『バディ・ホリー(写真左上)ザ・ビッグ・ホッパー(写真左下)リッチー・ヴァレンス(写真中央)を乗せての飛行中に墜落した機体(写真大/民間航空局撮影)』

1959年2月3日は、3人のロック・スターを乗せた飛行機が墜落した日、通称“The Day the Music died(音楽の死んだ日)”である。
1950年代を席捲したロック・スター、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグ・ホッパーの3人でのツアー中の移動での悲劇が起きたのがこの日。
3人が同乗した飛行機は吹雪で制御不能になり、アイオワ州セロ・ゴード郡グラント郡区のトウモロコシ畑に墜落。
パイロットのロジャー・ピーターソンを含む4人全員が死亡した。
この時既に人気絶頂にあったホリーは22歳、ヴァレンスは17歳、ザ・ビッグ・ボッパーは28歳。
まさにこれから創成期のロックを牽引してゆくはずの瑞々しい若き才能が一挙に喪失するという悲しい日となった
同時代を生きたロックスターのエディ・コクランは、彼らの衝撃的な死を悼み、同年に『Three Stars』という曲を発表。
“北の空に明るく輝く3つの新しい星”それぞれに語りかけている。

Look up in the sky, up towards the north
There are three new stars, brightly shining forth
They're shining oh-so bright from heaven above
Gee, we're gonna miss you, everybody sends their love
(エディ・コクラン『Three Stars』)

そしてドン・マクリーンは1971年に発表した『American Pie』でこの日の悲劇に言及し、曲中で“音楽が死んだ日(The Day the Music died)”と繰り返し歌っている。
以来、2月3日は毎年、世界中で、そう繰り返されているのだ。

(写真はWikipedia Buddy Holly, Ritchie Valens, The Big Bopperより使用。Public Domain)

2月3日の不幸

1451年
【死去】ムラト2世(Murad II)【皇帝/オスマン帝国】

15世紀オスマン帝国で第6代オスマン帝国皇帝(スルタン)となった人物。第5代オスマン帝国皇帝メフメト1世の息子として生まれ、1421年に皇帝に即位。即位後、同盟国であった東ローマ帝国が「アンカラの戦い」で死んだとされていた叔父ムスタファを対立皇帝として擁立。ムラト2世はこのムスタファを偽物として処刑し同盟を破棄するもその後和睦。1444年に「ヴァルナの戦い」でブルガリア侵攻を行なうハンガリー軍に勝利し同年に退位。1446年に復位しキリスト教国との戦いに勝利。1451年2月3日に死去。没年46歳。

1751年
【死去】大岡忠相【幕臣・大名】

江戸時代中期の幕臣および大名でTBS系列の時代劇テレビドラマ『大岡越前』のモデルで知られる人物。旗本・大岡忠高の息子として生まれ1700年に養父・大岡忠真が死去し3代目当主となる。以後 書院番、目付などを経て1712年に山田奉行に就任。1717年に江戸町奉行(南町奉行)に就任し“越前守”と名乗る。町奉行就任後は町政改革や江戸の防火体制、小石川養生所の設置などを行なう。1736年に貨幣改鋳として元文小判を発行。同年に寺社奉行へ転任。1748年に奏者番を兼帯、同年に大名となる。1751年寺社奉行を辞任し翌1752年2月3日に病により死去。没年75歳。

1779年
【死去】ルイ・ド・ジョクール(Louis de Jaucourt)【学者・医師・啓蒙思想家/フランス】

18世紀フランスの学者・医師および啓蒙思想家で『百科全書』の執筆に携わったことで知られる人物。神学・自然科学・薬学などを学び、1759年から『百科全書』の執筆を行なう。1765年まで同書のおよそ25%を執筆することに。以後、ロンドン王立協会など多くのアカデミー会員となり1779年2月3日に死去。没年74歳。

1901年
【死去】福沢諭吉【思想家・教育者】1984年より日本銀行券一万円紙幣の人物として採用されている思想家、教育者。新聞『時事新報』の創刊、慶應義塾の創設、伝染病研究所の創設等、明治期の日本の教育に置いて様々な分野で多大な貢献を果たした。代表的な著書『学問のスゝメ』冒頭の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」の言葉で知られる。1898年9月26日に脳出血で倒れるも回復、1901年1月25日に再び脳出血を起こし、入院後の2月3日に再出血。そのまま死亡した。66歳没。
1922年
【列車事故】【自然災害】「北陸線列車雪崩直撃事故」

1922年2月3日に新潟県西頸城郡歌外波村の鉄道省北陸本線親不知駅と青海駅間にある勝山トンネル西口で雪崩が発生し運行中の列車を直撃。その後列車は脱線し乗員乗客合わせた200人のうち90人が死亡、40人が負傷した。

