『ラトゥール作「悔い改めるマグダラのマリア」』

1652年1月30日は、バロック期のフランスにおいて独特の“キアロスクーロ”を用いた画風で異彩を放ったフランスの画家、ジョルジュ・ド・ラ・ラトゥールが死亡した日である。
強いコントラストを付けるキアロスクーロで、カラバッジォにたとえられるその画風で知られ、その作品群はカラバッジォに比べて神秘的でより繊細といわれている。
時の権力者であるフランス王ルイ13世の評価も高く、「国王付画家」の称号を得ていたとされている。
そんなラトゥールの代表作は、他の多くの画家も描いたテーマである『悔い改めるマグダラのマリア』で、その生涯にわたり3つのほぼ同じ画角の作品を描いている。
マグダラのマリアは、イエスの死を見守った罪深い女として存在する人物で、その画の中では“アトリビュート(持物。必ずともに描かれるもの)”として頭蓋骨が描かれている。
これは《死の象徴》としてのマグダラのマリアを表わすためともいわれ、彼女はその深く沈んだ闇の中で死を想い、頭骸骨を抱いているのである。
3作の中でもより影の強いこの作品こそ、“夜の画家”とも称されるラトゥールの真骨頂といってだろう。
有史以来忌み嫌われてきた《死》、そして娼婦だっとも言われ悪名を着せられてきた《マグダラのマリア》という暗部に惹かれることもまた、人間の常なのだ。

(写真はWikipedia Georges de La Tourより使用。Public Domain)

1月30日の不幸

1年
【転落事故】【業務上過失致死】「スピニングコースター舞姫転落事故」

2011年1月30日に東京都文京区の東京ドームシティアトラクションズ内にあったジェットコースター『スピニングコースター舞姫』に乗車していた倉野内史明(当時34歳)が高さ7.8メートルのコース上から転落し死亡。

1181年
【死去】【夭逝】高倉天皇【天皇】

平安時代末期に第80代天皇(1168年〜1180年)となった人物。1166年に皇太子となり1168年8歳で天皇に即位。父・後白河院が院政を行なうことに。1172年、平徳子を中宮に迎え、1178年に後の安徳天皇が誕生。1179年「治承三年の政変」で後白河院が幽閉状態となったため政治を執るも病に倒れ1181年1月30日に死去。没年19歳。

1649年
【処刑】チャールズ1世(Charles I)【王族/イングランド】

17世紀イギリスの王(1625年~1649年)で清教徒革命を引き起こすきっかけとなった人物。1616年にプリンス・オブ・ウェールズとなり、1621年にイングランド議会貴族院議員へ選出。1625年、イングランド・スコットランド・アイルランド王チャールズ1世として即位。1628年、スペインへの課税を反対されたため議会を解散し、反対した議員を投獄、以降絶対王政を行なった。その後、清教徒を弾圧し1642年に「清教徒革命」が勃発。1645年、国王軍が敗北し1649年1月30日にホワイトホール宮殿バンケティング・ハウス前で公開処刑された。没年48歳。

1652年
【死去】ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour)【画家/フランス】

バロック期のフランスにおいて強いコントラストを付ける独特のキアロスクーロを用いた画風で異彩を放ったフランスの画家。時の権力者であるフランス王ルイ13世の評価も高く、「国王付画家」の称号を得ていたとされている。代表作に、その生涯にわたり3つのほぼ同じ画角の作品を描いた『悔い改めるマグダラのマリア』等。1652年1月に、リュネビルを伝染病が襲い、15日に妻、22日に実子が死亡し、30日にラトゥール本人も死亡。没年58歳。

1661年
【社会事件】「オリバー・クロムウェル遺体斬首」

1661年1月30日、イギリスで1658年に死去した清教徒革命(ピューリタン革命)の指導者でイングランド国王チャールズ1世を処刑しイングランド共和国を建国した政治家オリバー・クロムウェルの死体がその後の王政復古により“王殺し”の謀反人として墓を暴かれ遺体が絞首刑の後斬首される。

1703年
【敵討ち】「赤穂事件」

江戸城松之大廊下で、高家旗本の吉良上野介(きらこうずけのすけ)に斬りつけたとして切腹に処せられた播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭の敵討ちとして、家臣である大石内蔵助以下旧赤穂藩士47人が吉良邸に討ち入り、翌日吉良を惨殺。

