『仮名垣魯文作「高橋阿伝夜叉譚」挿絵』

1879年1月31日は、明治初期を賑わせた“毒婦”こと高橋お伝が死亡した日である。
“毒婦”という言葉は、「人をだましたりおとしいれたりする無慈悲で性根の悪い女。奸婦(かんぷ)」(デジタル大辞泉より)というものであり、明治初期の出版界で大流行し、そこから歌舞伎狂言の一ジャンル《毒婦物》を築くにまでなったが、その代名詞となっているのが1879年の高橋お伝による殺人の物語である。
故郷の群馬から供に出てきた横浜で夫の浪之助を亡くしたお伝は街娼・妾となり、小川市太郎なるヤクザと恋仲になった。
その荒廃した生活の果てに経済的に困窮したお伝は、古物商の後藤吉蔵への借金の形に愛人となる約束を取り付けた。
しかし、いざ吉蔵と浅草蔵前片町の旅籠屋「丸竹」に宿泊してみれば、借金の約束を反故にしたため、睡眠中の吉蔵を剃刀で殺害し、現金を奪って逃げたというものである。
この事件は、仮名垣魯文による『高橋阿伝夜叉譚(たかはしおでんやしゃものがたり)』(1879年)等、多くの作品で広く報じられ、後の〝鳥追いお松〟と同様に《毒婦物》と呼ばれる流行を築いた。
そして逮捕されたお伝は1879年1月31日に斬首刑に処されるのだが、それは日本で最後の斬首刑とも言われている。
死後、その女性器が東京大学にホルマリン漬けになっているということもあり、後世まで話題となり続けた毒婦。
殺人犯といえど、お伝のその体を張った死にものぐるいの人生が我々の心を惹きつけて止まないのは、後の阿部定の物語をみてもよくわかるように、それらが《人間の真実》を象徴しているからだろう。

(画像は仮名垣魯文作「高橋阿伝夜叉譚」より使用。Public Domain)

1月31日の不幸

1398年
【死去】崇光天皇【天皇】

南北朝時代に北朝第3代天皇(1348年〜1351年)となった人物。1348年、叔父・光明天皇から譲位され即位、父・光厳上皇が院政を行なう。在位中の1349年に「観応の擾乱」が勃発し、1351年に正平一統となり北朝が消滅し廃位へ。1352年、南朝側へ囚われ金剛寺で抑留生活を送り、1357年に光厳院、直仁親王らと帰京。その後、皇子栄仁の即位のために北朝第4代後光厳天皇と争うも実現せず、1398年1月31日に死去。没年63歳。

1580年
【死去】エンリケ1世(Henrique I)【王族/ポルトガル】

16世紀ポルトガルでポルトガル王国アヴィス朝国王(1578年〜1580年)となった人物。ポルトガル王マヌエル1世の息子として生まれ、大司教、異端審問所長官を経て枢機卿となる。1555年に又甥セバスティアン王の摂政となり1578年にセバスティアンが死去すると国王に即位。1580年1月31日に死去。没年68歳。

1879年
【処刑】高橋お伝【街娼・妾】

“毒婦”として明治初期を賑わせた殺人犯。夫の浪之助を亡くした後に街娼・妾となり、荒廃した生活の果てに経済的に困窮し愛人の後藤吉蔵を剃刀で殺害し、現金を奪って逃走。その後逮捕され1879年1月31日に斬首刑に処された(日本で最後の斬首刑とされている)。没年29歳。この事件は、仮名垣魯文による『高橋阿伝夜叉譚(たかはしおでんやしゃものがたり)』(1879年)等、多くの作品で広く報じられ、後の〝鳥追いお松〟と同様に《毒婦物》と呼ばれる流行を築いた。

1933年
【死去】ジョン・ゴールズワージー(John Galsworthy)【小説家・劇作家/イギリス】

20世紀に活躍した小説家および劇作家でイギリス人としては2人目のノーベル文学賞受賞者。法律を学ぶも弁護士にはならず、1890年から船舶業をしながら世界旅行へ。1897年に短編小説『From the Four Winds』を出版。1906年に戯曲『The Silver Box』などを発表し、劇作家としてイギリス国内で評価されることに。その後、『The Apple Tree』(1916年)、『The Forsyte Saga』(1922年)といった小説を発表し、1932年にノーベル文学賞を受賞。1923年から1933年にかけて国際ペンクラブの初代会長を務めている。1933年1月31日、脳腫瘍で死亡。没年65歳。

