年間1000人が斬首され、その骸が出土した“死臭がした場所”=小塚原刑場

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 日本怪人墓列伝で触れた「明治の毒婦」高橋お伝の墓がある北側の回向院から、線路で分かたれる形で独立することとなった南側の延命寺には、当地にさまよう罪人たちの霊を弔う形で、首切地蔵が祀られている。

 その傍らには、おなじみの一文が記されたピースポールが寄り添うように立てられており、その形は意外と珍しい六角形状のものだ。無論、このピースポールと地蔵は、これといった関係はなく、白光真宏会の活動によって後年建立されたものだと推測される。

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 また、この延命寺が面する通りには「コツ通り」という通称がつけられているが、それがこの付近から出土した「骨」にちなむものなのか、小塚原の「コツ」なのかは判然としない。その名を記した案内板に目をやる人もなく、むしろ今の時代においては、昭和の少年たちに多くの夢を与えた画家・小松崎茂氏の個展開催を告げるフライヤーが掲示されていることの方が、多くの人々にとっては気になるところなのだろう。

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 最後に、まったくの余談ではあるが、今回の探索中、寺院のすぐ傍らにある常磐線の橋脚部分にあたる場所に、なぜか梵字のような奇妙な文字状の落書きが記されているのを発見できた。我々日本人の感覚から言えば、音符のような形状を持っている外国語、たとえばユダヤ人が使うヘブライ語などでは比較的近い文字も確認できるが、その正確な意味がわからぬ以上、もしかすると書き手にしかその意味がわからぬヴォイニッチ手稿のような発見である可能性も否定できない。念のため、そのことを付記しておく。
(写真/文=Ian McEntire)

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