オランダのラスプーチンといわれた女 ― ホフマンと王室の蜜月関係=オランダ

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JulianaEnGreet_3.jpg画像は「IsGeschiedenis.nl」より引用

■女王とホフマンスの蜜月関係、その全貌

 こうしてホフマンスはオランダ王宮に召し出され、王家と一緒に生活するようになる。しかし、クリスティーネ王女の目は一向によくならない。その代わり、ホフマンスはユリアナ女王に思想的な影響を与えはじめる。

 ホフマンスの述べることは、平和主義や友愛、献身など、個人的には有益な価値観であった。しかし、当時は冷戦が始まったばかりであり、オランダも西側諸国と歩調を合わせ、東側諸国に対して時には強硬な政策をとる必要があった。道徳的に正しいかどうかはともかく、それが政府としての方針であったのだ。ところがこうした施策に対し、ユリアナ女王が批判的な言動をとるようになってしまう。これを当時のオランダ政府は、ホフマンスの影響によるものと危惧した。

 そして1956年、ドイツを代表する政治雑誌『デア・シュピーゲル』がホフマンスを「オランダのラスプーチン」と報じたことで、その存在が白日の下にさらされることになる。政府は内務大臣であったルイス・ビールを委員長とする調査委員会を立ち上げ、ホフマンスが女王に対して与えた影響を調査した。その結果、彼女は王室から追放され、オランダ王室との接触を一切禁じられてしまう。当時、一部の右翼勢力から、ホフマンスに対する脅迫状が寄せられたとも言われている。


■ペテン師か、それとも本物か?

 こうしてホフマンスと王家との関係は途切れたが、彼女はその後も治療師としての活動を続け、上流階級の信者を多数集めていたという。その一方、いわゆる懐疑論者の側は、彼女は単なるペテン師であったと決めつけている。

 クリスティーネ王女については、新しい技術を用いた眼鏡を使用することで通常の生活を送れるようになったというが、母親のユリアナ女王はその後も神秘的なものへの憧憬を抱き続けたようだ。1959年にUFOコンタクティーの元祖として知られるアダムスキーがオランダを訪れた際には、自ら王宮に召し出して彼の経験談に耳を傾けている。

 一国の女王に対して、これほど強い影響を残したホフマンス。果たして彼女は本物のサイキックだったのか、それともペテン師だったのか? いずれにしても、このような事例が決して珍しいものではないという点はご理解いただけるだろう。


羽仁礼(はに・れい)
一般社団法人潜在科学研究所主任研究員、ASIOS創設会員

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