奇習! 我が子に“焼殺される”ことを乞い願う老人たち…! 山梨県に実在した無慈悲すぎる「姥捨て」習慣の実態

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abandoning_2.jpg画像は「Thinkstock」より引用

「今はこういう時代ですから、私みたいな年寄りだって、こうやって、こう、生きていられるでしょう? けれども、昔はそんなこと、考えられなくって、自分から三途の川を渡らなくちゃいけない。だから本当ならば、私だって、今頃、息子やなんかに、“燃してくれ”と言うべきなんですよ。こんな年寄り、いつまでも生きていたって、何の役にもね、立ちやしないんですから」


 当地における「老人の焼殺」ともいうべき習慣においては、いずれの家庭においても、彼ら“死期を悟った高齢者”による「自己申請」という形で実行されていたという。しかし実際には、彼らの多くは必ずしも死期が迫っているというわけではなく、あくまでその貧困生活の中で、「若い世代の家族の足手まといになりたくない」という切なる願いから行われていた、というのが実態であったという。


「みんな、熱かっただろうにねぇ……。それでもね、誰しもね、心配させたくないと思って我慢すんの。悲鳴ひとつ上げやしない。それはもうね、忍耐強いものですよ……」


 若い世代の生活を守りたい一心から、自ら焼殺されることを選んでいったという当地の高齢者たち。その後の時代に暮らす我々は、そうした彼らの犠牲と想いの上に、毎日の時間を紡ぎ続けている。

※山崎さんは平成28年10月7日、ご逝去されました。

(取材・文/戸叶和男)


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コメント

1:匿名 2017年5月2日 03:50 | 返信

口減らしに「焼殺」を用いるというあたりは、いかにもこのシリーズらしい荒唐無稽さ。
だが、冒頭から取材対象者の状態を説明したのはうまい。
これなら、ディティールがぼんやりしていても、老人の体調や記憶違いのせいにできる。
最後に死去を悼む一文を入れる演出も、工夫を感じて好印象。
ただ結局、老人が他の取材者と同レベルの饒舌にしか感じられないのは不満点。
読みやすさを重視したのかもしれないが、せっかく取材者のキャラクターを他の記事以上に書き込んだのだから、そこを活かしてほしかった。今後に期待。

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