『チャレンジャー号空中分解直後の白煙』(ケネディ宇宙センター撮影)

1986年1月28日は、アメリカのスペースシャトル、チャレンジャー号が打ち上げから73秒後に空中分解し、7人の乗組員が死亡した日である。
1983年に開始され順調に宇宙空間での作業を実現していたスペースシャトル計画の10度目で起きたこの事故は、73秒後に大きな白煙を上げて機体が分解。
当時のレーガン政権の目玉として喧伝された“夢の宇宙飛行”の失敗が、世界中が見守る中、残酷なまでに美しくテレビ中継された。
原因は当日の異常な低気温を気にしなかったことと、その過酷な状況下で機能しなかったSRB(固体燃料補助ロケット)密閉用のパーツであるOリングの設計ミスと発射時の破損にあると帰され、飛行主任のジェイ・グリーン他管理側の責任は問われなかった。
ちなみに、この白煙は爆発によるものではなく、搭載されていた液体酸素や水蒸気、ガスなどであった。
爆発はしていなかったために、強固に作られていた乗務員室はその形を保ったまま高度14.6キロの高さに放り出され、海面に着くまでその形を保っていたはずだと識者は事故後に語っている。
つまり、7人の宇宙飛行士たちは、海面に叩きつけられるその瞬間まで、その多くが意識を保っていたというのだ。
スコビー船長をよく知るNASA主任調査官ロバート・オーバーマイヤーは、“スコビーなら生き残るためにあらゆる努力をしただろう。彼らは生きていたのだから、翼無しでも彼はあの船を飛ばし続けていたに違いない”と語り、その無念を滲ませた。
1980年代という高度経済成長期に病的なまでの官僚主義に毒されていた一連のスペースシャトル計画が犯した“最大の悲劇”として、スコビーと6人の勇敢な物語は今も語り続けられている。

(画像はWikipedia Space Shuttle Challenger disasterより使用。Public Domain)

1月28日の不幸

1621年
【死去】パウルス5世(Paulus V)【ローマ教皇/イタリア】

17世紀イタリアで第233代ローマ教皇(1605年〜1621年)となった人物。法学を学び、1596年に第231代ローマ教皇クレメンス8世により枢機卿へ選出され、1605年にローマ教皇に就任。就任中は教会司法権といった問題で主にヴェネツィア共和国と争い、1606年にヴェネツィア共和国を破門・聖務停止に。その後、1607年に同共和国と調停へ。その後もイングランドのカトリック教徒が分裂するといった強硬的な外交を行なっている。1621年1月28日、脳卒中により死去。没年70歳。

1861年
【死去】アンリ・ミュルジェール(Henri Murger)【小説家・詩人/フランス】

ボヘミアン生活の情景イタリアオペラを代表するプッチーニ作『ラ・ボエーム』の原作として知られる小説『Scènes de la vie de bohème(ボヘミアン生活の情景)』の作者として知られる人物。同作はアキ・カウリスマキが1992年に『ラヴィ・ド・ボエーム』として映画化したことでも知られている。晩年は経済的に困窮し病気がちであり、ナポレオン三世の牧師であるコロンナ・ワレフスキはその治療費として500フランを送金したが、1861年1月28日に死亡した。没年38歳。死後、その葬儀はフランス政府の資金で盛大に行なわれた。

1926年
【死去】加藤高明【外交官・政治家】

大正時代の外交官および政治家で第24代内閣総理大臣(1924年〜1926年)となった人物。大学卒業後に三菱へ入社し岩崎弥太郎の長女・春路と結婚。1887年に官界に入り大隈重信の秘書官兼政務課長や駐英公使となる。1900年に外務大臣となり1914年まで務める。1924年に内閣総理大臣に就任。就任後は普通選挙法成立、日ソ基本条約を締結。内閣総理大臣在任中の1926年1月28日に肺炎で死去。没年66歳。

1946年
【列車事故】「東急小田原線列車脱線転覆事故」

1946年1月28日、東京急行電鉄小田原線大秦野駅(現・小田急電鉄小田原線秦野駅)で起こった列車脱線転覆事故。列車が同鉄道新宿駅を発車後に停電が発生、その後すぐに送電されたため制動機故障し列車が逆行を開始。このため、運転士・車掌が車両点検のため下車したところ、勾配が続く路線区間であったため、運転士・車掌を残しそのまま列車は逆行を続け、鶴巻駅付近のカーブで脱線・転覆することとなった。この事故により乗客30人が死亡、165人が負傷した。

1948年
【海難事故】「女王丸事件」

1948年1月28日、瀬戸内海を航行していた関西汽船「女王丸」が岡山県の牛窓沖で機雷に触れ沈没した海難事故。この事故により乗客乗員合せておよそ310人のうち、188人の死者・行方不明者が出た。

