■「自分の体は卑猥なのか」という問いかけ
――死体写真家として知られる釣崎清隆さんも、よく印刷所に拒否されると聞きました。
酒井 まぁ、そうでしょうね(笑)。昨年、釣崎さんが切断された女性の手首の写真を展示していました。30代~40代以上は(かつての雑誌などを通して)グロ画像などにもある程度の慣れがありますが、若い世代は死体写真に免疫がないんですね。あの写真を見て「本物ですか?」と聞かれることがありました。
――死やエロに対して免疫のない世代が出てきているんですね。
酒井 本来、死もエロも遠ざける理由はないはずです。だから、展示も18禁にはしていないんです。なぜならお父さん、お母さんの裸と違いがないからです。展示を見て、「卑猥だ」と感じた人がいるとして、自分がお風呂に入ったときに自らの裸を見て「私、卑猥?」と思うでしょうか。また、自分のおじいちゃんやおばあちゃんの死体に対して、忌み嫌ったりもしませんよね。
人の裸に線引をすること。また、誰しもに平等に訪れる死を見えないようにすること。それが不自然に思えるので、そういった問題意識を表明するために「消された展」を続けているともいえます。
――たしかに、一線を設けることには理屈が通らない面もありますよね。
酒井 私は女性の裸を撮った作品が多いのですが、マキエマキさんという作家は、自分で自分の裸体を撮っているにもかかわらずSNSにアップロードすると消されることがあります。これは「あなたの身体は卑猥だ」と一方的に宣言されているという構図になりますよね。マキエさんをはじめ自らの体を被写体にする作家さんは、「消された展」により強い思いがあるのではないかと思います。
――なるほど。「消された展」には作家さんたちの切実な思いが込められているのですね?
酒井 「なぜイヤらしいと思うのか」「なぜ不快と思うのか」を考えてほしいんです。そういった情報をシャットダウンして、考えることを止めてしまうと人生はつまらなくなると思います。
人の体には、「ここからここまではアートで、ここからはポルノ」という基準はないはずです。19世紀の画家・ギュスターヴ・クールベの「世界の起源」という絵画があります。単刀直入に言って、女性器の絵ですが、しかしこれはアートです。
時代、文化によって猥褻という概念は変わるものなのです。例えば、江戸時代の日本では乳房はイヤらしくなかったですし、明治時代では接吻が一番イヤらしいこととされていました。