奇習! 黒人の子供たちの干した遺体を秘薬に ― 明治期に隆盛を極めた密貿易の闇

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【日本奇習紀行シリーズ番外編】 黒人奴隷

0311kokunidore_01.jpg※イメージ画像:Thinkstockより

 今年のNHK大河ドラマ『真田丸』では、戦国時代の武将・真田幸村が主人公となり、荒れ狂う激動の時代の中で華々しく活躍し、そして散った武人の姿が描かれている。だが、そうした戦国時代の武将の中で、今なお多くのファンを擁するのが、乱世の風雲児としてその名を轟かせた“第六天魔王”こと織田信長だ。

 そんな信長は、その晩年、宣教師によって日本に連れてこられたという黒人奴隷に、弥助という名前をつけてかわいがり、自ら風呂に入れるという、愛玩動物のような偏愛ぶりを披露したとされる。そして、それ以降の江戸期から昭和初期までは、一般の民衆の間でも、自分たちと肌の色が異なる人たちを、なんとも奇妙な形で求める者が存在していたという。


「明治維新、そしてその後の急速に近代化が行われた昭和初期までの日本では、今のように外国人は多くありませんでした。ましてや黒人ともなるとその数はさらに少なく、一生のうちで一度も黒人を見たことがないまま、その生涯を終えていた日本人も多かったと考えられます」


 今回、我々の取材に応じてくれたのは、現在、某県の郷土資料館に勤務している学芸員・Kさん(47)。Kさんによると、黒人と日常的に接することがほとんどなかった頃の日本人の一部の層においては、彼らの存在を巡って、なんとも奇妙な風潮が広まっていたという。


「成人の黒人が珍しかった時代ですから、その子供となるとさらに珍しかったんですね。でも、おおっぴらにはされていないものの、彼らは明治時代頃から徐々に奴隷として我が国にやってきていたんです。無論、その数は決して多くはなかったのですが、それゆえに、富裕層にとっては、特殊な価値を持っていたのです。売られてきた黒人の少年少女の肉体を“秘薬”として珍重していたのはまさにその頃でした」

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