1951年
【死去】カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(Carl Gustaf Emil Mannerheim)【軍人・政治家/フィンランド】

20世紀フィンランドの軍人および政治家で第6代フィンランド大統領(1944年〜1946年)となった人物。1887年にロシア帝国陸軍へ入隊。「日露戦争」へ従軍し終戦後は大佐へと昇進。1906年に考古学調査隊へ諜報活動を行なうために参加、帰国後の1909にウーラン連隊指揮官に就任。翌年に少将となり近衛長槍騎兵連隊指揮官に就任。1914年に近衛騎兵旅団司令官に就任し「第一次世界大戦」へ参加。1917年にフィンランドがロシアから独立、フィンランド軍の創設に携わる。翌年に「フィンランド内戦」が勃発しペール・スヴィンヒュー首相を支持する白衛軍として参加し勝利。同年にフィンランド政府の親ドイツ勢力が強まったことをきっかけにスウェーデンへ亡命。その後、フィンランドへ戻り摂政に就任。1919年に士官学校を設立。19201年にフィンランド赤十字社会長に就任。1931年にフィンランド国防委員会議長に就任。1933年に陸軍元帥へ昇進。1939年に「第二次世界大戦」が勃発しフィンランド軍の最高司令官に就任。1944年に大統領へ就任。1946年に大統領を辞職し1951年1月28日に死去。

1953年
【火災事故】「銀座チョコレートショップ爆発火災」

1953年1月28日、東京都中央区銀座6丁目の洋菓子店「チョコレートショップ」店頭で扱っていた水素に火種が引火し起きた爆破事故。当時の銀座の店舗では風船を配布することが流行しており、事故当時も店頭で店員が風船に水素を詰める作業を行なっていた。この火災により同店の入った木造2階建ての建物およそ876平方メートルが全焼、隣接する料理店など併せて1,190平方メートルが半焼し、店員・客を合せて78人が負傷、店員1人が死亡した。

1960年
【死去】伊藤晴雨【画家・写真家】

雑誌の挿絵や幽霊画などを手掛けた大正・昭和期の日本画家。挿絵女性への緊縛や拷問をモチーフにした凄惨な”責め画”の大家として知られる人物。絵のモデルとして写真撮影も行ない、妊婦の頃の自らの妻を逆さ吊りにしたヌード写真を発表したことなどでも知られている。江戸時代の風俗研究者としても活躍したが、1923年の関東大震災や1945年の東京大空襲で財産を失い、晩年は経済状況に恵まれなかった。1960年にその功績に対し「出版美術連盟賞」を受賞、翌年1月28日に死亡した。没年77歳。

1985年
【交通事故】【転落事故】「犀川スキーバス転落事故」

1985年1月28日、長野県長野市信更町の大安寺橋付近のカーブで、日本福祉大学の学生を乗せた三重交通バスがガードレールを破り笹平ダムへ転落した事故。バスのスピード超過が原因であったが、死亡した運転手は過密勤務にあったとされ、バス会社側は道路交通法75条・道路交通法123条違反の疑いで書類送検されたが後に不起訴処分となっている。この事故により乗員乗客合わせて25人が死亡、8人が負傷した。また、生還した学生の中に全盲の学生がいたことでも話題となった。

1986年
【航空宇宙事故】「スペースシャトルチャレンジャー号爆発事故」

アメリカのスペースシャトル、チャレンジャー号が打ち上げから73秒後に空中分解。ディック・スコビー船長他6名( グレゴリー・ジャービス、マイケル・J・スミス、エリソン・オニヅカ、クリスタ・マコーリフ、ジュディス・レズニック、ロナルド・マクネイア)の乗組員全員が死亡した。原因は当日の異常な低気温を気にしなかったことと、その過酷な状況下で機能しなかったSRB(固体燃料補助ロケット)密閉用のパーツであるOリングの設計ミスと発射時の破損にあると帰され、飛行主任のジェイ・グリーン他管理側の責任は問われなかった。

1989年
【急死】パンチェン・ラマ10世(10th Panchen Lama)【師僧/中国】

中国循化サラール族自治県出身のチベット仏教ゲルク派最高位の化身ラマのひとりとして知られる人物。1949年にパンチェン・ラマ9世の転生者候補として擁立されるも、選定法である金瓶掣籤を行なわずにゴンポ・ツェプテン(後のパンチェン・ラマ10世)を中国国民政府がチベット工作として即位させる。1951年に勃発した「西蔵和平解放」によりチベットが中国人民解放軍によって制圧されるとチベット入りしタシルンポ寺で座主として即位。1956年の「チベット動乱」後もインドへ亡命したダライ・ラマ14世に対抗する人物として中国に留まる。1962年になると中国のチベット支配を批判し始め諌言『七万言上書』などを上奏。1966年に「文化大革命」が起こると1968年から1978年まで投獄され、出獄後も北京で1982年まで軟禁される。晩年もチベット仏教保護に尽力し1989年1月28日に心筋梗塞で死去。没年50歳。死については中国による暗殺説も噂されている。

