【ボストン絞殺魔/未解決連続事件・閲覧注意】女性を大量殺人ボストン・ストラングラーのすべて

■アルバート・デサルヴォという男

 アルバート・デサルヴォは1931年9月3日、マサチューセッツ州チェルシーに生まれた。父親はアルコール中毒で妻子にひどい暴力を振るう男だった。12歳の時父が逮捕され、それをきっかけに両親は離婚した。

 母との関係は良好だったらしいが、デサルヴォは幼年期から強い孤独感に苛まれていたといい、動物を虐待していた。本人によれば10歳頃にはセックスを覚え、同性愛者の男性に体を売っていたこともあったそうだ。12歳の時には住居侵入の罪で少年院に入った。

 記録によれば当時のデサルヴォのIQは93と、平均より低めだったという。少年院で変態行為と犯罪について学んだ彼は、その後も住居侵入や覗きなど、性的なニュアンスの強い軽犯罪を重ねていた。学校にはあまり通っていなかったようで、教師たちの記憶にも残っていなかったという。

1021boston-4.jpg画像は「Murderpedia」より引用

 1948年、17歳になったデサルヴォは軍に入隊し、ドイツへと派遣された。軍ではうまくやっていたようで、ボクシングの才能を見出されて活躍した。また、当時は大変にモテたようで、将校の妻らと多数関係を持ったという。

 22歳の時、デサルヴォはドイツで出会ったイルムガルトという女性と結婚、アメリカに連れ帰った。彼は妻にぞっこんであったが、強すぎる性欲を満足させることはできなかったという。日に6回もの性交を要求する夫に妻の方はうんざりしており、娘のジュディが生まれたのをきっかけに夫に冷たくなったという。

 デサルヴォが最初の性犯罪を犯したのはこの頃だ。1955年、親の不在を狙ってある家に侵入し、留守番をしていた9歳の少女にいたずらしたのである。しかし、少女の母親は子供がトラウマになることを心配し、告訴を取り下げている。デサルヴォは軍を名誉除隊し、地元のチェルシーへと戻った。

 1959年には息子マイケルが生まれ、デサルヴォは造船所で懸命に働いた。彼は家族思いであり、足に障害のある娘に対しても優しく、装具にリボンを蝶結びして飾り付けていたという。しかし彼は、結局ありあまる性欲に負けてしまう。モデルのスカウトマンになりすまし、若い女性に声をかけてアパートに連れ込み、サイズを計測すると言って体に触りまくったのである。

 警察には被害を受けた女性から苦情が殺到し、デサルヴォは1961年3月に逮捕されて懲役18カ月を言い渡された。模範囚だったことから11カ月で出所したが、愛する妻には冷たく拒絶された。

 ボストン・ストラングラーが一連の事件を始めたのはこの直後であった。

コメント

1:おぞましきこと 2018年11月12日 00:21 | 返信

共産圏の人権弾圧や拷問では、今だにおぞましいことが行なわれているらしい。
やっているのが犯罪者ではなく、公権だからたちが悪い。他人事ながら、我が身を犯される思い。どうにかならぬか、動物レベル以下!

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