『1933年に撮影された三原山の噴火口』

1933年1月8日は、三原山の噴火口で実践女子専門学校の学生・真許三枝子が、同校に通う友人、富田昌子の立ち会いのもと伊豆大島の三原山火口で投身自殺を遂げた日である。
だがこの自殺には奇妙なストーリーがあり、翌月の2月11日にも、富田の立ち合いで、同じ場所から、同級生の松本貴代子が投身自殺したのである。
真許の件は松本の自殺の際に明らかとなり、その結果、2件の“自殺の見届け人”となった富田の存在がクローズアップされ、社会を騒がせることとなった。
そして、この奇妙な事件から三原山が自殺の名所と化すこととなり、この1933年だけで125人が投身自殺をし、900人以上の自殺志願者が保護されることになったのである。
富田昌子自体、二人の友人の死を見届けたこと、そしてその事実をマスメディアに報道されたことにより精神に異常をきたし、同年の4月29日に急死しているため、この奇妙な見届け行為の経緯は不明となったままである。
しかし、この1933年頃はその後にアプレゲール犯罪が若者層に流行するなど、若者層に厭世的な機運が流行していた時期であり、自殺者も一際多かった。
松本貴代子は前年に旅行で訪れた三原山の美しさに魅了され、そこを自らの死に場所として選択したというが、その親友のみならず、100人以上までもの同士を巻き込むことになるとは、夢にも思わなかったであろう。

(写真は歴史写真会『歴史写真(昭和8年7月号)』より。Public Domain)

1月8日の不幸

1324年
【死去】マルコ・ポーロ(Marco Polo)【商人・探検家/ヴェネツィア共和国】

旅行記『東方見聞録』で知られる13世紀ヴェネツィア共和国の商人および探検家。1271年から24年間にわたり中東貿易を営んでいた父と叔父とともにアジア各地を放浪。帰国後はイタリア・ジェノヴァとの戦争に兵として参加するも捕虜となり投獄。投獄期間中は旅の話を囚人仲間に聞かせ、これを書き留めていた著述家ルスティケロ・ダ・ピサが後に『東方見聞録』(1299年完成)として刊行。釈放後は商人を続けたが遠征することはなかった。1324年1月8日、病死。没年70歳。

1642年
【死去】ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei)【天文学者/イタリア】

「地動説」を唱え”天文学の父”と称される16〜17世紀にかけて活躍したイタリアの天文学者。1582年頃からトスカーナ宮廷付きの数学者オスティリオ・リッチに数学を学び、1586年に科学論文『小天秤』を発表。1589年、ピサ大学で数学の教授に就任。1592年からパドヴァ大学で天文学を教え、落体の研究を行なう。1609年に望遠鏡を自作し天体観測を行い、同年に月が天体であること解する。1610年、発見した木星の衛星に「メディチ家の星」と名付け学術書『星界の報告』を刊行、1613年には『太陽黒点論』を刊行。1615年、ドミニコ会修道士であったロリーニと地動説をめぐり論争となり、翌年異端審問所審査を受け「地動説」を論じないよう注意処分となる。1632年、『二大世界体系についての対話』を刊行したため、1633年に再び異端審問所審査にかけられ有罪となり終身刑へ。その後、軟禁刑となり自身の別荘で生活。1638年、両視力を失い、息子ヴィンツェンツィオによる口頭筆記となった『新科学対話』を刊行。1657年頃に振り子時計を発明し図面を制作。1642年1月8日、発熱により死去。没年77歳。

1880年
【死去】ジョシュア・ノートン(Joshua Abraham Norton)【皇帝僭称者/アメリカ合衆国】

19世紀後半のサンフランシスコで突如アメリカ皇帝の名を僭称(公的に要求)した”ノートン1世”として知られる人物。成功した実業家の息子として裕福な家庭に産まれたが、その遺産の運用に失敗し、早々に一文無しに。その結果、精神的な疾患を生じたとも言われている。無論、政府側はこの要求を無視していたが、民衆には愛された。1880年1月8日の夜、科学アカデミーでの講演に向かう路上で倒れているところを発見され病院に搬送されたが、到着する前に死亡した。没年推定61〜62歳。その生涯は貧しく、亡くなった時に持っていた現金は10ドルもなかったほどであったが、民衆からの寄付で豪華な葬儀が行なわれた。

