■規制の変化を逆手に取った痛快さ
――ここ数年で、表現規制に変化はありましたか?
酒井 だんだん厳しくというか、考え方が変化している気がします。ひと昔前に児童ポルノは特殊な表現法として存在していましたが、今は絶対にダメですね。フェミニズムに関しても、声が届きやすくなった気がします。AVでは引退した女優さんに二次使用料が支払われるなど、被写体側の権利も守られるようになってきています。撮影する側としては、被写体に身分証の提示を求めるなどの手間も必要になりました。
ただ、もともとフェイスブック、インスタグラムなどの規約は、リベンジポルノ、児童ポルノ、人身売買など法律で規定された犯罪行為の防止に主眼を置いたものであって、裸を撮って(撮られて)喜んでいる人を規制しようと思っていたわけではないはずです。その本来のルールが適正に運用されていれば、ほかは問題ないはずだと思います。
――現在、たとえばツイッターなどは一国の大統領のアカウントさえバンすることがあります。このように民間企業が、人々の言論や表現を封じ込めることをどう思いますか?
酒井 結局は彼らのプラットフォームですからね。他人の家で焚き火をしているようなものです。(大統領とはいえ)止めろといわれれば止めるしかないのかもしれません。
だから僕らは、SNSで削除・警告されるものを自分たちのプラットフォーム、つまり展示という形で表現しましょう、という姿勢です。ただ、ギャラリーにもかなり断られました。展示を続けてくれているCORSOさんには感謝しています。
――酒井さんが「消された展」の主催者として3年も続けられてきたモチベーションが理解できた気がします。
酒井 さまざまな作家が参加するグループ展で、かつテーマがしっかり決まっているのがいいんでしょうね。「消された」という言葉にインパクトもありますし。3回目なので、似た作品ばかりにならないよう作家たちが模索している姿も刺激になります。新しい人に負けないように、いい作品を撮りたいですし。
私が最近、個人的に衝撃を受けたのは、キュレーター・櫛野展正さんの『アウトサイドジャパン展』です。この展示は本当に自分のやりたいことをやるという、ある意味“負のエネルギー”がスゴかった。やりたい表現を自分でもしてきたつもりでしたが、どこかで「ウケたい」「喜んでもらいたい」と考えていたことに気付かされました。