9月12日はPFLP旅客機同時ハイジャック事件が終結した日! 人質解放直後に3機を爆破、テロ組織「黒い9月」誕生のきっかけに…

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(写真はWikipedia Dawson’s Field hijackings より。Public Domain)

『パレスチナ解放戦線にハイジャックされ、その記者発表中に革命空港に着陸させられた英国海外航空のヴィッカースVC-10(左)とトランスワールド航空のボーイング707(右)の2機』

 1970年9月12日は、9月6日にパレスチナ解放戦線(PFLP)が起こした同時多発ハイジャック事件、「PFLP旅客機同時ハイジャック事件」の最終局面で、人質を解放した3機が爆発した日である。

 世界各国で囚われていたPFLPメンバーやその関係者の解放を目的にしたこの同時多発ハイジャックは、9月6日の4機同時を含め(うち2機は失敗)、全部で5機をハイジャックするという史上最大のスケールで行なわれ、アメリカ、ソ連を含む世界規模での6日間もの長期にわたる人質引き渡し交渉となった。

 まず、ハイジャックに成功した3機はヨルダンのアンマン近郊にある「革命空港((旧ドーソンズ基地))」に集められ、421人もの人質の生命が賭けられた交渉に突入。

 最終的に「人質の解放と同時にPFLPメンバーの解放」を列強国は約束し、全人質が解放されたが、「イスラエルと国際社会の対応に対する抗議」として残る3機は爆破された。

 その後、PFLPはヨルダン内戦を経て追放されることになるが、この時の苦い経験が後に“Black September(黒い9月)”と呼ばれ、パレスチナ解放戦線(PFLP)の統括組織、パレスチナ解放機構(PLO)内に作られたテロ組織の名称となった。

 1972年9月5日の「ミュンヘンオリンピック事件」、1977年10月13日の「ルフトハンザ航空機ハイジャック事件」というその後の“黒い9月”の犯行は、この時に生まれた因縁によるものであり、さらにPFLPは1973年7月20日、日本赤軍との「ドバイ日航機ハイジャック事件」へと向かってゆく。

 PFLPの数々のテロ行為をもってそれを“正義”とは形容し難いが、1970年9月の“黒い結末”が“黒い未来”を描いていったということは、歴史が証明している事実なのである。

 

<トカナ 今日の不幸を記憶するブラックカレンダーより>

編集部

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