報道なのに“客観性ゼロ”!? 主観まみれのニュースを現役記者が暴露「社会的制裁を加えてやろうと…」

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報道なのに客観性ゼロ!? 主観まみれのニュースを現役記者が暴露「社会的制裁を加えてやろうと…」の画像1※イメージ画像:『テレビ報道記者』(ワック)

 テレビのニュース番組や新聞など、いわゆる報道機関で記事原稿を書いている記者たち。報道であるため、そこには主観を入れずに完全に公平なものにしなければならないが、書いているのが人間である以上、感情が入ってしまうこともあるのではないか。

 最近は主観めいた記事も目立っているが、実際に現場の記者はどのような思いで取材し、記事を執筆しているのか、話を聞いた。

「それぞれの社に独自の方針があり、それにのっとって原稿が書かれていることはすでにご存じだと思います。しかし、それとは別に、現場記者の個人的な感情がはいってしまいレポート内容やニュース原稿が偏ってしまうケースが、正直言って今の時代はかなり多いです」(テレビ局報道局スタッフ)

 具体的にはどのようなレベルのものなのか。

「もちろん、基本的には公平を心掛けています。ただ、どうしても人間なので、事件記事では犯人が許せないという思いが前に出てきてしまうことがあります。特に最近多いと感じるのは、子どもの虐待死事件を追跡した女性記者の“偏り”ですね」(同)

 それはどういうことなのか。実際に女性の記者に聞いた。

「弱者である子どもを両親が虐待して殺すニュースが相次いでいますが、同じく子どもを持つ親としてはどうしても許せません。私的制裁といわれるかもしれませんが、報道による社会的制裁を両親に与えてやろうとの思いが頭をよぎることもあるんです」(報道部記者)

 私的制裁とは穏やかではない言葉だが、その内容も衝撃的なものだった。

「本来ならば、警察発表だけで書ける記事であっても、あえて親戚縁者などに徹底した取材をかけることもあります。たとえば学生時代の友人、行きつけの店にまで足を運ぶこともあります。

 インタビューを拒否されて記事にはならないことも多いのですが、取材で初めて事件を知る関係者もいるんです。このようなことを行えば容疑者は容易に以前の生活には戻れなくなります。それを見越して行動に出てしまうこともあるんです。大抵の場合は平気でも、やはり子どもが絡むとダメですね」(同)

 幼児・児童虐待のニュースはたしかに許せるものではなく、その気持ちはよくわかる。しかし、報道する立場として私的制裁は行ってはならないはずだ。

 今回、話を聞かせてくれた記者のように個人的なバイアスが、ほかのあらゆるニュースにも存在するとすれば、それは恐ろしいことだ。
(文=吉沢ひかる)

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