1998年
【死去】石ノ森章太郎【漫画家】

高校時代の投稿が目に止まり手塚治虫の『鉄腕アトム』のアシスタントに。そのまま高校2年の1954年に『二級天使』で漫画家デビュー。『サイボーグ009』『人造人間キカイダー』『HOTEL』などSFから劇画に至るまで幅広いジャンルで人気マンガを連発し、瞬く間に戦後日本を代表する漫画家に。また、『仮面ライダーシリーズ』等の特撮ドラマの原作者としても活躍した。1985年にペンネームの表記を「石森章太郎」から「石ノ森章太郎」に改名した。1998年1月28日にリンパ腫による心不全で死亡。没年60歳。

2000年
【監禁事件】【社会事件】「新潟少女監禁事件」

2000年1月28日、新潟県柏崎市で佐藤宣行の自宅に9年2カ月にわたり監禁されていた少女(佐野房子)が発見・保護された。誘拐は1990年11月13日に行なわれ、被害者は当時9歳であった。佐藤は2003年に懲役14年の実刑判決を受け、現在は出所している。

2002年
【死去】アストリッド・リンドグレーン(Astrid Lindgren)【児童文学作家・教師/スウェーデン】

全世界で1億3,000万部以上ものセールスを記録した大ヒット作品『長くつ下のピッピ』や宮崎吾朗が2014年にアニメ化した『山賊のむすめローニャ』等の代表作で知られる世界的児童文学作家。2002年1月28日に94歳没。

2005年
【自殺】【薬物過剰摂取】カレン・ランコム(Karen Lancaume)【ポルノ女優/フランス】

フランスのリヨン出身でヨーロッパ、アメリカの両方で成功を収めたポルノ女優。2005年1月28日、かつて交際していたボーイフレンドのパリの家でテマゼパムとアルコールの過剰摂取により自殺。没年32歳。

2007年
【交通事故死】【夭折】許瑋倫(Beatrice Hsu Wei-lun)【女優/台湾】

2001年にセブンイレブンのCM出演で注目を集め、その後は人気ドラマ『流星花園〜花より男子〜』『十八歳的約定』等への出演でアイドル的な人気を集めた新進女優。2007年1月26日にマネージャーの運転する車で高速道路を移動中に貨物トラックと接触事故を起こし同月28日に脳内出血で死亡。没年28歳。公判によりマネージャーのリン・イーウェンには過失致死罪で実刑4カ月(執行猶予2年)の判決が下された。翌月2月8日に葬儀、9日に大規模な追悼コンサートが行なわれた。

2007年
【自殺】カレル・スヴォボダ(Karel Svoboda)【作曲家/チェコ】

チェコスロバキア時代のプラハに生まれ、医大生から音楽の世界に転身。ロックバンド「メフィスト」として活動後、チェコの国民的ポップスターであるカレル・ゴットを始めとした歌手に多くのポピュラーソングを提供した。また、ドイツの放送局ZDFに多くの曲を提供し、同局の人気アニメ作品『小さなバイキングビッケ』『ニルスのふしぎな旅』『みつばちマーヤの冒険』などのテーマソングの作者として子供たちからも広く愛された。2007年1月28日にイェバニーの自宅で変死体となって発見された。没年68歳。その後の捜査により拳銃自殺であったと断定されている。

2009年
【死去】青山孝史【歌手】

1970年代に活躍したグループ「フォーリーブス」のメンバーで”ター坊”の愛称で知られる人物。東京音楽学院にスクールメイツに選抜され、1967年にジャニーズ事務所の「フォーリーブス」に参加。翌年、CBS・ソニーレコード国内契約第1号アーティストとして『オリビアの調べ』でデビュー。以後、音楽学校や飲食店、麻雀荘の経営や静岡県のパブのマスターなどを経て、2002年に同グループを再結成。2009年1月28日、芸能活動を続ける中、肝ガンで死去。没年57歳。

2009年
【死去】SABE【漫画家】

1980年代後半から2000年代前半にかけて活躍した主に成人漫画で知られる漫画家。幼い頃から漫画家を目指し、高校時代に同人活動を開始。1986年、デザイン学校在学中に漫画家デビュー。以後、ワニマガジン社などの成人向け漫画雑誌で活躍し『ブルマー1999』(1999年)などを発表。その後は講談社の『月刊アフタヌーン』といった一般の漫画誌にも進出。2009年1月28日に死去、死因は公表されていない。没年41歳。