1835年
【暗殺未遂事件】「アメリカ初大統領暗殺未遂事件」

1835年1月30日、アンドリュー・ジャクソン米大統領が国会議事堂を出るとイギリス人の塗装工で失業中であったリチャード・ローレンスにより発砲されたアメリカ初の大統領暗殺未遂事件。しかし、不発に終わりローレンスは捕らえられた後、精神異常者として施設へ収容された。

1867年
【急死】【奇妙な死】孝明天皇【天皇】

幕末に第121代天皇(1846年〜1867年)となった人物。第120代仁孝天皇の息子として生まれ、1846年に天皇に即位。1854年に日米和親条約が締結、黒船来航、大地震などが続き、1855年に元号を嘉永から安政へと改元。攘夷を主張するも1858年に日米修好通商条約、日露修好通商条約、日英修好通商条約が幕府により調印されることに。その後、討幕運動が激化するも妹の和宮親子内親王を第4代将軍徳川家茂に嫁がせるなど公武合体の姿勢を取り、1867年1月30日に天然痘で急死。没年36歳。急死については倒幕派による毒殺説なども言われている。

1889年
【怪事件】【未解決事件】「マイヤーリング事件」オーストリア皇太子のルドルフとその愛人であったマリー・フォン・ヴェッツェラがマイヤーリングの狩猟館のベッドの上で拳銃で撃たれて死んでいるのを発見。当初は寝室には鍵がかけられて2発の銃声が響いたとの警察発表がされたために心中、もしくは無理心中事件として世界に広まったが、事件から94年後の1983年3月11日に63年の亡命からウィーンに帰国したオーストリア最後の皇后ツィタが暗殺だったと暴露。その真相はいまだ明らかになっていない。
1948年
【暗殺】マハトマ・ガンディー(Mahatma Gandhi)【活動家/インド】

インド独立を率いた”インド独立の父”、第一次大戦直後のインド国民会議に加わると、イギリス製品の不買運動などを主とした不服従運動で世界的な知名度を獲得し、徹底した非暴力の訴えながら、時には懲役刑を科されるほどの過激な活動をみせた。その大きな武器となったのが合計17回、累計140日間、最長で連続21日という断食(ハンガーストライキ)であり、その鮮烈なビジュアルと共に世界中へ彼のメッセージを拡散することとなった。1947年にインドは独立したが、パキスタンとは分離独立となり、その直後からの宗教戦争の最中で、1948年1月30日にニューデリーでヒンドゥー原理主義集団民族義勇団のナートゥーラーム・ゴードセーらによって銃殺された。銃弾3発を胸部に打ち込まれたガンディーの最後の言葉は「おお神よ」であった。

1948年
【死去】オーヴィル・ライト(Orville Wright)【発明家・パイロット/アメリカ合衆国】

1903年に飛行機での有人動力飛行に世界で初めて成功を納めたライト兄弟の弟(ウィルバーの弟で、家系的には四男)であり、飛行機の発明者、パイロット。兄ウィルバーの死から36年後に心臓発作で死去。没年76歳。奇妙なことに、1903年に記念すべき初フライトの写真を撮影したアマチュアカメラマンのジョン・T・ダニエルが翌日に死亡している。

1951年
【死去】フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche)【技術者/オーストリア】

『フォルクスワーゲン・タイプ1』の設計者として知られる20世紀オーストリアの自動車エンジニア。幼い頃から工学に興味を持ち、1894年に電気機器会社ベラ・エッガーで働きながらウィーン工科大学の聴講員に。1898年、元馬車メーカーのヤーコプ・ローナーで自動車開発を開始し、電気自動車『ローナーポルシェ』を考案。1906年、アウストロ・ダイムラー社へ移籍、1909年に『28/30HPマヤ』を設計。1910年から航空エンジンの開発も手がけ、その業績から同社の総支配人へ。1917年、ウィーン工科大学名誉博士号を授与。1923年ダイムラー・モトーレン社の主任設計者および技術部長兼取締役に就任。翌年、メルセデス・ベンツのブランドでレーシングカーの開発を手がける。1929年、シュタイア社の主任設計者に就任、大型車シュタイア・オーストリアを設計。1931年、ポルシェ事務所を設立。1933年ナチス政権下に『フォルクスワーゲン・タイプ1』を設計。1938年にドイツ芸術科学国家賞受賞。「第二次世界大戦」が始まると軍用車両キューベルワーゲンやティーガー戦車といった戦闘車両を設計。戦後は米軍により戦犯として刑務所へ収容され、1947年に釈放へ。1948年にポルシェの名を冠した『ポルシェ・356』の生産を開始。1950年1月30日、脳梗塞により死去。没年75歳。

