12月25日はルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスクが妻とともに射殺された日! 公開処刑で120発以上の弾丸を浴び…

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(画像は『STILL UNFOLD.com』より使用)

『革命軍により判決後即日銃殺されるチャウシェスク大統領夫妻』撮影=Almog

 1889年12月25日は、24年間にわたりルーマニアの独裁者として君臨したニコラエ・チャウシェスクが、妻のエレナとともに射殺された日である。


 ルーマニア社会主義共和国国家評議会議長、初代大統領、ルーマニア共産党書記長として、1960年代からルーマニアを牛耳っていた独裁者であったが、1989年のポーランドの民主化を受けて国内情勢が民主化に傾くと、ソ連にも見放されたチャウシェスク政権は孤立し、同年12月にルーマニア革命で失脚。


 逃亡していった先のトゥルゴヴィシュテで23日に身柄を拘束された。


 そして2日後のクリスマスに、臨時政府によって開かれた公判により、「ルーマニア革命」の60,000人といわれる大量虐殺と10億ドルといわれる不正蓄財の罪状で死刑判決が下された。


 そして外に連れ出されると、妻のエレナと共に反乱軍により銃殺されたのである。


 連れ出されている最中には、エレナは口汚く「You Mother Fucker !」のような意味の言葉を叫び、チャウシェスクは国歌を歌っていたという。


 そしてチェウシェスク夫妻にはそれぞれ120発ともいわれる過剰なまでの銃弾が撃ち込まれた。


 その映像はその日のうちに国内外に公開されたのだが、その模様は既に死んでいる老人二人を撮影用に打ち続けた模様であったともいわれている。


 国際的には批判を浴びることとなったその死刑映像の公開であるが、その行為自体、長きにわたり絶大な権力を誇った人物への恐怖を証明しているともいえるだろう。


 既に独裁者は死んではいたが、いち早くその死亡を報じなければ、革命の成就も危ういと考えていたのだ。


 全国民の90パーセント以上がキリスト教徒というルーマニア国民が、主の聖誕祭に処刑を断行しなければならないほど、彼らの生活は追い詰められていたのだ。

 

<トカナ 今日の不幸を記憶するブラックカレンダーより>

編集部

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