絶命した朝鮮人労働者たちの声なき声 ― 異様な冷気に満ちた「吉見百穴」、もうひとつの顔

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • コメント3

yoshimi203.jpg

■朝鮮人労働者による過酷な労働の爪痕

 手許の史料によると、この地下工場の建設が始まった当時、およそ3,500人もの朝鮮人労働者が投入され、それこそ不眠不休の掘削作業が進められたそうだ。そのうち何人が生きてこのトンネルの外へと出、本来あるべき日常へと戻ることができたのかは、今となっては知る由もない。しかし、その作業の痕跡を丹念に見ていくと、また、それを成し遂げた際の過酷な労働に思いを馳せると、『生還者の数は、さほど多くはなかったのではないか?』という推測がおのずと頭をもたげてくる。

 折りしも当時は旧日本軍の戦況が急速な悪化を遂げ、文字通り、一億総動員状態で国防にあたっていた時代だ。日本人ですらろくに食う物がない時代に、単なる労働源として重用されてきた外国人労働者たちが、どのような環境下で作業に従事していたかは、殊更説明すべくもないことだろう。

yoshimi204.jpg

 1944年7月、当時、軍部がその防衛に絶対的な自信を持っていたとされるサイパン島が陥落。すぐさまそこを日本本土への空爆拠点化にすることに成功した米軍は、最新鋭の爆撃機B29を積極的に投入し、空襲による日本本土の焦土化を実行した。その戦火は関東地方にも及び、首都・東京にある軍需工場を狙い打ちにした爆撃まで行われる始末であった。

 それは日本の航空戦術を支えてきた中島飛行機の工場群も例外ではなく、当時、東京・三鷹にあった工場は米軍の集中空爆により壊滅的な打撃を受けている。その事態を憂慮した同社幹部と旧軍上層部は、かろうじてほぼ無傷の状態であった大宮工場の機能を移転すべく、この吉見百穴に地下工場建設を目指すこととなった。その名も『第二軍需工廠855号』。吉見地区と隣接する東松山地域に跨る地域に位置することから、関係者の間では、『吉松工場』とも呼ばれていたという。なお、当時の計画によると、その建設にあたっては、先述した3,500人もの朝鮮人労働者のほかに、4000万円(当時)もの工費が投入され、全部で4工区、延べ1万坪にも及ぶ広大な工場が建設される予定であったとされる。

コメント

3:見学しました。 2017年11月9日 08:37 | 返信

確かに吉見百穴の中に基地跡がありました。
看板があり、従事した韓国人労働者達は帰国を惜しんで桜を植林されたと書かれていました。

2:釣本直紀 2016年7月13日 14:40 | 返信

嘘、大袈裟、紛らわしい見出し。
コロポックルと吉見百穴は本文にも有るが無関係なものだし、軍需工場跡は吉見百穴とは全く別の施設だ。何故わざわざ「吉見百穴」という単語を題名に冠するのか。

>そのうち何人が生きてこのトンネルの外へと出、本来あるべき日常へと戻ることができたのかは、今となっては知る由もない。
>日本人ですらろくに食う物がない時代に、単なる労働源として重用されてきた外国人労働者たちが、どのような環境下で作業に従事していたかは、殊更説明すべくもないことだろう。

記事というものはちゃんと調べてから書くべきだ。説明が面倒臭いという記者の都合を「知る由もない」「説明すべくもない」という一文で誤魔化している。
物書きとしての態度が三流。

1:釣本直紀 2016年7月13日 14:39 | 返信

嘘、大袈裟、紛らわしい見出し。
コロポックルと吉見百穴は本文にも有るが無関係なものだし、軍需工場跡は吉見百穴とは全く別の施設だ。何故わざわざ「吉見百穴」という単語を題名に冠するのか。

>そのうち何人が生きてこのトンネルの外へと出、本来あるべき日常へと戻ることができたのかは、今となっては知る由もない。
>日本人ですらろくに食う物がない時代に、単なる労働源として重用されてきた外国人労働者たちが、どのような環境下で作業に従事していたかは、殊更説明すべくもないことだろう。

記事というものはちゃんと調べてから書くべきだ。説明が面倒臭いという記者の都合を「知る由もない」「説明すべくもない」という一文で誤魔化している。
物書きとしての態度が三流。

コメントする

画像認証
※名前は空欄でもコメントできます。
※誹謗中傷、プライバシー侵害などの違法性の高いコメントは予告なしに削除・非表示にする場合がございます。