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【日本奇習紀行シリーズ】 神奈川県

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画像は「Thinkstock」より引用

 1982年に公開された小原宏裕監督のロマンポルノ映画『白薔薇学園 そして全員犯された』では、研修旅行に向かう女生徒や女教師が、バスジャック犯や運転手に犯されてしまう様子が実に生々しく描かれている。また、1979年に梅川昭美が引き起こした『三菱銀行人質事件』などの事例でもわかるように、こうした事件を引き起こす犯人の中には、日頃、自身が抱えている鬱屈した想いの表れなのか、己の支配欲求を満たさんがために、また、逃亡を阻止するという合理的な目的などから、人質を裸にしたり、一方的に性的な暴行を加えたり、さらには『ソドムの市』を彷彿とさせる“酒池肉林絵図”を、自身で引き起こしたりと、その支配対象に対して性的な行為を含む虐待を強要するケースが珍しくない。実は今回ご紹介する事例は、まさにそうした内容を彷彿とさせる話だ。


「あれからもう70年以上経ちますか……もうそんなになりますかね。けれどもね、あなた。私は何十年経っても、それこそ、これから先、自分が死ぬ瞬間まで、“あの日のこと”は忘れないと思いますよ」


 自身がかつて体験したという、その“忌まわしき出来事”についてそう語りはじめたのは、現在、神奈川県某所にある特別養護老人ホームでその余生を過ごしている田中絹江さん(仮名・87)。今を遡ること73年前の1945(昭和20)年、当時、軍需工場での労働に就いていたという田中さんは、突然現れた一人の将校によって、思わぬ恥辱を味わうことになったのだという。


「当時、私はね、同級生たちと一緒に、家の近くにあった工場で、兵隊さんが使う武器をね、一生懸命になってこさえてたんです。けれどもね、終戦の年を迎える頃には、材料がね、ほとんどなくなってしまって、作業をしようにも、あらかじめ決められていた時間よりも早く、作業が終わるなんてことも珍しくなかったんです。だから、当時、私たちは“このまま楽な感じが続くといいね”だなんて、ひそひそと話し合っていたものでした」


 田中さんが証言するように、終戦目前の日本は、極度の物資欠乏状態が続いており、学徒勤労動員によってせっかく集められた女生徒たちも、ろくな作業もできぬ状態が続いていたのだという。しかし田中さんら女生徒がそんな毎日を送っていたある日、思わぬ事態が発生する。その工場を訪れた一人の将校が、彼女たちの“安息”を強引に奪い去ったのである。


「その人はね、どうでしょう、詳しいことはわかりませんけれども、まだ三十路前だったと思うのですが、いきなり現れたかと思ったら、全員に対して、“気迫が足りない”と説教したんです。それで、工場長はおろか、引率で来ていた先生にまで、私たちの前で暴力をふるって。それを見て、私たちは身がすくむ思いをしたのですけども、本当の問題はそれからでした」

コメント

4:匿名2018年8月29日 19:16 | 返信

まだ、この作り話シリーズを続けているんだ。

3:匿名2018年8月28日 21:24 | 返信

個人的には、そういうことがあってもおかしくない時代だったとは思うが、あの朝日新聞の本田某のやらかしした一件以来、裏付けとなる資料、物証の発掘が必須となっているのは事実。これが本当なら、信じるか信じないかは、あなた次第ってレベルの話じゃないんだからさ。だけど、物証っていったって、そんな記録や写真なんか残ってるはずもないし、「証言」がすべてのこの種の話は真偽の判断が難しいのも事実。となると、このライターがどういうツテでこの老女と接することになったのか、なぜ接点を持ったのか、そういう経緯も全部明らかにしてほしいと思うが・・・

2:匿名2018年8月27日 09:03 | 返信

従軍慰安婦には当然日本人も含まれていたからな
満州に連れられて行った従軍慰安婦は雑用どころか馬賊との戦いにも参加させられたし、流れ弾で死んだ慰安婦に対し「日本人女性を戦で死なせたとあっては恥だ」という考えのもとに中国人の服を着せて野ざらしにした

戦後もそれに報いるどころか迫害し、社会に居場所がなくなった彼女達を今度は米兵の慰安婦にした

1:匿名2018年8月27日 08:06 | 返信

従軍慰安婦よりずっと問題だろコレ

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