【閲覧注意】パリ人肉事件 ・佐川一政の“血を分けた弟”、自らも抱える2つの“忌わしい性癖”を本人が解説!

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写真:河西遼


■異性に対して


 ここで、では異性に対してはどうなのか?である。二の腕苦痛フェチに関してはやがて大人になってから、所謂SMと結びつく事になる。それもカニバの弟で書いたが、高校生の頃雑誌に出ていた女性が縛られている絵だか写真だかを見た時に、自分の二の腕苦痛フェチと結びついてしまったのだ。「しまった」と言ったのは、勘違いというヤツで、その時僕はSで女性を縛るのが好きだと勝手に解釈してしまったのだ。

 それでも、自分の二の腕への苦痛願望はなくなる訳ではなく続いていた。寒冷フェチの方はと言うと、相変わらず冷水を浴びる日々が続いていた(笑)。テレビでは当時それを助長させる様なシーンがけっこう目白押しで、ビキニ姿でスキーを滑ったり、氷室の中に女性を入れたりする番組もあって、むしろそれはSとしての自分がいるのだった。今、Sとしての、と書いたがその辺りの疑問は未だに残っている。と言うのは、寒冷フェチな女性を見る自分は一体Sなのかどうかということだ。

写真=河西遼。苦痛フェチが高じてボロボロになった腕。カッターやキリ、有刺鉄線などで日々痛めつけている


 そこで、最近は次の様に無理矢理解釈する様にしている。つまり寒いとか冷たい女性がいるとする。その女性の皮膚感覚を、自分に置き換えて感じようと。「ああ、この女性は今寒いのだろうな、きっと」と。ややこしいと言えばかなりややこしい(笑)話だ。これは自分の中のSとMが一体化しているのだと思う。かと言って、自分が寒がっているのを人(女性)には見られたくない。そんなMの自分は封じ込めたい、と思ってしまう。もちろん、それは時間の問題かも知れない。やがて見られてもいい自分を発見するかもしれない。

 “フェチ”の話をする予定がかなり横道にそれてしまったが、二の腕苦痛願望のフェチと、寒冷フェチとが自分の中では性的願望として息づいているのは確かである。

■性的ではないフェチズム

 さきほど、僕は「性的な願望」と書いたがフェチズムは性的でなければダメなのか? と言う疑問も湧く。というのは、僕はこの歳になってもぬいぐるみが好きだ。なんでそうなのかと言うと、それこそ幼少の頃、寝る際に布団を顔の口元あたりまでもっていっていた。それは多分母親への乳離れができなかったためそうなったと考えられる、いやそう思いたい。そして布団ではなくぬいぐるみもまた、こよなく愛す自分になっていた。この場合のフェチこそフェチなのかもしれない。もちろん性的な対象ではない。むしろ親離れできない幼い自分がいて人様には見られたくない姿なのだが。

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