『バディ・ホリー(写真左上)ザ・ビッグ・ホッパー(写真左下)リッチー・ヴァレンス(写真中央)を乗せての飛行中に墜落した機体(写真大/民間航空局撮影)』

1959年2月3日は、3人のロック・スターを乗せた飛行機が墜落した日、通称“The Day the Music died(音楽の死んだ日)”である。
1950年代を席捲したロック・スター、バディ・ホリー、リッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグ・ホッパーの3人でのツアー中の移動での悲劇が起きたのがこの日。
3人が同乗した飛行機は吹雪で制御不能になり、アイオワ州セロ・ゴード郡グラント郡区のトウモロコシ畑に墜落。
パイロットのロジャー・ピーターソンを含む4人全員が死亡した。
この時既に人気絶頂にあったホリーは22歳、ヴァレンスは17歳、ザ・ビッグ・ボッパーは28歳。
まさにこれから創成期のロックを牽引してゆくはずの瑞々しい若き才能が一挙に喪失するという悲しい日となった
同時代を生きたロックスターのエディ・コクランは、彼らの衝撃的な死を悼み、同年に『Three Stars』という曲を発表。
“北の空に明るく輝く3つの新しい星”それぞれに語りかけている。

Look up in the sky, up towards the north
There are three new stars, brightly shining forth
They're shining oh-so bright from heaven above
Gee, we're gonna miss you, everybody sends their love
(エディ・コクラン『Three Stars』)

そしてドン・マクリーンは1971年に発表した『American Pie』でこの日の悲劇に言及し、曲中で“音楽が死んだ日(The Day the Music died)”と繰り返し歌っている。
以来、2月3日は毎年、世界中で、そう繰り返されているのだ。

(写真はWikipedia Buddy Holly, Ritchie Valens, The Big Bopperより使用。Public Domain)

2月3日の不幸

1901年
【死去】福沢諭吉【思想家・教育者】1984年より日本銀行券一万円紙幣の人物として採用されている思想家、教育者。新聞『時事新報』の創刊、慶應義塾の創設、伝染病研究所の創設等、明治期の日本の教育に置いて様々な分野で多大な貢献を果たした。代表的な著書『学問のスゝメ』冒頭の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」の言葉で知られる。1898年9月26日に脳出血で倒れるも回復、1901年1月25日に再び脳出血を起こし、入院後の2月3日に再出血。そのまま死亡した。66歳没。
1959年
【航空事故】バディ・ホリー(Buddy Holly)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1950年代中盤から活動し、黒縁のメガネと独特のしゃくり上げるような歌唱法、そして『That’ll Be the Day』『It’s so Easy』『Peggy Sue』等数々の大ヒット曲で知られるに不世出の天才ロックンロール・シンガー。実質2年ほどの世界的活躍であったにもかかわらず、音楽界に及ぼしたその影響は絶大で、ザ・ビートルズ、ローリング・ストーンズを始めとした多くのミュージシャンがその影響を公言している。1959年に行なったツアーの最中にリッチー・ヴァレンス、ザ・ビッグ・ホッパーと同乗した飛行機が吹雪で制御不能になりアイオワ州セロ・ゴード郡グラント郡区のトウモロコシ畑に墜落。パイロットのロジャー・ピーターソンを含む4名全員が死亡した。没年22歳。この事故は後に”音楽が死んだ日(The Day the Musi Died)”と呼ばれ、世界中がその悲劇を偲んだ。ちなみに、事故当時バディの子を身籠もっていた妻マリア・エレナ・ホリーはその訃報を聞き次第流産した。彼女はツアーに同行しなかった自分自身を悔い、その後もバディの墓にゆくことはなかった。

1959年
【航空事故】リッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1958年に『カム・オン・レッツ・ゴー』でデビューしたロックンロール歌手。すぐさまセカンド・シングル『ドナ』をとそのカップリング曲はメキシコ民謡をロックン調にカバーした『ラ・バンバ』を発表。その直後のツアー中にバディ・ホリー、ザ・ビッグ・ホッパーと同乗した飛行機が吹雪で制御不能になりアイオワ州セロ・ゴード郡グラント郡区のトウモロコシ畑に墜落。パイロットのロジャー・ピーターソンを含む4名全員が死亡した。没年17歳。その死後、『ドナ』は全米2位、『ラ・バンバ』は同22位というヒット曲となった。

1959年
【航空事故】ザ・ビッグ・ホッパー(Jiles Perry Richardson Jr. “The Big Bopper”)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1958年の代表曲『Chantilly Lace』で知られるロックンロール歌手。ツアー中にチャック・ベリー、リッチー・ヴァレンスと同乗した飛行機が吹雪で制御不能になりアイオワ州セロ・ゴード郡グラント郡区のトウモロコシ畑に墜落。パイロットのロジャー・ピーターソンを含む4名全員が死亡した。没年28歳。

1975年
【死去】ウム・クルスーム(Umm Kulthum)【歌手・ミュージシャン・女優/エジプト】

独特の発声と音楽性で、”エジプトの声””第4のピラミッド”とも称された20世紀で最も影響力のある歌手のひとりであり、アラビア語圏で最大の人気を誇る歌姫。その生涯で8,000万枚以上のレコードのセールスを記録した。40分を超える代表曲『Enta Omri(あなたは私の命)』のように壮大な楽曲が特徴であり、少女期から1972年まで長きにわたり活動を続けたが、1967年から患っていた腎炎で1975年2月3日に死亡。76歳没。その葬儀は国葬となり、400万人もの人々が集まった。

1989年
【死去】ジョン・カサヴェテス(John Cassavetes)【映画監督・俳優/アメリカ合衆国】

1968年、抵当に入れた自宅を舞台にした映画『フェイシズ』で”インディペンデント映画”というジャンルを確立したアメリカの映画監督。同作で国際的な評価を確立して以降、1980年の『グロリア』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、1984年の『ラヴ・ストリームス』でベルリン国際映画祭金熊賞、国際批評家連盟賞を受賞するなどして、世界的な映画監督のひとりとなった。1989年にロサンゼルスの病院にて肝硬変で死亡。59歳没。長男ののニック・カサヴェテスも俳優兼映画監督として活動し、父の脚本作『シーズ・ソー・ラヴリー』を監督した。長女のアレクサンドラ、次女のゾエも映画監督として活動している。

1997年
【奇妙な死】【事故死】【自殺】ボフミル・フラバル(Bohumil Hrabal)【小説家/チェコ】

共産体制下で検閲と戦いながら執筆を続け、その活動期間の多くを地下出版や外国での出版に費やしながらも20世紀のチェコ文学でも最も重要といわれる小説家のひとり。代表作に『あまりにも騒がしい孤独』『わたしは英国王に給仕した』等。1997年2月3日早朝、入院していたプラハ市内の病院の窓から鳩に餌をやろうとして転落死した。没年82歳。多くの作品に自殺をほのめかしていた箇所があることから自殺であったともいわれており、主治医は「自殺と信じて疑わない」と証言している。

2016年
【麻薬事件】「清原和博逮捕」

西武ライオンズ、読売ジャイアンツなどで活躍した元プロ野球選手の清原和博が覚醒剤取締法違反で逮捕。0.04グラムの覚醒剤と注射器とストローを押収。覚醒剤の使用も認めた。清原の覚醒剤疑惑については2014年頃から一部週刊誌などで報じられており、逮捕後の供述に拠れば2008年の引退直後から繰り返し使用していたという。同年5月31日に懲役2年6カ月(執行猶予4年)の有罪判決が下った。