1945年
【死刑】【夭逝】エディ・スロヴィク(Edward Donald Slovik)【軍人/アメリカ合衆国】

「第二次世界大戦」中のアメリカ陸軍二等兵で「南北戦争」以来、同軍において唯一脱走・敵前逃亡の罪で銃殺刑されたことで知られる人物。1944年に徴兵され敵前逃亡を繰り返し懲罰房へ収監される。その後、任務を忌避し脱走したとして軍法会議にかけられ有罪となり1945年1月31日に銃殺刑により死去。没年24歳。

1948年
【奇妙な死】ジョン・トーマス・ダニエルズ・ジュニア(John Thomas Daniels, Jr.)【アマチュアカメラマン・海難救助員】

1903年12月17日にライト兄弟の有人初飛行を写真撮影したアマチュアの写真家]。4回の飛行の内の1、3、4回目が無事撮影され、4回目は突風により事故を起こしかけ、それを防ごうとして翼に挟まれるという危機もあったという。ライト兄弟の弟、オーヴィル・ライトの亡くなった1948年1月30日の翌日に死亡した。没年74歳。

1954年
【自殺】エドウィン・アームストロング(Edwin Howard Armstrong)【発明家・技術者/アメリカ合衆国】

アメリカを代表する電子技術者であり、周波数変調(FM)を発明したことで広く知られる人物。晩年はその特許を採用したラジオ会社RCAとの権利闘争で困窮の上精神的に疲弊し、妻へのDVを行なうなど精神的変調をきたし、ニューヨークの自宅アパート13階から飛び降り自殺。没年63歳。

1956年
【死去】A・A・ミルン(Alan Alexander Milne)【作家/イギリス】

ひとり息子クリストファーのために書いたと言われる代表作『Winnie-the-Pooh(クマのプーさん)』で知られる児童文学作家。『赤い館の秘密』等を発表した推理小説作家、ファンタジー作家としても知られる。74歳没。

1956年
【社会事件】「岸信介内閣総理大臣臨時代理就任」

1956年12月に石橋湛山内閣が樹立するも65日後の1957年1月31日に脳梗塞で倒れ岸信介が内閣総理大臣臨時代理となる。

1969年
【死去】メハー・ババ(Meher Baba)【神秘家・宗教家/インド】1954年に”アヴァターラ(ヒンドゥー教の究極的存在)”であることを宣言した神秘家。1925年7月10日から死亡した1969年1月31日まで44年にわたり沈黙を続け、その間はアルファベット板を指差すか、手を使った独自の手話で意思の疎通を図った。1952年にアメリカで、1956年にインドで交通事故に遭い、以降は歩行すら困難となったが、指導者としての活動を続けた。没年74歳。
1974年
【死去】サミュエル・ゴールドウィン(Samuel Goldwyn)【映画プロデューサー・実業家/ポーランド・アメリカ合衆国】

ポーランド・ワルシャワでのユダヤ人の家庭に生まれ、イギリス経由でにアメリカに移住。セールスマンとして成功を収める。1917年から映画プロデューサーとして活動を始め、後の「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)」となる「ゴールドウィン・ピクチャーズ」を設立。 第二次大戦直後のハリウッド映画界で活躍した。1974年にロサンゼルスの自宅にて老衰で死亡。94歳没。

1978年
【死去】ダミア(Damia)【歌手/フランス】

20世紀フランスのシャンソン歌手および女優。10代でシャトレ劇場の女優となり1911年に歌手としてデビュー。1936年に代表曲となった『Sombre dimanche(暗い日曜日)』を発表するもフランス国内で放送禁止となり物議を醸す。その後も『Tu ne sais pas aimer(人の気も知らないで)』『Les Goélands (かもめ)』『Johnny Palmer』などのヒット曲を発表。1954年から1955年にかけて引退コンサートを行ない芸能活動を引退。1978年1月31日に死去。没年88歳。

1978年
【プロ野球事件】「江川事件」

1978年のドラフト会議前日に江川卓が読売ジャイアンツへ入団契約するも契約無効となり、1979年1月31日に阪神タイガースへ入団。同日中に小林繁とトレードされ読売ジャイアンツへ移籍。

