11年間、ずっと殺人鬼だった男 ― ノンフィクションライターが選出した日本で最も凶悪な殺人犯

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――日本で実際に起きたショッキングな事件、オカルト事件、B級事件、未解決事件など、前代未聞の【怪事件】をノンフィクションライターが隔週で紹介する…!

 日本で日々起きる殺人事件の数は、1日で平均2~3件だという。これまで日本を騒がせた殺人事件は多数あるが、その中でも最も凶悪な殺人犯は誰か? そう問われたとき、浮かぶ名前はさまざまだろう。だが、冷徹さや狡猾さを基準に選ぶならば「私たちはその名を知らない」ということになる。最大の凶悪犯は、逮捕されていないからだ。

 79年以降、足利市や隣接する群馬県太田市で、4人の幼女が殺害され、ひとりが行方不明になった足利事件は日本で起きた最も凶悪な事件のひとつといっていいだろう。わいせつ目的の誘拐・殺人事件の犯人とされていた菅家利和元服役囚は、新たなDNA鑑定で無罪の判決を得た。これは日本テレビの清水潔記者が、一連の事件を追う中で立証された。清水記者は当初の捜査資料と独自の取材によって真犯人を特定したが、いまだ逮捕に至っていない。つまり真犯人は凶悪な犯罪を犯しながら17年にわたってなんの罰も受けず、のうのうと暮らしているのだ。

 犯人が逮捕されていない事件ならば、佐賀女性連続殺人事件も挙げられる。1975年から1989年までの14年間で、佐賀県北方町、白石町、北茂安町、武雄市の半径20キロの範囲で7人の女性が殺害された事件だ。

 では、逮捕された中で凶悪なのは誰か……?


■11年間で8人を殺害した男の異常さ

 最も凶悪な殺人犯として私が挙げたいのは、勝田清孝だ。「そんな奴は知らん、もっと有名な殺人者がいるじゃないか」という声が聞こえてきそうだが、通常、連続殺人というものは数カ月から、せいぜい1年あまりの間に行われる。たとえば、小平義雄は、439日の間に7人の女性を殺害した。宮崎勤は、288日の間に4人の女児を殺害。西口彰は、49日間で旅館経営者など5人を殺害。日高広明は、46日間に4人の女性を殺害。永山則夫は25日間にガードマンら4人を殺害。古谷惣吉は、43日間に8人の老人を殺害。大久保清は、40日間に8人の女性を殺害。それぞれの事件で痕跡を残しながら、捜査の手が伸びてくる間に、殺人を行った。

 それに対し、この男、勝田清孝は11年間も殺人を続け、8人を殺めたのだ。この奇怪さたるや、恐ろしいものがあると思わないか。

■勝田清孝という男

11年間、ずっと殺人鬼だった男 ― ノンフィクションライターが選出した日本で最も凶悪な殺人犯の画像2画像は、『勝田清孝事件―冷血・連続殺人鬼』(新風舎)

 勝田清孝は、昭和47年に最初の殺人を犯し、昭和58年に銀行の強盗未遂で逮捕されるまでに8人を殺害した。その間は、11年間だ。それ以外に、強盗殺人未遂1件、強盗致傷3件、強盗1件、窃盗10件と罪も重ねている。しかもその一方で、レンジャー競技全国大会で入賞するほどの優秀な隊員として、消防署に勤務していたのだ。

 勝田は昭和23年に京都府の農村で生まれたが、高校生ですでに犯罪を犯すような悪だった。オートバイを使って女性のハンドバックを奪うひったくりや、女性の下着泥棒も繰り返した。高校2年になった昭和40年、ついに大阪府の和泉少年院に送られ、半年ほどで家に戻っている。

 そんな勝田だったが、更正の機会がなかったわけではない。消防士の試験に合格し、昭和47年4月より、消防署に勤務するようになったのだ。この時すでに結婚をして、子どもも授かっていることから、まっとうな人間になるには絶好のチャンスだったに違いない。

・昭和47年最初の殺人

 しかし、その年の9月13日、勝田は最初の殺人を犯す。この頃の勝田は、金がないにもかかわらず、スナックで飲み歩く癖があり、自動車のローンもあった。そこで金を盗もうと忍び入ったアパートで住人の女性に顔を見られてしまったのだ。彼女をレイプした上で、ナイロンストッキングで絞殺した。

 勝田と女性はまったくの見ず知らずであったが、発見された時、彼女の顔には布団が被せてあった。殺人後に顔を隠すのは、愛情を持っていたことのある近親者である場合が多いことから、彼女の恋人が犯人として疑われた。この恋人は、逮捕はされなかったものの、会社を辞めて行方不明になってしまった。

・3年後

  昭和50年7月6日に、大阪府吹田市で勝田は2度目の殺人を犯す。マンションの通路で、以前から目をつけていたクラブのママのハンドバックを奪おうと襲った。激しく抵抗されたため、落ちていた荷造り用の細紐で絞殺した。彼女のフェアレディZに死体を乗せ、近くの池に遺棄。車に指紋が付いている可能性を恐れて、大阪市南区(現中央区)の駐車場で、勝田はフェアレディZを炎上させる。捜査当局は顔見知りの犯行と見て、店の客ばかりを洗ったため、勝田はバレなかった。

