チャールズ・マンソン、史上最悪のカルトリーダー連続殺人鬼特集・青春時代編! 6才で女を洗脳、9歳で少年院…身長157cmカリスマの誕生

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<チャールズ・マンソン特集・後編はこちら28日20時配信>

チャールズ・マンソン、史上最悪のカルトリーダー連続殺人鬼特集・青春時代編! 6才で女を洗脳、9歳で少年院…身長157cmカリスマの誕生の画像1画像は「TMZ」より引用

 2017年11月19日、史上最悪のカルトリーダーの一人とされるチャールズ・マンソンが死去した。

 2017年1月、チャールズは服役中のカリフォルニア州立刑務所で胃腸出血を起こし緊急入院し、「危険な状態」だと報じられたが、その後退院。11月15日に入り、再び状態が悪化したため緊急入院し、呼吸不全のため4日後に死亡した。大腸ガンを患っていたことも伝えられている。享年83。

■死後も続く騒動

 死後、チャールズの遺体をめぐり「自分に権利がある」と主張する人が何人も現れた。裁判沙汰にもなったが、今年3月、裁判所は遺体の所有権は孫息子にあるという決定を下した。孫息子は3月17日、棺桶に横たわるチャールズの姿を公開して告別式を行い、20日に火葬。しかしいまだ、財産をめぐって揉め事が続いているのだ。

 有罪が確定した1971年以降、チャールズは犯した罪や自らのイメージで金銭を稼ぐことを禁じられている。しかし、狂気や暴力、そしてぞっとするサイコパスの象徴的存在だった彼を崇める者は一定数おり、彼が刑務所で描いた絵は、仲介人を介して飛ぶように売れた。

 表立って稼ぐことはできなかったものの、闇取引に近いルートで絵は売られ続け、40万ドル(約4500万円)もの遺産を遺したと伝えられている。さらに、死んだことでネームバリューがますます上がり、彼が描いた絵の価値もますます上がったと言われている。また、チャールズは数百万ドル(日本円で億単位)もの金を隠していたという話もある。

 その証拠として、チャールズが2014年に結婚する予定だった、26歳のペンパル女性は「チャールズを心から愛している」と主張したが、本当の狙いは彼の遺産と、死後、その遺体で金儲けすることだったのだ。そのことを知ったチャールズは直前で結婚を取り消した(詳しくはこちらの記事)。チャールズをめぐる遺産相続争いは、実のところ生前からずっと続いているのだ。

チャールズ・マンソン、史上最悪のカルトリーダー連続殺人鬼特集・青春時代編! 6才で女を洗脳、9歳で少年院…身長157cmカリスマの誕生の画像2棺に納められた遺体。画像は「TMZ」より引用

■文化の一部となった凶悪犯

 事件から50年近く経つ今なお、大勢の人がチャールズに興味を抱き続けている。

 これまで、チャールズに関する山ほどのドキュメンタリー番組が放送され、書籍が発売された。彼が作詞作曲した曲を、ガンズ&ローゼス、マリリン・マンソンといった名だたるアーティストがカバーしている。現在も、クエンティン・タランティーノ監督による、チャールズが起こした事件の新作映画が撮影されている最中だ。

 つい最近も、あるアーティストが自分の血でチャールズの似顔絵を描き、絵の目の部分にチャールズの遺灰の一部を振りかけた作品を公開したり(詳しくはこちらの記事)、「チャールズ・マンソンが刑務所で描いた絵に放尿した作品」が売りに出されたりと、チャールズで金儲けしようと企む輩は後を絶たない。

 大勢の美女たちを虜にし、自由自在に操り、殺人まで犯させた身長わずか157cmの男。そして、死してなおカリスマ的魅力を放ち続ける。一体、チャールズ・マンソンとはどのような男で、どんな人生を歩み、なぜ、そしてどうやって自分の手を汚さず凶悪な連続殺人事件を起こしたというのだろうか。

 

チャールズ・マンソン、史上最悪のカルトリーダー連続殺人鬼特集・青春時代編! 6才で女を洗脳、9歳で少年院…身長157cmカリスマの誕生の画像3若かりし日のマンソン。画像は「Murderpedia」より引用