1932年
【暗殺事件】【社会事件】「桜田門事件」

1932年1月8日に起きた昭和天皇暗殺を目的とした襲撃事件で最後の大逆事件として知られるもの。陸軍始観兵式のため麹町区桜田町警視庁庁舎前を通りかかった昭和天皇一行の馬車に対し朝鮮独立運動家・李奉昌が手榴弾を投下。手榴弾は2両目の馬車付近に落ちるも威力が小さく一行はそのまま通過。また、昭和天皇は3両目に乗っており爆発音を聞いたのみであった。帰還後、近衛騎兵1人と馬2頭が負傷していることが判明。犯人の李はその場で逮捕され、同年9月30日に大逆罪として死刑判決を受け、同年10月10日に死刑執行となった。

1933年
【自殺】「三原山火口投身自殺」

実践女子専門学校の学生・真許三枝子が同じく同行の学友・富田昌子の立ち会いのもと伊豆大島の三原山火口で投身自殺。翌月にも富田の立ち合いで同じ場所から学生の松本貴代子が投身自殺し、三原山が自殺の名所化した。1933年だけで125人が後追い投身自殺、900人以上の自殺未遂者が保護されることに。

1934年
【圧死事故】「京都駅跨線橋転倒事故」

1934年1月8日、京都市下京区の京都駅構内にある跨線橋で発生した圧死事故。事故当日は呉海軍海兵団に入団する新兵715人を見送りに来た関係者数千人が駅に詰めかけており、駅員が跨線橋からホームへと誘導を試みたが身動きの取れない状態となり多くの転倒者が発生、将棋倒しとなり100人以上が下敷きへ。この事故により77人が死亡、74人が負傷した。死者には女優の原静枝や海兵団入団予定者2人がいた。

1948年
【UFO】【航空事故】「マンテル大尉事件」

ケンタッキー州ゴッドマンで1月7日の朝からUFO目撃の通報が相次いだことからアメリカ空軍がトーマス・F・マンテル大尉が率いていたノースアメリカンP-51戦闘機4機に対し未確認飛行物体の追跡を指令。3機が燃料不足で追跡を断念したが、マンテル大尉だけが飛行物体を追い続け、墜落死体となって発見された。後の調査によりその未確認飛行物体はアメリカ海軍がテスト飛行させていたスカイフック気球だと判明。大尉はその追跡中に高度のあまり酸欠状態となって意識を失ったと発表された。

1965年
【自殺】ボリス・バルネット(Boris Vasilyevich Barnet)【映画監督・脚本家・俳優/ソ連】

1900年代前半のサイレント、トーキー時代に活躍したソ連を代表する映画監督。代表作『帽子箱を持った少女』を始め、あらゆるジャンルの映画を産み出した。1963年の『ちいさな駅』以降その活動は沈黙していたが、1965年1月8日リガ(現ラトビア)で釣り糸にぶら下がって自殺しているところを家族に発見された。没年62歳。

1967年
【事故死】【奇妙な死】ズビグニェフ・ツィブルスキ(Zbigniew “Zbyszek” Cybulski)【俳優/ポーランド】

1958年の映画『灰とダイヤモンド』(アンジェイ・ワイダ監督)のマーチェク役で知られる”ポーランドのジェームス・ディーン”。ポーランド・ヴロツワフのWrocław Główny駅において、発車直後の列車に飛び乗ろうとして線路に落下、轢死した。没年39歳。旅行中の友人・マレーネ・ディートリッヒに別れの挨拶をした直後の惨劇だった。

1976年
【死去】周恩来(Zhou Enlai)【政治家/中国】

毛沢東の右腕、後継として中華人民共和国の初代国務院総理を務めた政治家。日中戦争、文化大革命という激動の時代の宰相として活動した。1972年に膀胱ガン発見され、1974年6月に入院、病床から指示をしていたが、1976年1月8日に死亡した。本人の希望により、遺体が革命家たちに蹂躙されないように火葬され、中国上空から散布された。

