『処刑場へ渡ることを拒むゾウのトプシー』

1903年1月4日は、ニューヨークのサーカスで生まれ育ったアジアゾウのトプシーがエジソンの電気会社により電気ショックで処刑された日である。
ニューヨーク・コニーアイランドの遊園地「ルナパーク」内のサーカスへ1875年にやってきたトプシーは、幼少期からの虐待のストレスが原因なのか、3人の調教師を殺していた。
一部の報道では12人を殺したとされていたが、それは“凶悪なゾウ”を喧伝するために水増しされていた可能性が疑われており、実際には5〜6件の殺人事件(観客を含む)であったようだ。
そして、サーカスのオーナーはトプシーを扱いきれないとして薬殺を決定したが、トーマス・エジソンの電気会社「Edison Electric Illuminating Company of Brookly」が、その業務的なプロモーションとして電気ショックによる死刑を提案。
さらにエジソンの映画会社が記録映像を撮影し、衆人環視の中で、“凶悪なゾウ”の電気ショック刑が断行されたのだった。
この写真は写真左にある橋を渡って処刑場に向かうトプシーの写真である。
係の者はニンジンやリンゴを餌にしておびき寄せたたものの、トプシーはそれを拒み、なかなか処刑場への橋を渡らなかったという。
トプシーは東南アジアから赤子同然の頃に密輸され、アメリカのサーカスで育ったゾウだった。
彼女の人生は人間のために運搬され、人間のために調教され、人間のために処刑され、人間のためにその処刑シーンを上映されたのである。
人類の繁栄が電気に象徴される数々の発明と、傲慢なまでの利己主義の上に成り立っていることを、トプシーの死は永遠に語り続けるだろう。

(写真はWikipedia Topsyより使用。Public Domain)

1月4日の不幸

1786年
【死亡】モーゼス・メンデルスゾーン(Moses Mendelssohn)【哲学者/ドイツ】

18世紀の哲学を代表するユダヤ系ドイツ人哲学家であり、19世紀のドイツを代表する音楽家のフェリクス・メンデルスゾーンの祖父に当たる人物。同時期に活躍した批判哲学の大家、イマヌエル・カントの思想の問題点を糾弾し通俗哲学を提唱。当時被差別的地位にあったユダヤ教信者の社会的開放に大きな足跡を残した。1985年の大晦日に、友人の編集者の元に原稿を持ち込んだ際の寒さが原因で翌年1月4日に死亡。没年56歳。

1960年
【交通事故死】【怪死】アルベール・カミュ(Albert Camus)【小説家/フランス】

代表作『異邦人』『ペスト』等で知られる20世紀のフランスを代表する小説家。1957年に史上2番目の若さでノーベル文学賞を受賞。1960年1月4日に友人のミシェル・ガリマールが運転する自家用車でヨンヌ県ヴィルブルヴァンを走行中にパンクし、木に衝突死。没年46歳。180キロを超えていたとも運転手がてんかんを起こしたとも言われているが、KGBによって暗殺されたという説まで存在している。

1961年
【死去】エルヴィン・シュレーディンガー【物理学者/オーストリア】「波動力学」「シュレーディンガー方程式」「シュレーディンガーの猫」などを提唱し、量子力学の発展に絶大な貢献を果たした物理学者。イギリスの理論物理学者ポール・ディラックとの共同研究「新形式の原子理論の発見」により、1933年にノーベル物理学賞を受賞した。結核で73歳没。
1965年
【死去】T・S・エリオット(Thomas Stearns Eliot)【詩人/アメリカ・イギリス】1948年にノーベル文学賞を受賞した戦前を代表する世界的詩人。アメリカに生まれ、世界各国に留学した後にイギリスに帰化した。代表作に、5部で構成される長詩『The Waste Land(荒地)』等がある。ロンドン・ケンジントンの自宅で慢性閉塞性肺疾患により死亡。没年76歳。
1986年
【薬物死】フィル・ライノット(Phil Lynott)【歌手・ミュージシャン/アイルランド】