1957年
【殺人事件】「ジラード事件」

1957年1月30日、群馬県群馬郡相馬村の相馬ヶ原演習場で在日米軍兵士・ウィリアム・S・ジラードが演習地内へ薬莢拾いに立ち入った日本人主婦を射殺。ジラードは日本の法律のもと傷害致死罪で起訴され懲役3年・執行猶予4年の有罪判決となった。

1958年
【死去】エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)【技術者・設計者/ドイツ】

20世紀ドイツの飛行機技術者および自動車技術者。ツェッペリンの飛行船を見たことで航空機に興味を持ち航空機製造メーカーのアルバトロス・フルークツォイクヴェルケ社でアルバトロスB-IIを設計。1922年にハインケル航空機会社を設立。ヴェルサイユ条約により航空機製造を禁止されていたためスウェーデンへ渡り日本海軍のHD-25水上機を製造。帰国後は郵便配達用の水上機を製作。ナチス政権下になるとナチス党へ入党しHe59、He115、He111などを生産。1938年にドイツ芸術科学国家賞を授賞。その後は高速機やロケット機の開発に取り組み、ロケット機He176で世界初の有人飛行を成功させる。「第二次世界大戦」後の1956年から欧州型バブルカー、ハインケル・カビーネを生産。1958年1月30日に死去。没年70歳。

1972年
【民族問題】「血の日曜日事件」1972年1月30日、北アイルランドのロンドンデリーで、デモ行進をしていた非武装のカトリック系市民27名がイギリス陸軍落下傘連隊に銃撃され13人が死亡。事件当時イギリス軍は無罪となったことが世界的な議論を呼び、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、U2らのイギリス系ロック・ミュージシャンがそれぞれ曲にして英政府を批判する行為に。2010年6月15日にデービッド・キャメロン英首相が、イギリス政府として被害者へ初めて謝罪した。
1979年
【航空事故】【遭難事故】【行方不明】「ヴァリグ・ブラジル航空機遭難事故」

1979年1月30日、日本とブラジルを定期運行していたヴァリグ・ブラジル航空ボーイング707-320F貨物機が新東京国際空港(現・成田国際空港)を離陸後、太平洋上で行方不明に。この事故により乗員6人が行方不明となった。また積荷の中には日系ブラジル人抽象画家マナブ間部の作品100点時価20億円相当が含まれていた。その後、機体の捜査が行なわれるも機体残骸などが遺留物が一切発見できないまま現在に至っている。

1982年
【社会事件】「エルク・クローナ誕生」

1982年1月30日、アメリカの高校生リッチ・スクレンタ(Richard “Rich” Skrenta)当時15歳が世界初のコンピュータウイルス『エルク・クローナ』を作成。ウィルスはApple IIのみに感染しメッセージを表示させるといったものであった。

1988年
【解散】「藤子不二雄解散」

国民的人気を誇った漫画家コンビである藤子不二雄が共作関係の解消を発表。藤本弘は藤子・F・不二雄、我孫子素雄は藤子不二雄Ⓐとしてその後の著作を発表した。原因は50歳を超え著作権・遺産問題が出ないようにと言われている。

1993年
【死去】森泰吉郎【実業家・経営学者】

昭和から平成にかけての実業家および経営学者で森ビルの創業者として知られる人物。学校講師を経て1932年に京都高等蚕糸学校教授へ就任。「第二次世界大戦」後はレーヨン投資が成功し虎ノ門周辺の土地を購入。1946年に横浜市立経済専門学校教授、1949年に横浜市立大学教授に就任。1955年に森不動産、翌年には泰成(現・森トラスト・ホールディングス)を設立し第1森ビルを竣工。1959年から教授を辞職し不動産事業に専念し森ビルを設立。その後も事業展開を続け1993年1月30日に心不全により死去。没年88歳。