1924年
【死去】ウッドロウ・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)【政治家・政治学者/アメリカ合衆国】

20世紀アメリカの政治家および政治学者で第28代アメリカ大統領(1913年〜1921年)となった人物。キリスト教牧師の一族に生まれるも幼い頃から政治家を志し政治学を学ぶ。政治学博士号を取得し1902年にプリンストン大学総長に就任。1911年にニュージャージー州知事となり1913年に大統領へ就任。1917年に「第一次世界大戦」に参加。1918年に「十四か条の平和原則」を発表。パリ講和会議参加のためアメリカ大統領初のヨーロッパ外遊を行ない、国際連盟創設に尽力。1919年にその功績によりノーベル平和賞を受賞。同年に脳梗塞を発症し執務が困難となるも1921年まで続投。1924年2月3日に脳卒中で死去。没年67歳。

1931年
【自然災害】「1931年ホークスベイ地震」

1931年2月3日、ニュージーランド北島中部東岸でマグニチュード7.8の地震が発生。ネーピアおよびヘイスティングスといったホークスベイ地方の都市を中心に258人が死亡、数千人が負傷しニュージーランド史上最大の被害を出すこととなった。

1946年
【大量虐殺】【ジェノサイド】「通化事件」

「第二次世界大戦」後の1946年2月3日に中華民国政府統治下に置かれた旧・満州国通化省通化市で日本人が蜂起するも中国共産党軍(八路軍)および朝鮮人民義勇軍南満支隊により鎮圧され、日本人およそ3,000人が虐殺される。

1952年
【暴行事件】「田口事件」

1952年2月3日に長野県南佐久郡田口村(現・佐久市)で日本共産党員らが警官4人を暴行し銃と警察手帳を奪う。その後、日本共産党員8人が逮捕された。

1959年
【航空事故】バディ・ホリー(Buddy Holly)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1950年代中盤から活動し、黒縁のメガネと独特のしゃくり上げるような歌唱法、そして『That’ll Be the Day』『It’s so Easy』『Peggy Sue』等数々の大ヒット曲で知られるに不世出の天才ロックンロール・シンガー。実質2年ほどの世界的活躍であったにもかかわらず、音楽界に及ぼしたその影響は絶大で、ザ・ビートルズ、ローリング・ストーンズを始めとした多くのミュージシャンがその影響を公言している。1959年に行なったツアーの最中にリッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグ・ホッパーと同乗した飛行機が吹雪で制御不能になりアイオワ州セロ・ゴード郡グラント郡区のトウモロコシ畑に墜落。パイロットのロジャー・ピーターソンを含む4名全員が死亡した。没年22歳。この事故は後に”音楽が死んだ日(The Day the Musi Died)”と呼ばれ、世界中がその悲劇を偲んだ。ちなみに、事故当時バディの子を身籠もっていた妻マリア・エレナ・ホリーはその訃報を聞き次第流産した。彼女はツアーに同行しなかった自分自身を悔い、その後もバディの墓にゆくことはなかった。

1959年
【航空事故】リッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1958年に『カム・オン・レッツ・ゴー』でデビューしたロックンロール歌手。すぐさまセカンド・シングル『ドナ』をとそのカップリング曲はメキシコ民謡をロックン調にカバーした『ラ・バンバ』を発表。その直後のツアー中にバディ・ホリー、ザ・ビッグ・ホッパーと同乗した飛行機が吹雪で制御不能になりアイオワ州セロ・ゴード郡グラント郡区のトウモロコシ畑に墜落。パイロットのロジャー・ピーターソンを含む4名全員が死亡した。没年17歳。その死後、『ドナ』は全米2位、『ラ・バンバ』は同22位というヒット曲となった。

1959年
【航空事故】ザ・ビッグ・ホッパー(Jiles Perry Richardson Jr. “The Big Bopper”)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1958年の代表曲『Chantilly Lace』で知られるロックンロール歌手。ツアー中にチャック・ベリー、リッチー・ヴァレンスと同乗した飛行機が吹雪で制御不能になりアイオワ州セロ・ゴード郡グラント郡区のトウモロコシ畑に墜落。パイロットのロジャー・ピーターソンを含む4名全員が死亡した。没年28歳。

1962年
【キューバ危機】「米国対キューバ禁輸措置」

1962年2月3日、ジョン・F・ケネディ米大統領がキューバのソ連ミサイル配備へ抗議しキューバへの輸出入を全面禁止することを発表。

1975年
【死去】ウム・クルスーム(Umm Kulthum)【歌手・ミュージシャン・女優/エジプト】

独特の発声と音楽性で、”エジプトの声””第4のピラミッド”とも称された20世紀で最も影響力のある歌手のひとりであり、アラビア語圏で最大の人気を誇る歌姫。その生涯で8,000万枚以上のレコードのセールスを記録した。40分を超える代表曲『Enta Omri(あなたは私の命)』のように壮大な楽曲が特徴であり、少女期から1972年まで長きにわたり活動を続けたが、1967年から患っていた腎炎で1975年2月3日に死亡。76歳没。その葬儀は国葬となり、400万人もの人々が集まった。

