「魔境に入っていた…」瞑想業界に激震、東大卒僧侶・小池龍之介が解脱失敗を懺悔! 一体どういうことか…徹底解説!

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画像は「getty images」より引用

 また、小池氏が“魔境”に入り込んだのは決して彼だけの責任ではないという。そこにはタイ仏教が抱える構造的な問題があるそうだ。

「一口にテーラワーダ仏教と言いましても例えばタイとミャンマーでは性格が若干異なります。ミャンマーでは『アビダルマ』や『清浄道論』といった伝統的な教説や注釈書を徹底的に学びますが、全体的な傾向としてタイ仏教の森林派は、『アビダルマ』や『清浄道論』などの仏教哲学を必ずしも重視しない空気があります小池さんはタイの森林派の系譜において修行されたようなので、教学の知識が不足しているのも納得出来ます。ミャンマーのテーラワーダ仏教は極論を言ってしまえば、卓越した波羅蜜(修行)としっかりとした経典、アビダルマの知識があれば師はいりません。自分がどういう状態にあるか、”理論上は”自分で分析することができるからです。しかし、先ほど申しました通りタイの森林派ではそういったベースとなる仏教哲学を”必ずしも”重視しない傾向がありますから、『瞑想だけしてればいい』という考えに外国人修行者は特に陥りがちです。すると自分の経験が絶対化してしまいますので、小池さんのように誇大妄想を爆発させた“魔境”に入り込んでしまう場合があります。ただ彼に人を騙そうという気はなかったと思います。本当にそう信じていたのでしょう。私見では、必ずしも仏教哲学を重視しないタイ森林派は、指導比丘(出家僧)がいる僧院といった環境があるからこそ真に機能するものです。それ故に師をとらない状態で学ぶと道を誤った際の早期修正が効きにくいのではないかと思います。たとえば、タイ仏教の有名なお坊さんにアーチャン・チャーという方がおられます。彼の著書は日本語にも訳されていますが、彼は『教学は自分の心から学べ』と言っているんです。これは知識偏重を諌めるための発言だったのですが、これだけ読んでしまうと『瞑想だけでいい』と思ってしまう危険があります

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[増補版]手放す生き方【サンガ文庫】(アーチャン・チャー著)

 路上生活の途中で小池氏が瞑想することができなくなってしまった理由も分析してもらった。

「小池さんが瞑想ができなくなった原因を私なりに考えてみました。瞑想にはいくつかの段階があるのですが、最初の初禅をちゃんと習得していないのに、第二禅を行ってしまうと、初禅さえもできなくなる状態に陥るということが経典で言われています。おそらく小池さんはしっかりと段階を踏まずに瞑想のレベルを上げてしまったため、以前獲得していた瞑想の段階にすら到達できなくなってしまったのではないでしょうか。この解釈が正解かどうかは分かりませんが、少なくとも小池さんに経典と教学の知識があったら、自分の状態について一定の理解を得ることで無駄に苦しまずに済んだのではないかという気がします。ただ、今回、小池さんが自分の力で魔境から抜け出して来られたことは敬意と賞賛に値すると私は思います」

 教学の知識、師の欠如、そしてタイ仏教という特殊な事情が加わり小池氏は道を踏み外してしまったようだ。しかし、彼の失敗から学ぶところも多くあるだろう。小池氏の懺悔に対し、自身も瞑想を実践している哲学者の永井均氏も、「この『懺悔』を聞いてむしろ彼に対する敬意が深まりました。解脱なんかするよりよほど立派なことで学ぶところも多いと思います」とツイッターで発言している。

 今後、小池氏は人に瞑想指導することも、書籍を執筆することもせず、少ない人間関係の中でひっそりと瞑想を続けていくとのことだ。小池氏を無責任だと批難する声もあるかもしれないが、むしろ誠実に自分が増上慢であったと告白し、懺悔した勇気に心から敬意を表したい。

文=編集部

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