1989年
【航空事故】「ブリティッシュミッドランド航空92便不時着事故」

ロンドンのヒースロー空港発北アイルランドのベルファスト国際空港行きのブリティッシュミッドランド航空92便(ボーイング737-400型)が離陸直後にエンジン異常が発生し最寄りのイースト・ミッドランズ空港に緊急不時着。その衝撃で乗客118人中39人が死亡し、その後病院にで8人が死亡。合計47人が犠牲となった(乗員8人は全員生存)。原因は左側エンジンの破損と、操縦士の技術的な判断ミスによるものとされ、この事故の5カ月後にボーイング737-400型は設計不良のために飛行停止となった。

1996年
【急死】三橋美智也【歌手】

『ソーラン節』『炭鉱節』『黒田節』などの民謡でミリオンセラーを連発した戦後昭和の人気歌手。NHK紅白歌合戦に10回連続出場するなど国民的流行歌手として活躍した。タクシーで移動中に心不全を起こし病院に搬送されたが多臓器不全で死亡した。没年65歳。

1996年
【死去】フランソワ・ミッテラン(François Maurice Adrien Marie Mitterrand)【政治家/フランス】

1981年に第21代フランス大統領に就任して以来、同職を14年の長きにわたり務めた政治家。前立腺ガンでパリの自宅で死亡。79歳没。晩年にガンを隠しながら公務に就いていたことを暴露した担当医とその記事を掲載した出版社を家族が訴訟した。

2010年
【自殺】トニー・ホーム(Tony Christian Halme)【ボクサー・プロレスラー/フィンランド】

フィンランド・ヘルシンキ出身のボクサー、プロレスラー、総合格闘家。フィンランド国内でアマチュアボクサーとして活躍後渡米しスタントマン等からプロレスラーに転向。その後プロボクサーとして来日し、橋本真也らとの異種格闘技戦で人気を集めた。日本でもプロレスラーとしてIWGP王座を獲得、アメリカでもWWFマットに上がり、最終的には総合格闘家としてUFCに参戦した。フィンランド議会議員任期中の2003年に自宅で発砲事件を起こし、血中からアンフェタミン(覚醒剤)が検出。以降アルコールと薬物の依存症で苦しみ、2010年に自宅アパートで拳銃自殺しているところを発見された。没年47歳。

2011年
【死去】横澤彪【プロデューサー】

東京大学文学部を経て1962年にフジテレビに入社。1980年代初めにプロデューサーとして『オレたちひょうきん族』『 笑っていいとも!』という大ヒット番組を手がけ、その後のフジテレビの繁栄を築いたひとりといわれる人物。1995年にフジテレビを退社後は吉本興業の役員として活動したが、2005年に退社。2007年には悪性リンパ腫を患い、闘病生活に。2011年1月8日に肺炎で死亡。没年73歳。

2011年
【銃乱射事件】【暗殺未遂事件】「2011年ツーソン銃撃事件」

2011年1月8日、アメリカ・アリゾナ州ツーソンのスーパーマーケット駐車場でジャレッド・リー・ラフナー(当時22歳)が起こした銃乱射事件。事件当時、同駐車場でガブリエル・ギフォーズ連邦下院議員の政治集会が開催されており、ラフナーはギフォーズ議員暗殺を企てていたとされている。この事件により6人が死亡、14人が負傷。至近距離で頭を撃ち抜かれたギフォーズは一命を取り留めたが「アメリカ同時多発テロ事件」の日に誕生した9歳の少女が犠牲となった。

2012年
【テロ】【社会事件】「在韓日本大使館火炎瓶投擲事件」

2012年1月8日、大韓民国ソウル特別市の在大韓民国日本国大使館に中国人男性・劉強(リウ・チアン、当時37歳)が火炎瓶4本を投じた事件。犯行理由は事件翌日に西大門刑務所を訪れ憤りを感じたことによる。また、劉は2011年12月26日に起きた「靖国神社放火事件」の犯人であった。