■カリスマの生い立ち

 チャールズは1934年11月12日に、雄大なオハイオ川の河畔に位置するオハイオ州シンシナティに誕生。1929年に起きた大恐慌の影響が続く、暗い時代だった。母キャスリーン・マドックスは15歳で彼を妊娠、16歳で出産して未婚の母となった。父親はキャスリーンと短期間交際していたコロネル・スコットという男で、生まれた時から絶縁状態。アルコール依存症だった母親は売春で金を稼いだ

 4歳半の時、母親は兄弟とともに強盗未遂で逮捕された。強盗しようとした際、振りかざしたケチャップの瓶が凶器だと見なされて禁錮4年に処された。1杯の酒欲しさに、幼いチャールズをウェイトレスに売りつけようとするような母親だったが、チャールズは母親を慕い何度も刑務所に面会に行った。しかし、母親は彼にあまり興味を示さなかったという。チャールズは幼少期から「母親は信じられない。母親を信じられないくらいなんだから、他人などなおさら信じられない」と人間不信に陥った。

 母親が服役中、チャールズはウエストバージニア州に住む信仰深い叔父と叔母に引き取られた。毎週日曜日になると、祖母も合流して教会へと行った。チャールズは教会が大嫌いだったが、歌は好きだったため、賛美歌を楽しみにした。

●6才で女子を洗脳

 6歳の時、学校でチャールズが嫌っていた男子が女子たちにリンチされるという事件が起きた。驚いた校長が女子たちに理由を聞くと、みな「チャールズがボコっちゃえって言ったから」と答えた。この頃からチャールズは女性を洗脳する力を持っていた。しかし、その力にまだ気付いていなかったチャールズは「ぼくは何もしていないじゃないか!」と自分は悪くないと主張。そして、「自分は悪くないのに、批難され責任を負わせられるのは常に自分」だとひねくれていった。

 8歳になると母親が出所したため、母親と彼女が取っ替え引っ替え付き合う男たちと暮らすようになった。家に居場所がないチャールズは、ケンタッキーの山に住む叔父の家に入り浸るようになった。変わり者だった叔父から「俺たちは反逆者だ。死ぬまで反逆者だ。ヤンキーの学校なんて行くな」と言われたチャールズは、9歳の時、学校に放火。少年院に入った。

 少年院から出所しても万引きなどを繰り返すチャールズを、母親は「自分の生活が不安定だから」と引き取ることを拒み、裁判所に頼みこんでジボー・スクールという更生男子校に送り込んだ。10ヶ月後、チャールズは学校から逃げ出し母親のもとへ駆け込んだが、母親は彼を拒絶。以来、更生施設や学校から脱走し、食べ物や金欲しさに盗みを行い捕まるというパターンに陥るようになった。

チャールズ・マンソン、史上最悪のカルトリーダー連続殺人鬼特集・青春時代編! 6才で女を洗脳、9歳で少年院…身長157cmカリスマの誕生の画像4若かりし日のマンソン。画像は「Murderpedia」より引用

 13歳の時、チャールズはとうとう凶器を使った盗難事件を起こし、逮捕される。更生施設であるインディアナ男子校に送られたチャールズは、ここで凄まじい暴行と強姦を受け、合計して18回も逃走した。

 14歳の時に盗難罪で入れられた少年院から出所した時には、カトリック教会の聖職者フラナガン神父が作った少年の更生自立支援施設に入所することになる。インディアナポリスの地元新聞が「窮境に陥った少年にチャンスが与えられた」と写真付きで報道。神父と握手したチャールズは笑顔を見せていた。他の少年院とは違い、きちんとした施設だったが、チャールズは入所後、たった4日で逃げ出した。

 その後も、少年院に入れられては逃げ出し、盗みなどの軽犯罪を繰り返し、最終的にはバージニア州ピーターズバーグとオハイオ州シンシナティの連邦更生施設に入れられ、19歳の時、仮釈放された。このように、チャールズは、10歳の時から10年間の思春期、青年期を、少年院と更生施設で過ごしたのだった。

 

■成長後は女性を手玉に

 仮釈放されたチャールズは、1955年1月、20歳で最初の結婚をする。相手は17歳のウェイトレス、ロザリー・ウィリス。チャールズは色々な仕事をしたが、安定した職には就けず、生活のために泥棒をした。

チャールズ・マンソン、史上最悪のカルトリーダー連続殺人鬼特集・青春時代編! 6才で女を洗脳、9歳で少年院…身長157cmカリスマの誕生の画像5チャールズとロザリー。画像は「The Sun」より引用

