【閲覧注意・コミュ障】中年の移民ニートが環境にブチ切れて99人射殺! 乱射魔ジベリー・ウォンの凶悪で身勝手な苛立ちとは?

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【閲覧注意・コミュ障】中年の移民ニートが環境にブチ切れて99人射殺!  乱射魔ジベリー・ウォンの凶悪で身勝手な苛立ちとは?の画像1ジベリー・ウォン 画像は「The New York Times」より引用

■「無分別な暴力」は、ある日突然に……

 2009年4月3日、米ニューヨーク州郊外のブルーム群ビンガムトンにある移民支援センターで、男が銃が乱射。13人を殺害し、4人に重軽傷を負わせるという事件が発生した。

 防犯チョッキと緑色のナイロン製のジャケットを着用し、黒縁眼鏡をかけた犯人の男は、センターの裏門を乗っていた車でバリケードし、正門からセンターに入ると無言で受付職員2人に向かって発砲。1人は頭を撃たれて即死。もう1人は腹部を撃ち抜かれたが、死んだふりをしたために命拾いし、すぐに警察に通報した。

【閲覧注意・コミュ障】中年の移民ニートが環境にブチ切れて99人射殺!  乱射魔ジベリー・ウォンの凶悪で身勝手な苛立ちとは?の画像2塞がれた移民支援センターの裏口
画像は「Murderpedia」より引用

 犯人の男は迷うことなくセンター内のESL(語学クラス)教室に進むと、そこで銃を乱射。教室内にいた全員が被弾し、うち12人が死亡、3人が負傷した。警察が到着すると、男は拳銃で自殺。男は拳銃を2丁持っており、ベルトには狩猟用ナイフ、首には弾薬が巻かれていた。拳銃は登録届けが出されていたもので、数分足らずのうちに99発もの銃弾を発砲していたことが警察の調査で判明した。

 オバマ大統領が「無分別な暴力」と強く非難した、このビンガムトン銃乱射事件を起こした男の名はジベリー・ウォン。ベトナムからの難民だった。なぜ、彼は自分と同じ立場にある移民やその支援者を13人も殺害するという凶行に及んだのだろうか。


■アメリカに馴染めなかった男、次第に変貌を遂げる

【閲覧注意・コミュ障】中年の移民ニートが環境にブチ切れて99人射殺!  乱射魔ジベリー・ウォンの凶悪で身勝手な苛立ちとは?の画像3ジベリーと家族 画像は「Murderpedia」より引用

 1967年12月8日、ベトナム華僑の両親のもと4人兄妹の次男として誕生したジベリー。1990年7月、22歳の時に家族で難民としてアメリカに移り住んだ。父親は南ベトナム軍に属し、アメリカ軍と共に戦った経験があり、一家はアメリカに対して良い印象を持っていた。移住後、一家はビンガムトン地区に住居を構えた。父親は仏教徒だったが、ベトナム人向けのバプテスト教会で移民のために必要な書類を揃えたり、翻訳や通訳をするボランティア活動を積極的に行い、地区のベトナム人コミュニティで尊敬される存在となっていった。

 父親だけでなく家族も地域に溶け込み、充実した新生活を送っていたが、ジベリーだけはなかなか馴染めずにいた。場所を変えれば状況も変わるかもしれないと思った彼は、1年後に単身で南カリフォルニアへ移住する。温暖な気候、かつアジア系人口の多さが南カリフォルニアを選ぶ決め手になったという。しかし、その直後、ジベリーはさまざまな法的問題を起こすようになり、1991年8月に逮捕される。詳細は非公開となっているが、これが彼にとってアメリカにおける最初の逮捕となり、翌年は小切手の不渡りで逮捕されるなど数々のトラブルを起こしている。記録によると、銃撃事件を起こすまでに(比較的軽い犯罪で)少なくとも5回逮捕されたと伝えられている。

【閲覧注意・コミュ障】中年の移民ニートが環境にブチ切れて99人射殺!  乱射魔ジベリー・ウォンの凶悪で身勝手な苛立ちとは?の画像4ジョンソン・シティのジベリーの実家
画像は「Murderpedia」より引用

