『ジャン=フランソワ・ミレー作「La Mort et le Bûcheron(死と木こり)」』

1875年1月20日は、19世紀フランスのバルビゾン派を代表する画家、ジャン=フランソワ・ミレーが死亡した日である。
農家に生まれ、代表作『落穂拾い』『種まく人』に始まり、その生涯を通じて農民画を描き続けたミレー。
そんなミレーの作品の中でも異色なものが、この『La Mort et le Bûcheron(死と木こり)』である。
発表当時は1859年のサロンで落選するなど評価の分かれる作品であったが、木の枝を束ねた木こりの肩を急遽掴むように引き留める死神がはっきりと描かれた作品である。
写実の中に人間の悲哀を込めるミレーの作品にあっては珍しく幻想的な作品であるといえるが、その死神の飾り気のなさと唐突さは、ミレーの他の作品と同じような《真実の重み》を湛えている。
人間の死はどのような人物にでも平等であり、いずれの人生でも、我々はこのように肩を掴まれる日を待っているのだ。

(画像はWikipedia Jean-François Milletより使用。Public Domain)

1月20日の不幸

1875年
【死去】ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-François Millet)【画家/フランス】

19世紀フランスのバルビゾン派を代表する画家。農家に生まれ、代表作『落穂拾い』『種まく人』に始まり、その生涯を通じて農民画を描き続けた。一室を与えられた1867年のパリ万国博覧会では、世界的な巨匠としての知名度を獲得、翌年レジオンドヌール勲章を受章した。1874年頃から健康状態が悪化し、1875年1月20日に死亡。没年60歳。死因は脳腫瘍だったといわれている。なお、死の直前の1月3日に妻カトリーヌと教会で結婚式を行なった。

1913年
【死去】カール・ウィトゲンシュタイン(Karl Wittgenstein)【実業家/オーストリア】

製鉄業、鉄道業においてその一代で莫大な成功を収めた”オーストラリア近代産業の父”。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(哲学者)、パウル・ウィトゲンシュタイン(ピアニスト)の実父であり、クリムトを始めとした美術家たちのパトロンとしても有名な人物であった。しかし9人の子供のうち3人が自殺するなど、学校に通わせないという独自の教育方針が逆効果であったともいわれている。1913年に65歳で死亡。

1983年
【死去】ガリンシャ(Garrincha)【サッカー選手/ブラジル】

6歳の頃に小児麻痺を患い、両脚の湾曲と軽度の知的障害が残ったが、両脚の長さが違うというハンデをものともせずにドリブルの名手として王国ブラジルを代表するフットボール選手になり、同国の1958年、1962年FIFAワールドカップ2連覇の立役者になった伝説的プレイヤー。同時代を生きたペレとは異なり、破滅的な私生活を送ったことでも知られ、経済は常に破綻し、1969年には同乗していた母親を殺してしまう自動車事故を起こし、その後は自殺未遂を繰り返した。最終的にもアルコールの依存症で入退院を繰り返し、1983年に朝からの飲酒後に容態が急変、肝硬変で死亡した。没年49歳。

1992年
【航空事故】「エールアンテール148便墜落事故」

リヨンからストラスブールに向かうフランスの国内線エールアンテール148便(エアバスA320-111)が、着陸間近に空港から16キロ離れた山に激突。乗員乗客96人中87人が死亡し、乗員1人と乗客8人は救助された。原因はパイロットの人為的ミスと発表された。

1993年
【死去】オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)【女優/イギリス】

ベルギーで出生後バレエを学ぶためにロンドンに移り女優デビュー。1953年の映画『ローマの休日』でアカデミー主演女優賞を獲得し、以降、『麗しのサブリナ』『ティファニーで朝食を』『シャレード』『マイ・フェア・レディ』等のヒット作に次々主演し、伝説なスターダムにのし上がった女優。晩年はユニセフの親善大使として世界各国で活躍した。1992年の9月に腹膜偽粘液腫なる珍しいガンの一種であると診断され、すぐさま化学治療を開始し、手術も行なったが既に摘出不可能な状態であったという。余命僅かなヘップバーンをスイスの自宅でクリスマスを過ごせるようにと友人らの計らいによってプライベートジェットで移送。そのまま翌年1月20日に死亡した。没年63歳。