・1年後

 昭和51年3月5日、勝田に殺されたのは、名古屋のクラブの美貌のホステスである。やはりハンドバックを奪う際に抵抗されたため、彼女の首に巻き付いていたスカーフを引き絞って殺した。彼女の車カマロで運ばれた死体は、下半身を裸にされ、近くの休耕田に放置された。勝田によって、局部には枯れススキが1本差されていた。これは、痴情のもつれによる殺人と見せかけるためだった。

 殺人を重ねる一方で、勝田は仕事熱心で、この年の10月には消防士長になっている。

・1年後

 昭和52年6月30日、勝田の犠牲になったのは、名古屋のマージャン荘に勤める女性だった。名古屋市南区で勝田が物色していたところ、マンション4階の部屋からマルチーズを連れた彼女が出てきて、鍵もかけずに階下に降りていった。部屋に侵入した勝田は4万円の入った封筒を見つけたが、彼女が戻って騒いだことから、細紐で絞殺した。死体に布団を被せると、見つけた鍵で施錠して勝田は立ち去る。捜査当局に疑われたのは、合い鍵を持っていた彼女の恋人だった。

・2カ月後

「一度始めてしまうと殺人はクセになる」というのはある殺人魔の言葉であるが、勝田の殺人のサイクルもこのあたりから早まった。同年8月12日に殺されたのは、化粧品販売会社の美容指導員だった。ゴルフ帽を被りサングラスをし、盗みに入る部屋を物色していた勝田を怪しんで、彼女のほうから部屋から出て声をかけたのだ。勝田は彼女を部屋に押し戻して、ストッキングで絞殺する。この時も勝田は施錠して立ち去り、疑われたのは彼女の恋人だった。

・3カ月後

 勝田の犯行はエスカレートする。同年11月30日、奈良県天理市内の射撃場帰りの車から、勝田は自動装填式散弾銃SKB・1300型一丁と実弾を盗み出す。12月13日、勝田は神戸市中央区で待ち伏せをした。集金を終えて駐車場に戻ってきた兵庫労働金庫神戸東支店の渉外係の男性に、銃を突きつけて金を要求したのだ。男性が抵抗したため、勝田は発砲して約400万円を強奪して逃走。2日後に男性は、出血多量で死亡する。現場近くに銃は捨てられていたが、ナンバーがヤスリで削り取られていた。

・1年後

昭和54年12月29日、名古屋市名東区の会社員宅から、趣味のキジ撃ちのためのフジスーパーオートM2000型を、勝田は盗み出す。昭和55年7月31日夜、勝田はこの銃を持って名東区高砂の松坂屋ストアに押し入る。1人だけ残っていた社員を銃で脅して警報装置を解除させ、金庫を開けさせ、発砲して殺害。約580万円を奪って逃走した。犯行があまりにもスムーズであるため、内部事情に詳しい者の犯行と見て、捜査当局は中途退職した従業員などを重点的に洗った。

 ナンバーを削り取った銃が見つかったため、兵庫労働金庫の事件と同一犯との見方も出たが、兵庫県警と愛知県警の連携が取れずに、勝田にたどり着くことはなかった。

・1年後

 昭和55年11月8日、勝田は車上荒らしで逮捕されるが、翌年に降りた判決は懲役10カ月、執行猶予3年であった。消防署は懲戒免職となる。

・2年後

これでも、勝田の犯行はやまなかった。昭和57年10月27日、名古屋市内千種区の田代北派出所から「盗難車がある」と言って警官を誘き出し、鉄棒で殴りつけて拳銃を奪った。そして10月31日未明、静岡県浜松市内のスーパーマーケット「トウア名残店」に、勝田は銃を持って押し入った。3人の店員はレジのあるほうに勝田を案内する振りをしながら、隙を見て外に逃げ「ドロボー!」と叫んだ。そして勝田は何も取らずに逃走。その日のうちに名古屋で犯行を行おうと考えた勝田だが、自分の車で行くのは危険と考えて、滋賀県大津市の大津サービスエリアで、溶接工の男性に執拗に頼み込んでワゴン車に乗せてもらう。走行中に、勝田はうっかり拳銃を落とす。それを見て驚いた男性とつかみ合いになり、勝田は発砲。男性を殺害した。

・1カ月後

同年11月28日、京都市のエポック山科北店に拳銃を持って押し入り、勝田は約150万円を強奪した。

・2カ月後

  昭和58年1月31日、勝田は、名古屋市昭和区の第一勧業銀行(現みずほ銀行)で、従業員の給料支払いにあてる約100万円を降ろしてきた引越センター「第一梱包」社長が乗り込んだクラウンの助手席に乗り込み、銃で脅して金を奪おうとした。社長は勝田の拳銃と手首を押さえ、2人でもみ合いながら車の外に出た。勝田は2発発砲したが、社長にはかすりもしなかった。発砲の音で出てきた銀行員たちに勝田は取り押さえられ、通報で駆けつけた警官に逮捕された。

 勝田には平成6年1月17日、最高裁において死刑判決が確定した。この時に、藤原家に入籍し、藤原清孝となっている。これは、獄中での更正を信じて、ずっと交流を続けてきたクリスチャン女性の弟になったものと思われる。平成12年11月30日、勝田への死刑は執行された。
(文=深笛義也)

■深笛義也(ふかぶえ・よしなり)
1959年東京生まれ。横浜市内で育つ。18歳から29歳まで革命運動に明け暮れ、30代でライターになる。書籍には『エロか?革命か?それが問題だ!』『女性死刑囚』『労働貴族』(すべて鹿砦社)がある。ほか、著書はコチラ

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