『ミック・ジャガー(後列左から2番目)らセレブリティたちとともに写るマハリシ・マヘシ・ヨギ(前列)』

2008年2月5日は、独自の“超越瞑想”を提唱し巨万の富を築いたインドのグル、マハリシ・マヘシ・ヨギが死亡した日である。
本国インドに止まらず、超越瞑想での覚醒体験を1950年代頃からアメリカやイギリス等での活動で布教し、1960年代のヒッピームーブメントに大きな影響を及ぼした人物として広く知られているマハリシ。
その世界的な知名度に一役買ったのが、当時世界を席巻していたロックバンド、ザ・ビートルズであり、彼らのマハリシへの傾倒が、数多くの著名人をマハリシの元へ向かわせた。
ザ・ビートルズ、特にジョン・レノンはマハリシの女性問題に失望して早々に去ったが(その顛末は『Sexy Sadie』なる曲にて発表)一説に拠ればその女性問題も狂信的な状態にあったジョンらをマハリシから引き離すための捏造であったともいわれ、4人の中でも最も心酔していたジョージ・ハリスンはその後も交友を続けていた。
そのためもあり、以降もビーチボーイズやローリングストーンズ等数多くの超有名人が進んでその神秘の生徒となった。
日本でも、ソニーなどの一流企業がその理念を人材育成に取り入れていたといわれている。
以降もスイスやオランダに拠点を持ちながら自らの教えを実践し続ける『世界計画』を進め、2001年には、アメリカアイオア州フェアフィールドに地上楽園都市「マハリシ・ヴェーディック・シティ」を設立するなど、神秘主義の範疇を超えた影響力を持ち続けたマハリシ。
そして2008年1月11日、自らの90歳の誕生日に引退を発表し、翌月2月5日に息を引き取った。
そしてマハリシがいなくなった現在も彼の“超越瞑想”は世界中で学ばれており、1950年代、そしてそれ以前からインドに脈々と受け継がれてきた精神主義、神秘主義は現代の最前線に残り続けているのである。

(画像はWikipedia Maharishi Mahesh Yogiより使用。撮影=Ben Merk)

2月5日の不幸

1969年
【火災事件】「福島県磐梯熱海温泉・磐光ホテル火災事件」

1969年2月5日、福島県郡山市熱海町の磐梯熱海温泉・磐光ホテルで発生した火災。当時ホテルの目玉イベントであった金粉ショーで使用されていた松明に石油ストーブの火が引火。火災はホテルと隣接していたレジャー施設磐光パラダイスに広がりおよそ15,511平方メートルを焼失させ、宿泊客・ショーの見物客など合わせて死者31人、負傷者41人を出すこととなった。

1973年
【殺人事件】「コインロッカーベイビー」

渋谷駅のコインロッカーに入っていた紙袋の中からで生まれたばかりの男児の死体が発見され、その衝撃をもって報道された事件。いまだ犯人は不明だが、その影響力は絶大で、同年、同様の事件が43県もコインロッカーでの死体遺棄事件が続発。社会問題化した。この事件をモチーフにした1980年の村上龍の小説『コインロッカー・ベイビーズ 』等、多くのフィクションのテーマとなったことでも知られている。

1984年
【急死】エル・サント(El Sant)【プロレスラー/メキシコ】

メキシコのプロレス”ルチャ・リブレ”史上において最も人気のあった国民的英雄であり、その人気はプロレスの範疇を遙かに超え、多くの主演映画やコミック、アニメ等、伝説的な人気を博した。引退後のに出演したテレビ番組『Contrapunto』のゲストで初めてマスク外し、その素顔をみせた1週間後、1984年2月5日、心臓発作で死亡。没年66歳。実子に同じくルチャドールのスーパースター、エル・イホ・デル・サントがいる。

