明治時代を鮮やかに色づけた伝説の写真師「KIMBEI」を知っているかい?
我が国で写真師たちが活躍しはじめた黎明期において、その名を今に残す者は少ない。そんな中、明治から昭和初期に生きた伝説の写真師「KIMBEI」ならばご存じであろうか?彼の作品は100年以上経った今でも貴重なアート作品として国内外問わず写真展が開催されているほどなのだ。
■「KINBEI」こと日下部金兵衛
伝説の写真師「KINBEI」こと日下部金兵衛(1841-1934)は明治から大正にかけて横浜を拠点に当時の文化や風景、伝統芸能、市井の人々などを非常に繊細かつ緻密な手彩色を施した写真によって残した人物である。今でこそシャッターを押せば写る時代であるが、当時は1枚の写真を撮るにも一苦労で写真機も大きく、撮影する側に相当な技量が要求された。一流技師の元に弟子入りし、雑用などをこなしながら撮影術から暗室作業などを師匠の一連の動作から覚えていく徒弟制が主だった。
金兵衛が独立したのは1881年、現在の横浜スタジアムやみなとみらいに近い弁天通りに自らの名を冠した「金幣写真」を開設したのがはじまりである。弁天通りは今でも当時のレンガ造りの建物が残っており西洋文化と日本建築がうまく融合した素晴らしい建造物を見ることができるエリアだ。当時の写真館というものは非常に高価な商いであり、日本人相手というよりも観光で訪れた外国人の土産物としてポストカード感覚で写真を販売したり、輸出目的での製作をメインにしていた。こうした手彩色写真は港町横浜で発祥したことから「横浜写真」と呼ばれ、外国人に大変な人気を博した。
商売も軌道にのり、横浜の日の出町に第一の支店を出してから芝、銀座と次々に拡大させていった。外国人相手の商売であったがゆえ、時にニーズに合わせ誇張した演出や外国人が思う日本像に近づけるようなデフォルメもあった。女性の入浴している姿を撮影した一種セミヌード的なものは特に人気があり、金兵衛も数多く撮影している。同時期に活躍した写真師には、上野彦馬、玉村康三郎、小川一真などがいるが、写真に携わる前は壺や美術品の色付けをしていたことも影響しているのか、金兵衛が手彩色を施したものは実に美しく繊細で息を呑むものばかりで、坂本龍馬のポートレートで有名な上野彦馬のネガも金兵衛が預かったりするほどだった。
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