【3.11震災から5年】死にたくなければ自己中であれ?次の巨大地震を生き抜くための秘策とは?

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【3.11震災から5年】死にたくなければ自己中であれ?次の巨大地震を生き抜くための秘策とは?の画像1画像は「Thinkstock」より

 東日本大震災から早くも5年。この大災害における死者・行方不明者は1万8千人以上となった。巨大地震と想像を絶する大津波で犠牲になった人々の死を無駄にしないためには、この大災害で「注意を怠っていた」「津波から逃げ遅れた」ことの原因を明らかにするとともに、「助かった」という例から学ぶことが求められる。今回の記事では、あの震災から私たちがどのような教訓を得られるか、考えてみたい。


■家を飛び出す前に心がけたいこと

 東日本大震災では、犠牲者のうち約90%の死因が水死となり、津波により命を落とした人が圧倒的に多かった。それでも、600人を超える人が地震による被害で亡くなっている。では、この地震でどんな危険性があったのだろうか。

 筆者は本記事のために、フェイスブックの「地震前兆・体感検証」(以降「FBグループ」)という非公開グループ上で、大震災の体験談を募った。すると、数名のメンバーが貴重な情報を提供してくれた。以下はそのひとつだ。

 茨城県ひたちなか市の海沿いにある自宅で被災した女性Aさんは、震度6強の揺れが襲った時、小さな娘を抱いて家の外に出た。飛び出したすぐ後ろで、屋根瓦が滝のように落ちてきたという。あと数秒遅ければ、直撃は免れなかっただろう。ここから得られる教訓は、家を出る際には防災頭巾や座布団等で頭を保護すべきということである。また、家屋崩壊の危険がないようならば、揺れが収まるまで屋内にいた方が安全かもしれない。この話は、あわや「逃げ遅れた」ケースになるところだったが、慌てて家を飛び出ることによるリスクも頭に入れておかなければならない。

■油断厳禁、即座に避難の判断を!

 津波が来たら、とにかく高台へ避難することが重要だ。しかし東日本大震災では、それを実行しなかったために命を落としてしまった例が多い。大船渡では過去に55cmの津波が観測されたが、大きな被害がなかったために「今回もまた大したことはないだろう」と油断した人々が犠牲になった。

 これに対して、宮城県南三陸町では、町内の防災放送を担当していた遠藤未希さんが多くの人々の命を救った。彼女は津波が襲来した後も防災対策庁舎の2階で放送を続け、24歳の若さで帰らぬ人となってしまった。南三陸町では約1万人の人々が避難して助かったが、防災放送を聞いていなければ逃げなかったという人や、切羽詰まった遠藤さんの声にただならぬ危機を感じたために避難したという人もいた。

 FBグループの男性Bさんは、宮城県多賀城市で被災した体験を寄せてくれた。津波が近づき、車で避難したものの思うように進まず、このままでは危ないと車を乗り捨て、ある建物の屋上に逃げたことで助かった。あのまま車内にいたら、確実に津波に呑まれていただろうと語る。Bさんのケースは、咄嗟の判断が重要だという好例だろう。


■地域の伝承を忘れず、避難指示には従う

 FBグループの女性Cさんは、仙台市若林区荒浜にある祖父の実家周辺の状況を報告してくれた。昔から大地震が起こると必ず津波に襲われたこの地区には、過去の記事でも紹介した「浪分(なみわけ)神社」があり、津波の被害が出るたびに高台へと遷座して現在の地に落ち着いた。地区には「津波が来たら神社へ逃げろ」という言い伝えが残されており、東日本大震災の津波も神社の手前で止まったという。

 地震発生後の地区では、町内会長が自転車に乗り「高台の荒浜小学校へ避難するように」と声をかけて回ったが、それを無視して自宅に戻った人々が多かったという。そのうちの多くは津波に呑まれてしまったと考えられる。この話から得られる教訓は、「地域に残る伝承を忘れるな」、そして「避難指示が出たら従え」ということだろう。

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