6月14日はオーストリア大統領クルト・ヴァルトハイムが死亡した日! 元ナチスという経歴から諸外国への入国を禁止された異色の国家元首

6月14日はオーストリア大統領クルト・ヴァルトハイムが死亡した日! 元ナチスという経歴から諸外国への入国を禁止された異色の国家元首の画像1
(写真はWikipedia Kurt Josef Waldheimより使用。Public Domain)

『ナチス突撃隊に所属していた際のクルト・ヴァルトハイム(左写真左から2人目)と、その1971年撮影のポートレート』

 2007年6月14日は、第6代オーストリア大統領を務め、その大統領選挙中にナチス突撃隊の前歴が発覚したクルト・ヴァルトハイムが死亡した日である。


 第二次大戦戦後、オーストリア外務省に入省しパリ駐在のオーストリア公使、カナダ駐在大使を経て、1964年には国連のオーストリア代表に就任。


 さらには1972年に第4代国際連合事務総長までを歴任し、オーストリアきっての国際派のエリートとして、1985年の大統領選に出馬したヴァルトハイム。


 しかしその選挙期間中にジャーナリストのアルフレッド・ウォルムが週刊誌『Profil』上でヴァルトハイムの自伝に掲載された経歴に消された期間があることを追求し、結果的に世界ユダヤ人会議やアメリカ、イスラエル、フランス、イギリスなどの各国政府を巻き込んだ「ヴァルトハイム事件」なる反当選キャンペーンへと発展した。


 しかしオーストリア国民はその動きを内政干渉と反発し、ナチス突撃隊への所属は認めたものの、処刑行為には加わらなかったと主張したヴァルトハイムは、第6代オーストリア大統領に見事当選。


 そしてその任期中は、反対した諸外国からは「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましくない人物)」とのレッテルを貼られ、大統領という立場にもかかわらずほぼ海外を訪問しないという不思議な状態に陥ったのだった。


 しかもその「ペルソナ・ノン・グラータ」とは元々1961年にオーストリアで行なわれた「ウィーン会議」を基準とした「ウィーン条約」で規定されたものであったのである。


 6年の任期を終えたヴァルトハイムは再選に出馬することもなく、静かに余生を送り2007年6月14日にウィーンの自宅で死亡した。


 その葬儀には生前のヴァルトハイムの希望で、ほぼ全ての国家元首は招待されなかった。


 例外的に、シリアと日本(大統領任期中に公式訪問した数少ない国のひとつ)だけがその墓を弔問しただけであるという。


 一国の宰相から国連事務総長までを務めたにもかかわらず、極めて静かにこの世を去ったナチス出身の大統領。


 その人生は、栄光と呼ぶにはあまりにも静かで暗い影を落とす最期となった。

 

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編集部

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