5月31日はオーストリア帝国を代表する音楽家フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが死亡した日!

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(画像はWikipedia Joseph Haydnより使用。Public Domain)

『ハイドンの肖像画』画=トーマス・ハーディ

 1809年5月31日は、現ドイツ国歌『神よ、皇帝フランツを守り給え』をはじめとした数々の交響曲作品で“交響曲の父”といわれオーストリア帝国を代表する音楽家、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが死亡した日である。


 5月26日に『皇帝賛美歌』を、いつもとは違うアレンジで3回演奏した後の夕方に倒れ、そのまま31日に死亡した。


 しかし、ハイドンの悲劇はそこで終わらず、その遺体の首は切断され、150年もの間、胴体とは違う場所をさまようことになるのだった。


 その首を切断し持ち帰ったのは、オーストリア刑務所のヨハン・ペータ−、そしてジョセフ・カール・ローゼンバウムというハイドンに心酔していたエステルハージ家の書記で、埋葬の際に参列者達に賄賂を掴ませての犯行であったという。


 彼らの目的は当時流行していた「骨相学」的観点から、“天才の脳の大きさとその才能には関連性があるのか?”という命題を検証しようとしたということであったが、その紛失が発覚した1820年に両者から戻された頭骨は、それぞれが偽物であったという。


 天才作曲家の頭部は失われたままの状態がそれからも続いたが、様々な人物のもとを経て、1954年、その死後からおよそ150年後に、ようやくアイゼンシュタットに眠っていた胴体の元に戻ってきた。


 本物を最後に所有していたのはウィーン楽友協会。


 その組織からの返還により、天才の遺体は不幸な別離を終えた。


 屍となっても多くの人々を惹きつけて止まない——ハイドンの“頭蓋骨”を巡る物語は、ハイドンがいかに絶大な才能を世界に披露していたかということをよくあらわしている。

 

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編集部

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