日本奇習紀行シリーズ 3

奇習!「村の共有物になった娘」の短すぎる生涯

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1008zashiki_sub.jpg※イメージ画像:『奇子 1【Kindle版】』(手塚プロダクション)

 かくして村の男たちの『共有物』となったカヨさんは、毎日のように彼らの訪問を受け入れ、薄暗い土蔵の中で、ひたすらひと晩中抱かれ続けるようになっていく。しかしそうしたある種の苦境の中にあっても彼女は、自らの境遇や、その行為の意味を正確に把握できていない様子で、少年時代の山中さんに会うと、いつでも格子戸の中から微笑んでいた。やがて彼女が22歳の若さで謎の死を遂げる頃には、彼女の家は近隣でもかなり豊かな暮らしをするようになり、その葬儀は村をあげての派手なものとなったという。

「うん、詳しくはわからないけども、幸せな人生だったんじゃないかな。だって、ああいうことになっていなければ、葬式ひとつあげてもらえなかっただろうから。でもね、俺はいまだに思うんだよ。『本当はカヨさん、自分の状況がある程度、わかっていたんじゃないか?』って。もしそうだったら、なんだか気の毒にも思えてくるよな」

 かつてこの国においては、障害を負った子供が生まれてくると、それを隠すようにして座敷牢のような場所でひっそりと育て、知らぬ間に葬り去るという習慣が存在していた地域も少なくない。その声なき声に耳を傾けたとき、決して教科書には載ることのない、この国における別の歴史が、見え隠れしてくるような気がしてくるのだが…如何だろうか。
(文=戸叶和男)

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コメント

6:匿名 2018年3月11日 23:48 | 返信

戸叶ww

5:匿名 2017年11月13日 01:48 | 返信

青梅市の中心部から車で30分も掛けたら、市外に出るよって言うツッコミは無し?

4:匿名 2015年10月13日 06:18 | 返信

今はTwitterやニコ生で少女自身が自分の体を金銭と交換するのが流行ってる、一時期の援交なんか目じゃないし少女自身が児ポを作る時代。

3:匿名 2015年10月12日 04:50 | 返信

江戸時代、流れ者に家と食べ物を与え、ムラが連帯責任を負わなければならない時に、彼らを生贄や身代わりとして差し出す習慣もあった。苦役や労役はもちろんのこと、一揆やムラ同士の争いの手打ちなど色々使い道があった。もちろんこの記事中にあるように性的な意味合いでも、近親婚を防ぐための種付け役、もしくは後家さんの慰み者としても扱われていた。つまり人が人を飼っていた。今も本質は変わらないことをあちこちでやっているはず。

2:匿名 2015年10月11日 22:45 | 返信

貧しい家に土蔵がある設定とな

1:匿名 2015年10月11日 21:10 | 返信

日本だけではなく、どの国にもこのような慣習はありますよね。

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