4月5日はロックバンド「ニルヴァーナ」のカート・コバーンがショットガン自殺を遂げた日! カリスマ的人気の裏で抱いていた罪悪感とは…?

4月5日はロックバンド「ニルヴァーナ」のカート・コバーンがショットガン自殺を遂げた日! カリスマ的人気の裏で抱いていた罪悪感とは…?の画像1
(画像はWikipedia Suicide of Kurt Cobainより使用)

『カート・コバーンがノートに書き残したとされる遺書』

 1994年4月5日は、「ニルヴァーナ」のメンバーとして世界を席巻したロック・ミュージシャンのカート・コバーンが、ショットガンで頭部を撃ち抜き自殺を遂げた日である。


 1991年のメジャー・デビュー・アルバム『ネヴァーマインド』でビルボード200チャートで1位を獲得、いきなりの大ヒットで世界的人気を獲得し、1990年代のグランジ・カルチャーのアイコンとしてカリスマ的人気を誇るアーティストとなったコバーンであったが、その奇跡的な成功譚とは裏腹に、自らの“ヒット狙い”の戦略を気に病んでいたという。


 そもそも生来の双極性障害に患っていたことに加え、自らが理想とする表現と周囲の要求するものの狭間で、重度の薬物依存を発症し、メジャー・デビューからたった2年半後の1994年3月3日には滞在先のイタリアのローマで、オーバードースでの自殺未遂騒動を起こしている(後日妻のコートニー・ラヴは自殺であったとコメントしたが、捜査員はそれを否定、事故であると発表している)。


 鬱病に加え、常時原因不明の胃痛にも苛まれていたいたコバーンにとって、「ヘロインの使用は(それらの症状を避けるための)選択であった」と自ら語っている。


 妻やバンドのメンバー、その他近親者もそれを知っていた状態であったが、スーパースターとしての彼は依然として必用とされ続けていたために、その活動は止まることがなかった。つまり、彼が死ぬことはもはや“公然の事実”といった状況で、晩年のコバーンは生きていたのだった。


 そして1994年4月8日、ショットガンで頭部を射抜かれた状態のコバーンが自宅にて発見された。


 他殺も疑われるようなひどい状況であったために司法解剖が行なわれ、その結果、死亡日は5日と断定され、遺書となった手書きのノート等の状況証拠から自殺であると断定された。


 そのノートにはフレディ・マーキュリーのように観衆とスポットライトを浴びる“ロックスターであることの快感”を持たない自らの苦悩を説明し、そう繕ってきた自らのパフォーマンスへの罪悪感が書き綴られていた。


 そして遺書の最後に、自らが敬愛したニール・ヤングの『My My, Hey Hey』の歌詞を引用し(it’s以下の文章)、「I don’t have the passion anymore, and so remember, it’s better to burn out than to fade away.(情熱が既に無いので、じわじわといなくなるよりも、燃え尽きてしまった方がいい)」と結んだ。


 たった2年半余の活動期間で世界に絶大な影響を与えたミュージシャンが、その裏で常に抱いていた罪悪感から解放されたというなら、我々はカート・コバーンの自殺を“不幸”といえるのであろうか?

 

<4月5日に世界で起こった不幸な出来事一覧はコチラ>

編集部

プレスリリース入稿はこちら サイゾーパブリシティ