1983年
【逮捕】「連続殺人犯勝田清孝逮捕」

1983年1月31日、1972年から1983年にわたり東海地方・近畿地方で8人を殺害した勝田清孝(当時34歳)が名古屋市昭和区で強盗致傷容疑で現行犯逮捕される。その後、1994年に死刑判決となり2000年に刑が執行されている。

1987年
【死去】渡辺晋【実業家】

ジャズ・ミュージシャンから転身し妻と松下治夫とともに1955年4月に渡辺プロダクションを設立。まだプロダクションに所属する芸能人が少なかった戦後芸能界に於いて、レコードの原盤権までを系列会社で行なうビジネスモデルを確立し、クレイジー・キャッツ、ドリフターズ、ザ・タイガース、キャンディーズを擁し巨大な”ナベプロ帝国”を築いた。59歳で急死。臨終の際に娘のミキ(現渡辺プロダクション代表取締役会長)に『シャボン玉ホリデー』のテーマ曲を歌わせながら死んでいったとされる。

1994年
【火災事件】「1994年リセウ大劇場火災」

1994年1月31日、スペイン・バルセロナのオペラ劇場であるリセウ大劇場で失火により火災が発生しステージと観客席が全焼。1861年の火災から2回目となった。

1996年
【使用中止】「電信・モールス符号使用中止」

通信衛星の登場により国際的な船舶安全通信がGMDSSに移行されることが決定し、海上保安庁は1996年1月31日の運用を最後に電信・モールス符号の使用を中止。

1999年
【死去】ジャイアント馬場【プロレスラー・プロ野球選手・実業家】

1955年に投手としてプロ野球、読売ジャイアンツに入団。大型投手として将来を嘱望されたが1958年に解雇。1960年に大洋ホエールズのテスト生としてキャンプ中に風呂場でガラスに突っ込み左手を負傷、野球選手を諦めてプロレスラーに転身。力道山の日本プロレス期待の若手としてアントニオ猪木と共に活躍。力道山急逝後は全日本プロレスを旗揚げし、大型外人レスラーを次々と招聘、”王道プロレス”を掲げ新日本プロレスと2強体制で昭和のマット界を牽引した。晩年は社長業の傍らラッシャー木村らとのファミリー軍団として明るく楽しいプロレスを前座で繰り広げ、死亡する前月の1998年12月5日まで現役レスラーとしても活躍した。1999年1月31日に大腸ガンの肝転移からの肝不全で死亡。没年61歳。

1999年
【閉店】「東急百貨店日本橋店(旧・白木屋)閉店」

1999年1月31日、東京都中央区日本橋一丁目の江戸三大呉服店のひとつとして知られた東急百貨店日本橋店(旧・白木屋)が経営不振のため開業336年で閉店。

2000年
【航空事故】「アラスカ航空261便墜落事故」

2000年1月31日、アメリカの西海岸沖で発生したアラスカ航空261便(マクドネル・ダグラスMD-83)の墜落事故。事故は不適切なメンテナンスにより水平安定板が故障したことで起こったが、その背景には他社との競争で収益が低下し、同社が部品の交換を基準値以下にしたこと、また、運行数増加に伴う人員を確保しなかったこと判明している。この事故により乗客乗員含む88人全員が死亡した。

2001年
【航空事故】「日本航空機駿河湾上空ニアミス事故」

2001年1月31日に静岡県焼津市沖駿河湾上空で日本航空907便(ボーイング747-400D)と同航空958便(DC-10-40)の2機が起こしたニアミス事故。最接近距離約135メートルで回避操作を行なったが、907便の一部が破損、また同機の急降下によりおよそ100人が負傷したが、両機乗客乗員合わせて427人(907便)、250人(958便)に死者は出なかった。事故原因は航空管制官らによる不適切な管制指示にあったとし、管制官らは刑事責任を問われ有罪判決となっている。

2004年
【殺人事件】「茨城女子大生殺害事件」

2004年1月31日、茨城大学に通う茨城県稲敷郡阿見町在住の女子大生・原田実里(当時21歳)が殺害され美浦村舟子地内の清明川で遺体発見された事件。犯人はフィリピン国籍の工員ランパノ・ジェリコ・モリ容疑者を含む3人で強姦後、原田さんの首を絞めて殺害したとされる。2019年1月ランパノ被告は無期懲役の判決が下っている。