1993年
【死去】服部良一【作曲家】

大阪フィルハーモニック・オーケストラからコロムビア専属に転身し、淡谷のり子の『別れのブルース』でヒットを飛ばした作曲家。作曲家の服部克久は息子に当たる。終戦直後には『東京ブギウギ』『青い山脈』『銀座カンカン娘』等の大ヒットを連発し、戦後を代表するヒットメーカーとなった。1993年1月30日に呼吸不全で85歳没。その死後、国民栄誉賞が授与された(作曲家としては古賀政男に次いで2人目)。

1994年
【死去】豊田穣【小説家・軍人】

「第二次世界大戦」中に第36期飛行学生となり、1943年にラバウルで「い号作戦」に参加後、捕虜となりハワイ・フォード島へ拘禁される。その後アメリカ本土へ移送され収容所内で小説を書き始める。1946年に帰国し中日新聞の新聞記者として初の小説「ニューカレドニア」を発表。1951年に『ミッドウェー海戦』で岐阜県文化賞受賞。以後新聞社で働きながら作家生活を送り1971年に『長良川』で直木賞受賞。1981年の東宝映画『連合艦隊』の企画協力を担当。1986年に紫綬褒章、1992年に中日文化賞受賞。1994年1月30日に死去。没年74歳。

2007年
【死去】シドニィ・シェルダン(Sidney Sheldon)【小説家・劇作家/アメリカ合衆国】

ハリウッドでの脚本家、ブロードウェイでの劇作家時代を経て小説家に転身。『真夜中は別の顔』『ゲームの達人』等の大ヒット作で世界的人気を獲得し、その著書は累計3億部を超える。日本でも”超訳”と銘打ったその著書は爆発的なブームになり、『ゲームの達人』『女医』『血族』等の作品が相次いでドラマ化された。プライベートでは生来の双極性障害であり、17歳の頃には自殺未遂も。2007年1月30日に肺炎の合併症で死亡した。没年89歳。

2015年
【暗殺】後藤健二【ジャーナリスト】

テレビ番組制作会社勤務を経て、1996年に自身の映像通信会社「インデペンデント・プレス」を設立。フリーランスのジャーナリストとして国内外を取材活動するが、次第に中東やアフリカ等の紛争地域にも活動を拡げ、取材先でアル=ヌスラ戦線に1日身柄を拘束されたことも。2014年10月下旬から11月にかけて、取材先のシリア近郊でイスラム国に身柄を拘束されたとされ、2015年1月30日頃に首を撥ねられ殺害されたと見られている。没年47歳。日本政府への取り引きでイスラム国がアップロードした脅迫映像の人質として世界的な話題となった末の惨劇であった。

2018年
【死去】アゼリオ・ビチーニ(Azeglio Vicini)【サッカー選手・サッカー指導者/イタリア】

20世紀から21世紀初頭にかけて活躍したイタリアのサッカー選手およびサッカー指導者。1950年代からイタリアのサッカークラブであるヴィチェンツァ・カルチョ、ブレシア・カルチョなどで活躍。1975年からイタリアU-21代表監督を務め1986年にワールドカップイタリア代表の監督へ就任。1990年のワールドカップ・イタリア大会での準決勝敗退、翌年のUEFA欧州選手権1992予選敗退で監督を辞任。その後、FIGCの技術部門責任者を経て2018年1月31日に死去。没年84歳。

2018年
【死去】有賀さつき【アナウンサー・タレント】

昭和から平成にかけて活躍したアナウンサーおよびタレント。1988年にフジテレビへ入社、女子アナブームにより同期アナウンサーの河野景子・八木亜希子らとともに“花の三人娘”と呼ばれる。1992年にフジテレビを退社しタレントとして活動を開始。2000年に芸能界を引退するも2002年に復帰。晩年はアナウンス講座などを行なっていたが、2018年1月30日に卵巣ガンで死去。没年52歳。

2018年
【自殺】マーク・サリング(Mark Salling)【俳優・ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1990年代から2000年代初頭にかけて活躍したアメリカの俳優および歌手。2009年にアメリカのドラマ『glee/グリー』へ出演。翌年にソロアルバム『Pipe Dreams』を発表。2013年に元恋人に対する性的暴行で逮捕されその後被害者と和解。2015年に児童ポルノ所持で逮捕・起訴され、2018年1月30日に自殺。没年35歳。