1997年
【死去】中田ラケット【漫才師】

「いうてみてみ」「なんじゃとて」といった流行語を生んだ「中田ダイマル・ラケット」のコンビで知られる上方漫才を代表する漫才師。1941年、すでに漫才師としてデビューしていた兄・中田勇夫に誘われ、中田ダイマル・ラケットを結成。十三朝日座でデビューし「第二次世界大戦」中も地方巡業を行なう。戦後、劇団を結成し1946年から松長興業に属して少劇場に出演し、翌年『拳闘漫才』で人気を博す。1958年、朝日放送の専属タレントとなり『お笑い街頭録音』『スチャラカ社員』『ダイマル・ラケットのみんなの歌謡曲』などの番組に出演しお茶の間の人気者へ。1970年、吉本興行へ移籍し1978年に独演会『中田ダイマル・ラケット 爆笑三夜』を開催。その後もテレビや映画、舞台で活躍し1997年2月5日、心不全により死去。没年76歳。同年、上方演芸の殿堂入りを果たしている。

1998年
【死去】山田重雄【バレーボール指導者・教員】

東京都立三鷹高等学校の女子バレーボール部の監督として1963年に同校を全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会優勝に導き、1965年に社会人バレー日立武蔵の監督に転身。白井貴子、中田久美、大林素子、吉原知子等のスター選手を育て同チームの黄金期を築き上げ、18回のリーグ優勝に導いた名将。全日本女子バレーの監督としても1968年メキシコ五輪で準優勝、1974年世界選手権、1977年ワールドカップ、1976年モントリオール五輪で優勝を獲得するなど輝かしい実績を収め日本女子バレーの黄金期を支えた。日本バレーボール協会常務理事も務めていたが、プロ化を控えたVリーグスタート直前の1994年に指導女性へのセクハラ疑惑が週刊誌上で報じられ、常務理事を退任。女子バレー界でもその影響力は失墜し、晩年は表舞台にも現われることなく66歳で死亡した。

2007年
【死去】生恵幸子【漫才師】

戦後、主に大阪で活躍した「人生幸朗・生恵幸子」の夫婦漫才コンビで知られる人物。夫の北斗七星とコンビを組んでいたが、1952年に北斗が死去。その後、幸朗と出会い再婚し1954年にコンビを結成。1963年から吉本興業へ所属し演芸番組に多く出演。1982年、幸朗が急死、以降テレビのコメンテーターなどをしながら慰問活動を行ない、法務大臣賞を受賞。2007年2月5日に死去。没年83歳。

2008年
【死去】マハリシ・マヘシ・ヨギ(Maharishi Mahesh Yogi)【宗教家/インド】

スワミ・ブラフマナンダ・サラスワティに弟子入りし、その後継を名乗り、本国インドに止まらず、独自の”超越瞑想”を提唱し巨万の富を築いたグル。1950年代頃からアメリカやイギリス等での活動で布教し、1960年代ののヒッピームーブメントに大きな影響を及ぼした人物として広く知られている。ザ・ビートルズ、ビーチボーイズやローリングストーンズ等数多くの超有名人が進んでその神秘の生徒となった。以降もスイスやオランダに拠点を持ちながら自らの教えを実践し続ける『世界計画』を進め、2001年には、アメリカアイオア州フェアフィールドに地上楽園都市「マハリシ・ヴェーディック・シティ」を設立するなど、神秘主義の範疇を超えた影響力を持ち続けた。そして2008年1月11日、自らの90歳の誕生日に引退を発表し、翌月2月5日に死亡。

2011年
【獄中死】永田洋子【活動家】

連合赤軍の中央委員会副委員長として数々のテロや殺人に関与した新左翼活動家。「あさま山荘事件」に向かう途中で起きた同志12人のリンチ殺人「山岳ベース事件」の主犯格として知られる連合赤軍ナンバー2の位置にあった人物。あさま山荘事件決行直前の1972年2月17日、最高指導者の森恒夫と下山した際に逮捕。1993年2月19日に最高裁判所で死刑判決を受け、酵素も棄却され確定となっていたが、獄中で脳腫瘍が発症し、そのまま2011年2月5日に脳萎縮と誤嚥性肺炎で死亡。没年65歳。