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※2頁目に衝撃的な動画を掲載しています。苦手な方は文章のみご覧ください。

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画像は、「Liveleak」より

 ヒンドゥー教の女神ドゥルガーは、シヴァ神の神妃であり、デーヴァ神族の要請によってアスラ神族と戦った異形の戦闘神である。顔には3つの目、10~18本の腕にはそれぞれ武器を持ち、虎にまたがった姿とされるが、同じくヒンドゥー教の女神であるパールヴァティーやカーリーとも同一視されている。このドゥルガーを供養する祭りは「ドゥルガー・プージャ(ダサイン)」と呼ばれ、ベンガル地方を中心として毎年10~11月に開催される。そこでは、現在も動物を生贄として捧げる慣習が受け継がれており、その様子を収めた動画が海外の動画サイト「Liveleak」で公開されている。

 多くの人々が詰めかけた会場では、黒山の人だかりに掲げられた1匹の羊が長刀で容赦なく切断されていく。真っ二つになった羊の胴体からは内臓がドバドバこぼれ落ちる。羊の死骸は、祭壇の炎に投げ込まれてしまった。こうして生贄は、無惨に切り刻まれ、神聖な炎で焼かれ、ドゥルガーを慰める役割を果たすのだった――。

 今回の動画に見られるような生贄の儀式をめぐっては、各国で批判が相次ぎ、一部の国では法的に禁止されている。ネパールでは、ヒンドゥー教の宗派であるガディマイ寺院で、5年ごとに「ガディマイ祭り」が開催される。ガディマイ祭りでは、数十万頭もの水牛や豚、羊などの動物が殺されるため、特に問題となっていた。隣国インドの最高裁判所は2014年、ネパールへの動物持ち出しを禁止したが、この年は殺された動物の数が激減した。こうした経緯もあって、ガディマイ祭りをはじめ、ネパールにおける生贄の儀式は縮小傾向にある。個人宅で行われるダサインでも、スーパーマーケットなどで購入した肉を捧げる手法が浸透し始めているという。

 一方で、生贄の儀式を“伝統的行事”であるとして擁護する主張も根強く残っている。ネパールの古都パタンに住む尼僧、モハン・マイヤ・ジャさんは、次のように述べる。

「かつて、人間の生贄は究極の生贄――解脱を妨げるものは何もない状態――を象徴するものでした。しかし現代では、何よりも尊ばれるべき人命を宗教的象徴のために奪うわけにはいきません。ですから、儀式は動物の生贄に取って代わられました。今後、社会の意識がさらに進歩し、時代が変われば、動物を生贄にする儀式さえ消滅するかもしれません。しかし、宗教的伝統に対するいかなる干渉も許されません。抗議活動や裁判所には、慣習を始めたり終わらせたりする力はないのです。このような問題が良いか悪いかは、社会の判断に委ねられるべきです」

 米ミシガン大学の人類学者、ウエッブ・キーン教授は、「動物の生贄はある宗教に特有のものではなく、人類の動物的本能によって行なわれる普遍的な主題です」と述べ、イスラム教のクルバニやキリスト教の犠牲のスケープゴートなども挙げる。キーン教授の論に従えば、ヒンドゥー教の生贄だけを非難するのは不公平といえるかもしれない。

 生贄の儀式の残酷さばかりがフォーカスされるが、その背後には、動物を取引する商人たちの生活や、解体された動物を施される貧者の存在などがあることも忘れてはなるまい。ヒンドゥー教の女神ドゥルガーは血に飢えた凶暴さを持っている一方で、姿を変えたパールヴァティーは慈愛に満ちている。神に限らず、何事にも二面性はあるものだ。ヒンドゥー教の生贄の儀式についても、光と闇の両面から存廃を考えていく必要があるだろう。
(文=標葉実則)

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コメント

2:匿名2018年11月11日 23:46 | 返信

そもそも生け贄を欲しがる神って悪い神だよね?正体は宇宙人ですな!キャトルミューティレーションも宇宙人です。

1:匿名2018年11月11日 17:26 | 返信

生贄が本当に必要なのか、生贄を捧げなかったらどうなるのかを現代だからこそ伝統だの言わずに試せばいい。きっと生贄がなくても何も変わらないよ。

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