はイエスが亡くなった後すぐに――おそらく十年から数十年の間――書かれたもので、イエスとその教えの原型をもっともよく留めている。仏教だと最古の経典『スッタニパータ』ですら、岩波版の訳者である中村元氏によると、釈迦ことガウタマ・シッダールタ(サンスクリット発音)の死から1世紀以上は経過しているらしい。もし新約聖書とキリスト教について知りたければ、何よりもまず、この「マタイ書」に目を通さなければならない、といわれるゆえんである。「マタイ書」はイエスの誕生から処刑、復活までの生涯を描いた「伝記」としての内容を持つ。一方で、その生涯を通して、「モラル面」と「予言面」のふたつの要素がふんだんに盛り込まれている書でもある。

 後者の部分はまさに「イエスの大予言」と呼ぶにふさわしい。以下にそれを紹介しつつ、私なりの解釈も足してみたい(※カッコ内の出典はすべて日本聖書協会の新共同訳〈カトリック・プロテスタント共通〉聖書から。ただし、太字は筆者による)。


■イエスの大予言! 戦争・飢餓・地震…

 オリーブ山に座っているイエスに対して、弟子たちが尋ねた。

「あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴(しるし)があるのですか」

 イエスは次のように答えた。

「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国のこの福音はあらゆる民への証として、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」(マタイ24・3~14)

 このように、「世の終わり」の特徴として、まず戦争・飢饉・地震があちこちで起きると、イエスは予言している。しかも、それはまだ「始まり」に過ぎない。

 また、イエスが弟子たちに対して、「あなたがたは殺される」とか「わたしの名のために憎まれる」などと警告しているということは、世の終わりの頃に、キリスト教徒に対する大虐殺が起きることを意味しているのかもしれない。

 ちなみに、“預言者prophets”とは「神の言葉を授かる人物」のことで、神託者・神意の告知者・神の代弁者というような意味である。イエスもまた「預言者」と呼ばれている。よって、「偽預言者」というのは、嘘の予言をする者のことではなく、「神がこう言っている」とか「神の言葉を聴いた」などと、勝手に神の代弁者のように振舞う者のことを意味している。世の終わりには、この種の嘘つきが大勢現れて社会を混乱させるらしい。

 ちなみに聖書では、この預言者が頻繁に未来を予言して的中させる様が描写されているので、日本語的にはどうしても紛らわしくなってしまう。

「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。そのときには、世界の初めから今までになく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。」(同24・15~22)

 すさまじい内容である。これを「大艱難(だいかんなん/困難に出あって苦しみ悩むこと/great tribulation)」という。ちなみに、ダニエル書を読んでも「憎むべき破壊者」の外観は今ひとつ分からない。

 興味深いことに、虚心に読むと、この「大艱難」は徐々に来るのではなく、ある日、突然にやって来ることが分かる。なにしろ、「屋上にいる者は下に降りるな」と警告しているくらいだ。つまり、何らかの瞬間的な大破局なのだ。しかも、戦争・飢饉・地震が先行して挙げられていることから、それらとも異なる「何か」だと考えられる。

 その「大艱難」が到来した後に、イエスが再び現れると、イエス自身は予言する。

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