亡霊の祟り説、落馬死説、脳卒中説、人違いで斬殺説 謎だらけの源頼朝の死

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yoritomo.jpg源頼朝の銅像(鎌倉・源氏山公園)shutterstock.com


 12世紀末、平安の世が傾き、新しい次代の胎動が始まっていた。平家打倒、破竹の連戦連勝、関東・東北地方の平定、征夷大将軍の拝命、鎌倉幕府の開府……。希代の武将、源頼朝の生と死を追ってみよう。

 「一人当千という事、一人して千人にはいかでか向うべき。なれども、はかりごとをよくし、居ながら多勢を滅ぼすを名付けたるなり」(一人当千と言うが、一人で千人と戦うことなどできない。一人当千とは、知恵を働かせ、自ら戦場に出ることなく、大軍を打ち負かすことをいう)。

 「一人当千」とは一人で千人を相手にできるほど強く勇猛な武将のあるべき姿のこと。「一騎当千」ともいう。一人当千こそ、天の時、地の利、人の和に恵まれた天地人、頼朝の武勇剛胆を物語る基本戦略だった。

 頼朝は、久安3年(1147年)、清和天皇を祖とする河内源氏の源義朝の三男坊として、尾張国熱田(現在の名古屋市熱田区)に生まれる。義朝が平治の乱で敗退するや、伊豆国へ配流。やがて伊豆で平氏打倒の兵を挙げ、鎌倉を根城に関東を制圧、源義仲らと平氏を一気呵成に打倒した。戦功のあった末弟・源義経を追放後、諸国に守護と地頭を配して勢力を温存し、奥州藤原氏を滅亡に追い込み、全国を平定。建久3年(1192年)、後鳥羽天皇から征夷大将軍を拝命し、鎌倉幕府を開府した。

頼朝は落馬死か? 暗殺死か?

 建久8年(1198年)12月、頼朝は、相模川の橋供養に臨席した帰路に落馬し、翌年1月13日に死去したと伝わる。頼朝の死は不審な点が少なくない。

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