1989年
【死去】ジョン・カサヴェテス(John Cassavetes)【映画監督・俳優/アメリカ合衆国】

1968年、抵当に入れた自宅を舞台にした映画『フェイシズ』で”インディペンデント映画”というジャンルを確立したアメリカの映画監督。同作で国際的な評価を確立して以降、1980年の『グロリア』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、1984年の『ラヴ・ストリームス』でベルリン国際映画祭金熊賞、国際批評家連盟賞を受賞するなどして、世界的な映画監督のひとりとなった。1989年にロサンゼルスの病院にて肝硬変で死亡。59歳没。長男ののニック・カサヴェテスも俳優兼映画監督として活動し、父の脚本作『シーズ・ソー・ラヴリー』を監督した。長女のアレクサンドラ、次女のゾエも映画監督として活動している。

1997年
【奇妙な死】【事故死】【自殺】ボフミル・フラバル(Bohumil Hrabal)【小説家/チェコ】

共産体制下で検閲と戦いながら執筆を続け、その活動期間の多くを地下出版や外国での出版に費やしながらも20世紀のチェコ文学でも最も重要といわれる小説家のひとり。代表作に『あまりにも騒がしい孤独』『わたしは英国王に給仕した』等。1997年2月3日早朝、入院していたプラハ市内の病院の窓から鳩に餌をやろうとして転落死した。没年82歳。多くの作品に自殺をほのめかしていた箇所があることから自殺であったともいわれており、主治医は「自殺と信じて疑わない」と証言している。

1998年
【航空事故】【国際問題】【不祥事】「チェルミス・ロープウェイ切断事件」

1998年2月3日にアメリカ海兵隊航空機がイタリア・カヴァレーゼのスキー場でチェルミス山頂か麓を結ぶロープウェイのケーブルに接触し切断。ゴンドラに乗っていた利用者20人全員が死亡した。事件後、パイロットのリチャード・J・アシュビー大尉と航法士ジョゼフ・シュワイツァー大尉は軍法会議にかけられ不名誉除隊へ。その後イタリア・アメリカ間の外交問題へと発展することに。

2003年
【殺人事件】ラナ・クラークソン(Lana Clarkson)【ファッションモデル・女優】

1980年代に制作された「S&S(sword-and-sorcery)」で人気を博した女優。2003年2月3日に交際していた世界的作曲家・プロデューサーのフィル・スペクターにより射殺された。没年40歳。

2005年
【死去】ズラブ・ジワニア(Zurab Zhvania)【政治家/グルジア】

21世紀グルジアの政治家でグルジア首相(2004年〜2005年)となった人物。1988年に緑の党を組織し1991年にグルジア初代大統領ズヴィアド・ガムサフルディア政府への反対活動を行なう。1992年1月にガムサフルディアが失脚し同年に国会議員となる。翌年にグルジア市民連合党首となり1995年に国会議長へ選出。2001年に政党のスキャンダルに抗議し報道官を辞職、市民連合を離脱。2002年に連合民主党を創設し党首に就任。2004年に首相に就任するも2005年2月3日に暖房器具の事故により一酸化炭素中毒で死去。没年41歳。

2009年
【急死】泡坂妻夫【小説家・紋章上絵師】

昭和から平成にかけて活躍した推理作家および紋章上絵師。紋章上絵師の家に生まれ、家業の傍ら執筆活動を行なう。1976年に短篇『DL2号機事件』が幻影城新人賞佳作入選し作家デビュー。以後、日本推理作家協会賞受賞作『乱れからくり』(1978年)、角川小説賞受賞作『喜劇悲奇劇』(1982年)、泉鏡花文学賞受賞作『折鶴』(1988年)、直木賞受賞作『蔭桔梗』などを発表。そのほか、奇術愛好家兼奇術師として1968年に第2回石田天海賞受賞。晩年も作家として活動を続け、執筆中の2009年2月3日に急性大動脈解離のため急死。没年75歳。

2016年
【麻薬事件】「清原和博逮捕」

西武ライオンズ、読売ジャイアンツなどで活躍した元プロ野球選手の清原和博が覚醒剤取締法違反で逮捕。0.04グラムの覚醒剤と注射器とストローを押収。覚醒剤の使用も認めた。清原の覚醒剤疑惑については2014年頃から一部週刊誌などで報じられており、逮捕後の供述に拠れば2008年の引退直後から繰り返し使用していたという。同年5月31日に懲役2年6カ月(執行猶予4年)の有罪判決が下った。