 南カリフォルニアで逮捕された彼は、やがて実家のあるビンガムトン近郊のジョンソン・シティへと戻ってきた。それから間もなく、ジベリーは自ら警察署へと赴き「誰かが自分のアパートに侵入しようとした」と被害届を出したことがあった。警察は彼のアパートに行くと、窓ガラスががたついていることを確認したが、侵入された形跡はないと判断。そして2日後、ジベリーは車検を受けていない自動車を運転していたとしてパトカーから尋問を受けている。これらの出来事が重なり、ジベリーは次第に警察に対して不信感を抱き、逆恨みするようになっていったと考えられている。

 この頃、ニューヨーク州警察に「ジベリー・ウォンというコカイン常習者の男が銀行強盗を企てている」との情報が寄せられたことがあったという。しかし、捜査しても何も出てこなかったため、警察は要注意人物リストに彼の名を入れなかった。


■極秘裏に結婚していた!?

 2000年、ジベリーはカリフォルニア州にあるロサンゼルス国際空港近くのイングルウッドという街に移り住むと、寿司を出前するドライバーの職に就いた。彼は1995年にアメリカに帰化していたが、英語はほとんど進歩しておらず、1時間9ドル(約1,000円)という低賃金の職しかなかったのだ。

【閲覧注意・コミュ障】中年の移民ニートが環境にブチ切れて99人射殺!  乱射魔ジベリー・ウォンの凶悪で身勝手な苛立ちとは?の画像5ジベリー・ウォン 画像は「Murderpedia」より引用

 出前ドライバー時代(2000~2007年まで)の7年間、ジベリーは騒音が酷い空港近くのワンルームアパートに住んでいた。他の住民との交流はなかったが、会えば挨拶をする「ごくごく普通の大人しい男」で通っていた。ちなみにこの地区は治安が悪かったため、警官が頻繁にパトロールしていた。しかし、ジベリーはここで法的トラブルは起こさなかったという。

 実はこの時期、ジベリーはシュ・ピン・ジャンという女性と結婚生活を送っていた。1999年12月23日に結婚し、2005年5月16日まで彼女と暮らしていたという記録が残っているのだ。2005年に離婚申請が出され、2006年7月21日に正式に離婚が成立しているのだが、ジベリーは結婚したことも、離婚したことも家族には伝えていなかった。ちなみに現在、その女性は消息不明と伝えられている。

【閲覧注意・コミュ障】中年の移民ニートが環境にブチ切れて99人射殺!  乱射魔ジベリー・ウォンの凶悪で身勝手な苛立ちとは?の画像6ショップバックで働くジベリー 画像は「Murderpedia」より引用

■実家に戻り、失業、そして語学学校へ

 女性と離婚したジベリーは、2007年に寿司の出前ドライバーを辞めると、再びビンガムトンへと戻った。金がなかったため、両親と末の妹、そしてまだ生まれたばかりの姪が暮らす狭い家に居候させてもらうことに。仕事はすぐに見つかった。アメリカで有名な掃除機専門家電メーカー、Shop-vac(ショップバック)の工場で単純作業の職だ。相変わらず英語での会話は上手く行かず、イラつく様子を見せることもあったが、そんな彼も“とある話題”には積極的に加わった。それは、銃についての話題だった。

【閲覧注意・コミュ障】中年の移民ニートが環境にブチ切れて99人射殺!  乱射魔ジベリー・ウォンの凶悪で身勝手な苛立ちとは?の画像7ジベリーの拳銃所持許可証 画像は「Murderpedia」より引用

 実はジベリーは1997年6月にニューヨーク州拳銃所持許可書を取得し、ビンガムトンの射撃練習場の会員となって定期的に銃を撃っていた。唯一の趣味ともいえるこの射撃や銃の話題になると、彼は積極的に参加してきたと元同僚たちが回想している。

 今度こそ長く続けられるかに思われたショップバックでの仕事だったが、なんと工場が2008年に閉鎖。ジベリーは失業してしまった。閉鎖された理由は、工場が海外に移転してしまったから。失業手当をもらいハローワークに通うようになったジベリーに担当者は、ESL(英語が第二外国語だという人向けのクラス)の授業を受けるようにと提案した。「ハローワークの近くにある移民支援センターで英語を学ぶことができるから、そこで受けるように」「英語が上達したら就ける職業も増えるから」と勧められたのだ。

