「津山三十人殺し」だけじゃない! 世間を震撼させた“日本刀殺人事件”3選、 勝新太郎の息子も…

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「津山三十人殺し」だけじゃない! 世間を震撼させた日本刀殺人事件3選、 勝新太郎の息子も…の画像4画像は「Thinkstock」より引用

 勝新太郎監督・主演で製作された最後の『座頭市』の撮影が、広島県福山市金江町金見の総合レジャー施設「みろくの里」で行われていた。昭和63年12月26日、立ち回りの最中、勝の長男で本作がデビュー作となる奥村雄大(たけひろ・24・当時)の持つ刀が、俳優の加藤幸雄さん(34・当時)の首に刺さり重体となり、翌年1月11日、急性循環不全のため入院先の岡山大学病院で死亡した。

 奥村に真剣を手渡した中村章・助監督(24・当時)は、「演技に迫真力をだすため、真剣を持たせた」と供述した。 だが、「真剣を使うのは、刀のアップを撮る時などだけ。大勢が絡み合うシーンで使うことなどあり得ない」と殺陣役の同僚俳優は語った。撮影は約80人の乱闘シーンであった。

なぜ模造刀ではなく真剣が使われたかについて、取り調べに当たった広島県・福山西署の捜査員は、助監督の説明では納得できないと首をかしげた。「真剣を使って2世の演技を引き立たせてやりたいという、勝の配慮があったのでは?」との見方もあったが、「真剣の使用を指示しておらず、また使用されていることも知らなかったために監督責任を問えない」として、勝は送検されなかった。

業務上過失致死、銃刀法違反の疑いで送検されたのは、奥村と中村、小道具係の3名である。奥村は当初、「真剣とは知らなかった」と述べていたが、後になって「真剣と知りながら撮影に使っていた」と供述している。

 いったいなぜ真剣が使われたのかはっきり分からぬまま、業務上過失致死罪で罰金20万円の略式命令となった。

奥村雄大は平成6年、鴈龍太郎の芸名で、勝が演出と主演を務める舞台『不知火検校』(しらぬいけんぎょう)で復帰し、映画やオリジナルビデオに出演している。
(文=深笛義也)

■深笛義也(ふかぶえ・よしなり)
1959年東京生まれ。横浜市内で育つ。18歳から29歳まで革命運動に明け暮れ、30代でライターになる。書籍には『エロか?革命か?それが問題だ!』『女性死刑囚』『労働貴族』(すべて鹿砦社)がある。ほか、著書はコチラ

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