『「ブラック・ダリア事件」の現場写真(写真中央)と、19歳の頃のエリザベス・ショート』

1947年1月15日は、世界でも最も有名な未解決事件のひとつ、『ブラック・ダリア事件』が発生した日である。
アメリカ・ロサンゼルスで女優志願の22歳、"ブラック・ダリア"ことエリザベス・ショートのバラバラ死体が発見されたのが1月15日。
その猟奇的な犯行や、犯人と思われる男からの数度の連絡があったことなどから話題を呼び、発生直後から犯人捜査に多大な時間と労力がかけられたが、500人以上もの容疑者が浮上しながらも決定打を欠き(2人の自首もあったが)、やがて未解決のまま放置された。
後の1987年にジェイムズ・エルロイの小説『ブラック・ダリア』で再び脚光を浴びたが、いまだに真犯人は判明していない。
ちなみに、腹部でまっぷたつに切断された遺体は、鋭いメスで解剖されたかのような不思議な造形であり、その現場写真が世界的現代美術作家のマルセル・デュシャンの『遺作』に酷似しているため、彼らシュルレアリストたちの関与が疑われたほどであった。
最終的には、自らの父の犯行であることを2003年の著書『The Black Dahlia Avenger: The True Story(ブラック・ダリアの真実)』で発表したスティーヴ・ホデルの実父ジョージが犯人であったという説が有力であるが、スティーブも死亡した現在、その真相が明らかになる可能性は低い。そしてブラック・ダリアは、今もなお“永遠の謎”として輝き続け、人々を惹きつけている。

(画像はWikipedia Black Dahliaより使用。Public Domain)

1月15日の不幸

1947年
【未解決事件】【殺人事件】『ブラック・ダリア事件』

アメリカ・ロサンゼルスで女優志願の22歳、”ブラック・ダリア”ことエリザベス・ショートのバラバラ死体が発見された。腹部でまっぷたつに切断された遺体は鋭いメスで解剖されたかのような不思議な造形であり、犯人捜査に多大な時間と労力がかけられたが、未解決のまま放置された。後にジェイムズ・エルロイの小説『ブラック・ダリア』(1987年)で有名に。

1993年
【自然災害】「1993年北海道釧路沖地震」

1993年1月15日、北海道釧路市南方沖で発生したマグニチュード7.5の地震。この地震により液状化現象が発生。北海道東部は家屋の倒壊や落橋、また中心市街地では水道管破損による床下浸水などが起き、死者2人、負傷者966人を出すこととなった。

1994年
【急死】ハリー・ニルソン(Harry Edward Nilsson III)【ミュージシャン・歌手/アメリカ合衆国】

“ニルソン”名義で活躍したアメリカのシンガーソングライター。1968年にフレッド・ニールの『Everybody’s Talkin’』を、1972年にバッド・フィンガーの『Without You』をカバーし、ともに原曲を遥かにしのぐ衝撃的なヒットを記録した天才シンガー。その後はアルコールとドラッグの依存症に悩み、最晩年は糖尿病も発症。自宅での睡眠中に心不全で死去。没年52歳。

2006年
【死去】ジャービル・アル=アフマド・アッ=サバーハ(Jābir al-Ahmad al-Jābir as-Sabāh)【政治家/クウェート】

「湾岸戦争」時にクウェートの第13代首長(1977年~2006年)であった人物。第10代首長アフマドの三男として生まれ、1949年にアフマディ県の知事に就任。以降、1962年に第一副首相兼財務・産業相へ、1965年に首相に就任し、翌年に太子へ。石油の収入によりクウェートが近代化へと急速に進む中、1977年に首長に即位。1979年に起こったイランでの「イスラム革命」の影響により1985年に爆弾テロ事件に遭遇。「イラン・イラク戦争」後の1990年、イラクとの関係性が悪化したことによりイラク軍がクウェートへ侵攻し、ジャービルは亡命し翌年に帰国。帰国後も首長を務め、2006年1月15日に脳卒中により死亡。没年79歳。

2006年
【死去】小沢章一【高校野球指導者】

1980年代に活躍した元高校球選手であり、野球部監督である人物。選手時代の同期にはその後プロ野球選手となる荒木大輔や石井丈裕などがいる。1980年に早稲田実業学校高等部に入学し野球部へ入部。同年に甲子園へ出場し荒木との1年生コンビで人気を博した。1983年に早稲田大学へ進学し、選手を経てコーチへ就任。大学卒業後は千葉英和高等学校に赴任し、1988年に同校の野球部監督へ就任。2006年1月15日、肝臓ガンにより死去。監督としての実績は千葉県大会ベスト4進出が最高であった。

2007年
【死刑】バルザーン・イブラーヒーム・ハサン(Barasan Ibrahem Alhassen)【政治家/イラク】

元イラク大統領顧問で元国連ジュネーヴ本部大使等を務め、長きにわたりイラク大統領を務めたサッダーム・フセインの異父弟である人物。2004年7月、イラク中部ドゥジャイルで拘束したシーア派住民に対し拷問・虐殺を行なった(ドゥジャイル事件)として逮捕され、死刑判決となり、2007年1月15日に死刑執行された。没年55歳。

2008年
【薬物中毒死】ブラッド・レンフロ(Brad Renfro)【俳優/アメリカ合衆国】

1998年の映画『ゴールデンボーイ』で見出された若手ハリウッドスター。アシスタントプロデューサーも務めた主演映画『BULLY』等、演技以外の面でも才能を発揮しており、ドラッグ撲滅キャンペーンのCMでは自らシナリオを書き出演した。幼少期の父親がジャンキーであったことも影響してか次第に薬物依存症に悩まされるようになり、飲酒運転や麻薬所持でたびたび逮捕された。ヘロインの過剰摂取で自宅にて死亡。没年25歳。

2009年
【航空事故】「USエアウェイズ1549便不時着水事故」

2009年1月15日、USエアウェイズ1549便が(エアバスA320-214)アメリカ・ニューヨーク市マンハッタン区付近のハドソン川に不時着水した事故。原因はラガーディア空港を離陸直後に機体がカナダガンの群れに遭遇し、両エンジンがバードストライクを起こし停止しため。離陸から着水までおよそ5分の出来事であったが、死者0人、乗客乗員合わせて5人の負傷と留まったため「Miracle on the Hudson(ハドソン川の奇跡)」と言われている。

2012年
【競技中事故死】【夭逝】坂井宏朱【オートレース選手】

2008年、川口オートレース場「スーパースター王座決定戦」を観戦し永井大介選手のレースに感銘を受け、選手になることを決意。2010年、オートレース第31期養成員試験に合格し養成所へ入所。2011年、船橋オートレース場への配属され選手デビューへ。翌2012年1月15日、同オートレース場の走行練習に参加中に姿勢を崩し落車。その後、競争車とともに観客防護用の二重フェンスに衝突し事故死した。没年27歳。

2013年
【死去】大島渚【映画監督】

松竹に入社後、”松竹ヌーヴェルバーグ”の旗手として若くから活躍した映画監督。ハードコア・ポルノ作品の『愛のコリーダ』や、デヴィッド・ボウイを起用した『戦場のメリークリスマス』等の作品で海外にも広く知られる。着物姿のコメンテーターとしてテレビメディアにたびたび出演しており、自らの結婚記念パーティでの野坂昭如との殴り合いでお茶の間を賑わせたことも。肺炎で80歳没。