「スキッド・ロウ」にベースとして加入後、1969年に「シン・リジィ」を結成し活躍したロックンロールミュージシャン、ベーシスト。ゲイリー・ムーアの『Parisienne Walkways(パリの散歩道)』の作詞を手がけるなどの活動も。ヘロイン注射の際に内臓に感染症となり、敗血症で急死。没年36歳。

1995年
【暗殺未遂事件】「オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件」長男をオウム真理教から脱会させた「オウム真理教被害者の会」会長の永岡弘行が、自宅から出たところをオウム真理教教団員の山形明と高橋克也に尾行され後頭部にVXガスを噴射された事件。帰宅後に痙攣を起こし慶應義塾大学病院に緊急搬送され69日間の治療で一命をとりとめた。警視庁はこの事件を自殺と認定していたが、1995年に逮捕された実行犯により事実が判明した。
2009年
【交通事故死】ジゼール・サランディ(Giselle Salandy)【プロボクサー/トリニダード・トバゴ】13歳でプロデビューし、2004年にWBC、WBA女子スーパーウェルター級世界王座を獲得。その後2008年までに、IWBF、NABC、WBE、IWBA、WIBA、WIBFと8つの団体の王座を獲得し、17戦全勝(6KO)無敗のまま交通事故で死亡した。没年21歳。彼女の死は、国葬となった。
2011年
【自殺】アリー・レザー・パフラヴィー(Prince Alireza Pahlavi)【王族/イラン】イラン・パフラヴィー朝最後のシャーであるモハンマド・レザー・パフラヴィーの次男。イラン革命後はアメリカに亡命しイランの研究などに励んでいたが、2011年1月4日にマサチューセッツ州ボストンの自宅で拳銃自殺。没年44歳。2001年に妹のレイラも自殺している。
2011年
【自殺】モハメド・ブアジジ(Mohamed Bouazizi)【露天商/チュニジア】チュニジアのザイン・アル=アービディーン・ベン=アリー政権を倒した「ジャスミン革命」の原因となった自殺をみせた貧しい露天商。自らに許可を出さず横柄な態度に出た役所の前で焼身自殺したところ、その動画がインターネット上で反政府運動に火を着け、チュニジア全土の反政府デモを誘発した。結果的にジャスミン革命、そして近隣諸国を巻き込んだ「アラブの春」の原因となった。
2018年
【死去】星野仙一【プロ野球選手・指導者・解説者】

岡山県立倉敷商業高等学校、明治大学を経て、1969年にドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。闘志を前面に押し出した投球で”燃える男”の異名をとり、通算146勝を挙げて同チームの中心選手として活躍した(121敗34セーブ)。1986年シーズンオフに40歳で中日の監督に就任。鉄拳制裁や相手チームとの乱闘を辞さない闘将としてチームを牽引し、1988年にリーグ優勝に導いた。その後1991年に退任するも1996年に再び監督に就任。1999年に再び同チームをリーグ優勝に導いたが、2001年に退任した。野村克也監督の退任を受けて2002年に阪神タイガースの監督に就任。翌年、長年低迷していた同球団を18年ぶりのリーグ優勝に導き、退任。同球団のシニアディレクターに就任した。2011年には東北楽天イーグルスの監督に就任。東日本大震災に暗く沈んだ東北地方を盛り上げ、2013年には同球団を初のリーグ優勝、日本一に導いた。翌年退任し、同球団のシニアアドバイザーに就任、2015年には取締役球団副会長に就任し同球団のマネジメントに関わっていたが、2017年に野球殿堂入り。同年末の12月1日に行われた自身の「野球殿堂入りを祝う会」出席直後の2018年1月4日に膵臓ガンで70歳没。訃報は同月6日に楽天球団から発表され、8日に楽天生命パーク宮城にてファンによる献花が行なわれた。同月26日、楽天球団は星野が監督時に付けた背番号77を永久欠番にすると発表した。