【閲覧注意】顔がグニャリと伸びきった美少女 ― アフガンの貧困が招いた悲劇を克服した愛と生命力

【閲覧注意】顔がグニャリと伸びきった美少女 ― アフガンの貧困が招いた悲劇を克服した愛と生命力の画像1画像は、zubaida tinydancerより

  アフガニスタンといえばビン・ラディンを筆頭に内戦、テロといった紛争地域というイメージが根強く残っている。過去23年にも及ぶ紛争、タリバン政権のもと一般人までもが社会的に虐げられ貧困は得に深刻な問題だ。そして、男性社会の慣習が根強く残るここでは女性の貧困は特に著しい。

 2001年、アフガニスタンの遊牧民の村に住むZubaidaは、9歳の時に火事で顔と胸部の大半を損傷した。しかし貧しさゆえに満足のいく治療を受けることもできず、ただれた顔と胸部の皮膚が同化してしまい、元の面影を完全に失ってしまったのだ。


■顔と胸の皮膚がただれ同化した少女、出されたのは軟膏だけ

 Zubaidaはアフガニスタン西部ファラー州リモート村の遊牧民の家に、両親と8人の兄弟とともに暮らしていた。ファラー州は乾燥した土地でアフガニスタンの中でも比較的貧しい地域である。

 2001年8月、Zubaidaは料理のために屋内用ストーブを使っていた。火力が弱くなってきたと思った彼女は燃えたぎるストーブの中にそのまま灯油を注ぎ込んだ。火はあっという間に灯油に着火し、またたく間にZubaidaを飲み込んだ。顔、首、胸部から腕に大きな損傷を受けたZubaidaを抱え父親は地域の病院をいくつも回ったが、手の施しようがないと軟膏を与えられただけであったという。

 当然軟膏で症状が良くなることもなく、ひどい苦しみとただれた皮膚によって目と口を完全に閉じることもできなくなった。睡眠どころか食事も満足にとれない状態だったのだ。容態は悪くなる一方で、見かねた父は治療できる病院を求めてイランにまでZubaidaを連れて行った。約20日間イランの病院に入院したが、最終的に医師が父親に告げた提案は、「最期は家で迎えさせてはどうだ」というものだった。

 Zubaidaは死ぬことはなかったが、重度の機能障害はもちろんのこと、美少女にもかかわらず恐ろしい顔になってしまったことで酷く自尊心を傷付けられてしまった。特に思春期の少女にとっては大やけどをおって命は助かったことよりも、今後の人生のことを考えれば悲観に暮れることも無理はないことだろう。

■動き出す米国務省、アメリカへ

【閲覧注意】顔がグニャリと伸びきった美少女 ― アフガンの貧困が招いた悲劇を克服した愛と生命力の画像3画像は、「memolition」より

 2002年2月、地元の店主の薦めでZubaidaの父ムハンマドは、藁をもつかむ思いでアメリカ軍基地に赴いた。兵士たちは、Zubaidaの壮絶な様子と父親の我が子を守りたいという気持ちに動かされた。親子は、首都カブールの米軍病院に収容されたがそこの軍医でもお手上げだった。だが、ここで終わらなかった。

 どうにかできないものかと米国国務省に連絡を取る。国務省は火傷治療の第一人者であり再建外科医のピーター・グロスマン医師に相談を持ちかけた。すると、火傷治療のスペシャリストであるグロスマン医師ですらこれはかなり危険な状態であると判断を下し、米国での検査が必要だということになった

 とはいえ、貧しい村のZubaidaと父ムハンマド、アメリカへ行く費用を捻出できるわけがない。そこで、南カリフォルニアを拠点に、火事などで火傷を負った子どもたちを経済的に援助する慈善団体の力を借りて、グロスマン医師のいるロサンゼルスへと向かった。

グロスマン医師と彼の医療チームがZubaida親子に対面するやいなや、「どうしても彼女を助けてあげたい」という気持ちであふれたという。当初の状態から算出して、最低でも必要な手術を終えるのには3年かかると算出した。

【閲覧注意】顔がグニャリと伸びきった美少女 ― アフガンの貧困が招いた悲劇を克服した愛と生命力の画像4画像は、「memolition」より

 グロスマン医師は顔面再生の為に背中の皮膚を移植していった。Zubaidaは最初の1年間で12回もの手術を受け、その容貌は驚異的に変化していった。当初予測したよりも驚異的な回復をみせたのである12週経った頃には、カリフォルニア州ラウンドメドウ小学校に通い出し、英語を勉強し始めた。彼女にとって人生初めての学校生活であった。彼女は心理療法や理学療法のクラスにも出席し、持ち前の明るさから学校で多くの友達をつくった。Zubaidaは元来踊るのが大好きな明るく元気な性格だったのである。

【閲覧注意】顔がグニャリと伸びきった美少女 ― アフガンの貧困が招いた悲劇を克服した愛と生命力の画像5画像は、「memolition」より
【閲覧注意】顔がグニャリと伸びきった美少女 ― アフガンの貧困が招いた悲劇を克服した愛と生命力の画像6画像は、「memolition」より

 2003年3月22日、11歳の誕生日会でZubaidaは、「大きくなったら小児科になって、国のために尽くしたい」と語ったという。しかしこの時グロスマン医師の心中は複雑な気持ちだったのだ。

■お別れの日、グロスマン医師の心境

【閲覧注意】顔がグニャリと伸びきった美少女 ― アフガンの貧困が招いた悲劇を克服した愛と生命力の画像7画像は、「memolition」より

 実はZubaidaが治療のためにアメリカに在住する間、彼女の面倒を見ていたのはグロスマン家だった。子どもがいなかったグロスマン夫妻にとっては、度重なるつらい手術もあいまって、家族同様の存在になっていたのだ

 Zubaidaの明るさはいつの間にかグロスマン家にも幸せをもたらしていたのである

 我が子同様に愛情を注いでいたグロスマン夫妻にとって11歳の誕生日会はお別れの日が近いことを意味していた。当初3年と見積もった手術も1年で終わり、Zubaidaはアフガニスタンに帰る日がやってきたのだった。

【閲覧注意】顔がグニャリと伸びきった美少女 ― アフガンの貧困が招いた悲劇を克服した愛と生命力の画像8画像は、「memolition」より

 グロスマン医師はZubaidaと共にアフガニスタンに飛び、彼女を両親の元に無事送り届けた。元の顔に戻ったZubaidaを見た家族は感動のあまり泣き崩れたという。グロスマン医師も泣きたいきもちでいっぱいだったのだろうが、そのかわりに「もし13歳で結婚したなんてことがわかったら、お尻にキックするからね」とジョークをとばし、Zubaidaはニコニコしていた。

 現在首都カブールでは西洋文化が流入し近代化が進んでいるが、そうした貧困問題はいまだ解決されていない。医療費が払えないがゆえに助かる命も消えていく、遠く離れたアフガニスタンでは今でもそんなことが起きている。

 Zubaidaの話は「Tiny Dancer」というタイトルで、書籍化もされている。気になった人は読んでみるといいだろう。

●書籍「Tiny Dancer

参考:「memolition

(アナザー茂

※ 本記事の内容を無断で転載・動画化し、YouTubeやブログなどにアップロードすることを固く禁じます。

【閲覧注意】顔がグニャリと伸びきった美少女 ― アフガンの貧困が招いた悲劇を克服した愛と生命力のページです。などの最新ニュースは知的好奇心を刺激するニュースを配信するTOCANAで