2004年
【拉致事件】「毎日新聞社長監禁事件」

2004年1月31日、毎日新聞社長・斎藤明が自宅近くで拉致され車内に監禁、全裸にされ両手足を縛られた写真を取られ「社長を辞めろ。写真をばらまく」と脅迫された事件。主犯はコーヒー豆販売会社社長の藤田幸弘で、犯行時に毎日新聞関連会社である国際観光ホテルナゴヤキャッスルが経営する名古屋市内のホテルへのコーヒー豆取引再開を要求。藤田は事件発生の6年前に国際観光ホテルナゴヤキャッスル社長の解任についても斎藤へ抗議している。逮捕後、藤田は懲役4年の実刑となっている。

2005年
【死去】中尊寺ゆつこ【漫画家】

バブル後期に現われたOLを”オヤジギャル”として描いた漫画『スイートスポット』で一世を風靡した漫画家、エッセイスト。1993年からはアメリカ・ニューヨークに移住し1995年に帰国。以降もコメンテーターやエッセイストとして各種メディアで活躍したが、2004年夏頃にS字状結腸ガンと診断され、翌年1月31日に死亡した。没年42歳。

2011年
【福島第一原子力発電所事故】「福島第一原子力発電所廃止」

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による「福島第一原子力発電所事故」に伴い、2014年1月31日に福島第一原子力発電所が全機廃止となった。

2012年
【焼死】川勝正幸【編集者・ライター】

「ナゴム・レコード」の設立に関わるなど1980年代〜1990年代のサブカル出版、音楽シーンを支えた編集者、ライター。2012年1月31日に自宅マンションから出火し、そのまま死亡した。没年没年55歳。

2015年
【死去】リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー(Richard Karl Freiherr von Weizsäcker)【軍人・政治家/ドイツ】

ドイツ連邦共和国第6代連邦大統領(1984年〜1994年)となった人物でドイツ統一後初の大統領として知られる。祖父はヴュルテンベルク王国文化相・首相、父はナチス親衛隊および外交官であったエルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーという家に生まれ、イギリスで歴史学などを学び、1938年に帰国。同年、ドイツ国防軍へ入隊し、翌年「ポーランド侵攻」へ参加。「第二次世界対戦」終戦までドイツ軍軍人として過ごす。1945年に学業へ戻り法律を学んだ後、法律顧問、銀行員、製薬会社社員などを経て、1954年にキリスト教民主同盟へ入党。党の代表を務め1969年にドイツ連邦議会議員に当選。その後、大統領候補となるもヴァルター・シェールに敗れ、1976年に対抗模擬内閣に入閣。1981年、西ベルリン市長へ就任。1984年、連邦大統領に選出。1990年、任期中にドイツ再統一が成立。1994年に退任後も政治活動を続け2015年1月31日、老衰により死去。没年94歳。

2017年
【死去】時天空慶晃(アルタンガダシーン・フチットバータル/Altangadasyn Khüchitbaatar)【大相撲力士/モンゴル】

2000年代に活躍したモンゴル出身の大相撲力士。モンゴル国立農業大学からスポーツ交流留学生として東京農業大学へ転入し、同年に全国学生相撲個人体重別選手権大会で優勝。在学のまま、時津風部屋へ入門し2002年に初土俵、2004年に入幕。同年、十両優勝し、その後も昇進を続け2007年に西小結へ昇進。2014年、十両優勝するも翌年骨折により全休。2016年に悪性リンパ腫と診断されたことを発表、現役を引退し年寄・間垣を襲名するも翌年1月31日、同病により死去。没年37歳。

2018年
【死去】いときん【ミュージシャン】

J-POPグループ「ET-KING」のリーダーとして活躍した人物。1999年にTENN、KLUTCHと「ET-KING」を結成。リーダーとして活動し、2014年に同グループを解散。翌年、活動を再開するも2017年にガンであることを発表。闘病生活を続ける中、音楽活動も行なっていたが、2018年1月31日、ガン性心膜炎のため死去。没年38歳。