 チャールズは、生前、米ABCのインタビューで、「拳銃を盗み、ロザリーと一緒にジョージアに行き、拳銃強盗をした。そして、盗んだ金でロサンゼルスに移動し、そこで御用になったんだ。21歳の誕生日は、ロサンゼルス郡刑務所で迎えた」と明かしている。

 ロザリーは、チャールズにとって最初の子供を出産したが、チャールズが服役中、別の男と恋仲になり駆け落ちした。ちなみに、ロザリーが産んだチャールズの息子は1993年、「自分の父親がチャールズ・マンソンであること」に悲観して拳銃自殺している。

 1958年9月に仮釈放されたチャールズは、盗みだけでなく、売春斡旋業を営むようにもなった。女性を手なずけるのが得意だったチャールズは、レオナ・スティーヴンスという女性を買春させたかどで逮捕されたのだが、レオナは警察に「悪いのは彼だけじゃない!」とかばわれてさえいる。

 1959年、チャールズ24歳のとき、レオナと2度目の結婚をする。息子のチャールズ・ルーサー・マンソンが誕生するも、チャールズは悪事を繰り返し、1960年に小切手を偽造したとして逮捕されてしまう。そして、「保護観察処分中の違反行為」として、禁固10年という長期刑に処されたのだった。

 この服役中、チャールズはレオナと離婚。刑務所内ではおとなしく、自己啓発書の元祖とされるデール・カーネギーの『人を動かす』を読んだり、新興宗教プロセス・チャーチやサイエントロジーの本を読んだりして、カルトに興味を示すようになった。

 また、ビートルズが爆発的に売れていることを知ると、音楽で大金を稼ぐという夢を抱くようになった。強盗殺人罪で服役していた悪名高きギャングのアルバン・カルピスら囚人仲間からギターを教わり、自らも作詞作曲するようになった。

 1967年、チャールズは突然出所するように言い渡された。服役して7年半しか経っていなかったが、刑務所が定員オーバーになったため、殺人犯などの凶悪犯罪者でなかった囚人を仮釈放する方針になったのだ。チャールズは「出たくない。また犯罪をおかしてここに戻ってくるハメになるから。自分には分かる。きっとこれまで以上に酷い犯罪をおかすことになる」と抵抗したが、聞き入れられることはなく刑務所から追い出された。

■フラワーチルドレンの時代

 マンソンが刑務所の中にいた60年代前半、アメリカはベトナム戦争が激しさを増すのに比例する形で、平和を求めて社会からドロップアウトする若者が増加していた。彼らはフラワーチルドレンやヒッピーと呼ばれ、60年代半ばにはサンフランシスコのダウンタウン、ヘイト&アシュベリーで共同生活を始めるようになっていた。

チャールズ・マンソン、史上最悪のカルトリーダー連続殺人鬼特集・青春時代編! 6才で女を洗脳、9歳で少年院…身長157cmカリスマの誕生の画像6マンソンファミリー。画像は「Murderpedia」より引用

 彼らは「幸せな気分になれる」と、現実逃避するかのように大麻やLSDなどの薬物を乱用するようになった。60年代後半になると、薬物で酩酊しながらラブ、ピース、セックス&ミュージックに浸ることが流行する。

 1967年に出所したチャールズにとって、外の世界は予想外に居心地のよいものだった。カリスマ性のあるグルのような雰囲気のチャールズをフラワーチルドレンたちは暖かく受け入れたのである。

 チャールズはまず、メアリー・ブルンナーというおとなしい性格の図書館職員を魅了し、彼女の家に転がり込んだ。そして、次々と女性を虜にしては、メアリーの家に招き入れて共同生活を送るようになった。

 中流家庭に育ちながらも大学進学の際に父親と対立、家出したリネット・フロームは、チャールズに「かわいそうに。パパに追い出されちゃったんだって?」と言われ、「理解してくれる人が現れた!」とたちまち彼の虜になった。同じく中流家庭に育ったが、両親が不仲で“本物の愛”を求めるようになったパトリシア・クレンウィンケルは、チャールズに「なんて美しいんだ」と言われ、会ったその夜にベッドインした。彼の虜になった女性たちは口を揃えて「彼からは本物の愛を感じる」「彼は絶対に嘘をつかない」と語った。

 チャールズは米ABCのインタビューで、「刑務所では嘘はつけない。嘘をついたら殺される。フラワーチルドレンたちは親から嘘ばかりつかれてきた。だから、真実しか語らない俺を心から信頼するようになったのだ」と、信者集めのコツを自慢げに語っている。