1993年
【死去】園山俊二【漫画家】

『ペエスケ』『ギャートルズ』等の国民的人気漫画作品で知られる昭和を代表する人気漫画家。1989年に肝臓ガンの除去手術をして以来、ガンを公表せずに入退院を繰り返したが、1993年1月20日に死去。没年57歳。死の直前の病床で『ペエスケ』の登場人物を描き、「メソメソシルナ 世の中グワンバレ」という生前の作風さながらのパンチのある遺書を残した。

1995年
【急死】金子信雄【俳優・料理研究家】

幼少期からの結核を乗り越え、文学座所属俳優となり、1946年の映画『浦島太郎の末裔』でデビュー。その後は大ヒット映画『仁義なき戦い』シリーズ等の名悪役として活躍した。一方、料理研究家としてもテレビ等のメディアで活躍、昼帯で放送された『金子信雄の楽しい夕食』でお茶の間の顔となった。1995年1月20日、細菌性敗血症で急死した。没年71歳。本人の意向により葬儀と告別式は行なわれず。

1998年
【死去】ボボ・ブラジル(Bobo Brazil)【プロレスラー/アメリカ合衆国】

終戦直後の日本マットに来日し力道山のライバルとして活躍した黒人レスラー。ジャンプして放たれる強力な頭突き”ココ・バット”で、力道山を始め、ジャイアント馬場、大木金太郎などと名勝負を繰り広げた。本国アメリカではザ・シークとの長年の抗争で人気を博した。リングネームのブラジルは、本人がブラジルを”人種差別のない理想の国”と認識していたため付けられたという。脳梗塞で73歳没。

2001年
【急死】小池聰行【実業家】

毛量の多い奇抜な髪型で知られたオリコン・エンタテインメントの創業者。レコードの売り上げを反映したオリコン・ランキングの生みの親として知られる。脳出血で68歳没。

2002年
【死去】ババ(Edvaldo Izídio Neto “Vavá”)【サッカー選手/ブラジル】

1983年の同日に死亡したガリンシャと共に、ブラジルのFIFAワールドカップ2連覇(1958年スウェーデン大会、1962年チリ大会)のメンバーとして活躍した名フォワード。両大会ともに4得点を挙げる活躍をみせた。没年67歳。

2015年
【テロ】【国際問題】「ISIL日本人拘束事件」

2015年1月20日、拉致をした人質として自営業の湯川遥菜とジャーナリストの後藤健二が映ったビデオをイスラム国(ISIL)がインターネットに公開。二人の命と引き替えに2億ドル(当時約230億円)の現金と政治犯の釈放を日本政府に迫った。その3日前の1月17日に報道された安倍首相のカイロでの「ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」という演説に反応して行なわれたといわれていた。返答期限といわれた23日を超えてからも、アメリカの対テロ戦へのポリシーに倣った日本政府が断固として交渉を拒否した結果、1月25日に湯川氏の殺害が発表され、2月1日には後藤氏の殺害の報道が流れた。一連のイスラム国と欧米諸国の交戦に於いて、アメリカ人、イギリス人以外の初の犠牲者だった。

2015年
【死去】斉藤仁【柔道家・指導者】1984年のロサンゼルス・オリンピック、1988年のソウル・オリンピックの柔道男子95キロ超級で金メダルを獲得した昭和後期の日本を代表する重量級柔道家。同時代を生きライバルと言われた山下泰裕とは生涯8度の対戦するも全敗を喫した。2004年のアテネ、2008年の北京と2大会連続ではオリンピック柔道男子日本代表監督を務め指導者としても柔道界を牽引したが、2013年に肝内胆管ガンが発見されてからも指導者として活動したが、2年後の1月20日に死亡した。没年54歳。