 しぶしぶながらもESLに通うようになったジベリーだが、クラスメイトと一切交流しなかった。教室には彼と年齢の近いベトナム人もいたにもかかわらず、話そうともしなかったという。家族の前ではいつもと変わらない穏和な笑顔を見せていたが、外では心を堅く閉ざしていたのだ。


■環境への失望、自身への苛立ち

 2008年11月、ジベリーは再び失業手当を申請するためハローワークを訪れた。この時に対応した受付担当者は、ジベリーの英語が理解できず、「中国語と日本語で失業保険についての情報を提供する電話番号があるが、どちらの番号が必要か」と聞いた。これを侮辱と受け取ったジベリーは「ノー! 私はベトナム人だ!」と叫び、立ち去った。アメリカに来て20年近く経つというのに、英語力がつかない自分にも苛立っていたのだろう。

【閲覧注意・コミュ障】中年の移民ニートが環境にブチ切れて99人射殺!  乱射魔ジベリー・ウォンの凶悪で身勝手な苛立ちとは?の画像8被害者の1人、英語教員のロバータ・キング
画像は「Murderpedia」より引用

 アメリカで長年生活しているだけでは英語は上達しない。ジベリーと一緒にアメリカに移住した家族は、必死で英語を学び、キャリアを積み上げていった。しかしジベリーは、学ぶ努力をせず警察沙汰まで起こす始末。仕事も長続きせず、40歳を超えて両親の家に居候させてもらうという情けない状況に陥っていた。

 ジベリーの妹は、ニューヨークタイムズの取材に対して「大丈夫と言ってたけど、みんなが上手く行っているのに自分だけという惨めな気持ちだったと思う」「ベトナムでは、長男がちゃんとした職についていないことは恥だと捉えられるから」と説明している。もしかして彼は、最後のチャンスだと思いながらESLに通学していたのかもしれない。しかし、40歳を過ぎていることもあり、英語習得がままならないという現実に直面して絶望したのかもしれない。

 2009年3月、ついにジベリーはESLに通うことを止めた。そして、ハローワークに連絡すると、4月3日の午前10時に予約を入れた。しかし当日、予約の時間になってもジベリーはハローワークに姿を現さなかった。そして30分後、彼は移民支援センターへと向かい、乱射事件を起こした。一緒に英語を学んでいたクラスメイトに向かって98発を乱射した彼は、99発目で自らの命も消したのだ。

【閲覧注意・コミュ障】中年の移民ニートが環境にブチ切れて99人射殺!  乱射魔ジベリー・ウォンの凶悪で身勝手な苛立ちとは?の画像9事件直後の現場 画像は「Murderpedia」より引用

■「英語が下手ですみません」犯行声明の内容

 事件直後、なぜジベリーがこのような犯行を起こしたのか、動機は不明と報じられた。精神病歴もなく、大人しい人物と見られていたからだ。

【閲覧注意・コミュ障】中年の移民ニートが環境にブチ切れて99人射殺!  乱射魔ジベリー・ウォンの凶悪で身勝手な苛立ちとは?の画像10ジベリーの犯行声明 画像は「Murderpedia」より引用

 しかし犯行の直前、ジベリーはニューヨーク州シラキュースのテレビ局に「人を撃つ」という犯行声明を送っていた。冒頭に「英語が下手ですみません」と書かれたその声明には、「覆面警官に18年監視され続けてきたから」人を殺すことにしたと書かれていた。汚い手書きの声明文には、他にも「ジョンソン・シティに住んでいた1994年、警察は13回も私の家に不法侵入した」「1990~1995年、ニューヨークの覆面警官が自分を交通事故に巻き込ませようと、運転中に何度も横入りしてきた」「警察のせいで私は無職になった。そのせいで貧乏になった」などという被害妄想満載の内容が含まれていた。

 声明文の日付は3月18日だったが、封筒には事件当日の消印が押されていた。スペルも文法も間違いだらけの声明文を書き上げてから、毎日、ジベリーは乱射事件を起こそうと計画を練っていたのだ。


 家族と共にアメリカに移住した当初は、新生活に夢を抱いていたというジベリー。同じ移民仲間や、移民のために働く職員に向かって銃を乱射した彼は、サイコパス以上に凶悪だと全米が強く批難した。ジベリーの事件によって、アメリカ国民の移民や難民に対する印象が悪化したともいわれている。

参考:「The New York Times」、「Murderpedia」、ほか

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