 

チャールズ・マンソン、史上最悪のカルトリーダー連続殺人鬼特集・青春時代編! 6才で女を洗脳、9歳で少年院…身長157cmカリスマの誕生の画像7マンソンファミリー。画像は「Murderpedia」より引用

■マンソン・ファミリーの誕生

 複数の女性が”愛と真実”を求めて彼のもとに集まり共同生活を始めるようになり、彼女たちは「私たちはマンソン・ファミリー」と言うようになった。しばらくすると、チャールズは男性も勧誘するようになった。大学でアメフトをしていた、ガタイの良いボディガードにぴったりなテックス・ワトソンもその一人。チャールズはファミリーの中でもかわいい女性に、仲間に入れたい男たちとセックスするように命じた。「女を提供してやる」ことで、男たちの上に立ったのだ

 ファミリーのメンバーみんなが、これまで接したことがないタイプの人間であるチャールズに心酔し、従った。チャールズはギターを奏で、自分で作詞作曲した歌を歌い、瞑想を行い、カリスマ性を高めていった。

 ちなみにマンソン・ファミリーは当初、チャールズの保護観察官に監視されていた。保護観察官は、女性たちが洗脳される様子を間近で見ていたが、どうすることもできなかったと今なお悔やんでいる。

 1967年の夏、ファミリーは、大きなバスに乗りサンフランシスコからロサンゼルスの各地を転々とする生活をスタートする。そんなことをしても誰も不思議に思わない、ヒッピーの時代だった。

 ロサンゼルスでは女性メンバーを通してビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンと知り合いになり、女たちを餌にファミリー丸ごと彼の邸宅に移り住んだ。チャールズはデニスを洗脳し、生活費を払わせたニール・ヤングなどスターにも自分を紹介させた。デニスのスタジオでレコーディングを行い、ミュージシャンとしてデビューすることを企んだ。

 しかし、その願いはいつまでたっても叶わない。それどころか、チャールズが作曲した作品の歌詞を変え、デニスは「自分が作詞作曲した」としてビーチ・ボーイズからリリースしてしまった。「Never Learn Not to Love」という曲なのだが、これを知ったチャールズは大激怒。「お前も子供たちも殺してやる」という意味を込めて、デニスに弾丸を送りつけた。

『Never Learn Not to Love』 動画は「YouTube」より引用

 デニスと不仲になって彼の邸宅から引き上げたマンソン・ファミリーは行き場所を失う。だが、1968年8月、ロサンゼルスの郊外にある、その昔、西部劇の撮影所として使われていたスパーン牧場に移り住む。オーナーは、80歳で目の不自由な高齢老人ジョージ・スパーンであった。

 この家を見つけたのはチャールズの赤ん坊を身ごもっていたスーザン・アトキンスであった。スーザンは、15歳で母親を亡くしたのち、親戚をたらい回しにされ「愛」に飢えていた女性だった。彼女もまた、チャールズのことを「イエス・キリスト」だと信じ、尽くしていた。

■事件への布石

 チャールズは不仲になった後もデニスと連絡を撮り続けた。デニスの親友で往年の大女優ドリス・デイの息子である、音楽プロデューサーのテリー・メルチャーとのコネが必要だったからだ。

 ハリウッドに生まれ育ったテリーは、デニスとは異なり、どんなタイプの人間とも付き合うような男ではなかった。レコード会社との契約が欲しいチャールズが、女を連れてテリーが住むロサンゼルスの高級住宅地ベネディクトキャニオンのシエロ・ドライブに現れた時も、門前払いした。

 しかし、個性的なチャールズに音楽の才能があるかどうかを確かめたかったテリーはスパーン牧場を訪ね、キャンプファイヤーを囲み、ファミリーと歌うチャールズの音楽を聴いた。テリーは最初、興味を持った。しかし、帰宅後「よくよく考えてみると、そんなに大したことはない」と考え直し、やはり契約はしないとチャールズに連絡した。

 チャールズはABCのインタビューで、「契約を結ぶという意味は、約束を守るか、命を失うか、2つに1つだ」と強い口調で言っていたが、テリーに契約を断られ、ロックスターになる夢を断たれた瞬間、チャールズはハリウッドのエリートたちに対して復讐を誓ったのだった――。
(堀川英里)

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