『ミュンヘンの悲劇の前日、レッドスターとの最後の試合に臨むマンチェスター・ユナイテッドのイレブン』

1958年2月6日は、キャプテンのダンカン・エドワーズ(写真左端)を含むマンチェスター・ユナイテッドの現役フットボール選手8人が死亡してしまったという悲劇の航空事故『ミュンヘンの悲劇』が起きた日である。UEFAチャンピオンズ・カップ(現チャンピオンズリーグ)の準決勝、ユーゴスラビアでのレッドスター・ベオグラード戦を終えて帰国中のマンチェスター・ユナイテッドのチームを乗せたチャーター機が、給油に寄ったミュンヘンのリーム空港を離陸直後に墜落。乗員乗客44名のうち23名が死亡する大惨事となった。
このスポーツ史に於いても最大級の悲劇といえる事故機には、後にイングランド最高の選手と呼ばれるボビー・チャールトンも搭乗していた。当時21歳の若きフォワードは、最も尊敬する存在であった主将・ダンカン・エドワーズの死に打ちひしがれたものの、ほどなくして立ち直り、超一流としてのキャリアを歩み始める。そして10年後の1968年、同じく事故から生還した名将、マット・バグビーとともにイングランドのクラブチームとしては史上初となるヨーロッパタイトル、チャンピオンズ・カップで初優勝を成し遂げた。その決勝戦のベンフィカ戦で2ゴールを挙げチームを勝利に導いたのは、あの悲劇のさなかにいたボビー・チャールトンであった。
2016年11月26日にブラルのフットボールチーム、シャコペエンセを乗せたチャーター機が墜落する悲劇が起きたばかりではあるが、我々の歴史が進み続ける限り、その悲劇の先には必ず喜びが待っているはずである。
そのことは、かつてのマンチェスター・ユナイテッドを始め、多くの先人たちが証明している——。

(写真はWikipedia Munich air disasterより使用。Public Domain)

2月6日の不幸

1593年
【死去】正親町天皇(おおぎまちてんのう)【天皇】

戦国時代から安土桃山時代にかけて第106代天皇(1557年〜1586年)となった人物。1557年、後奈良天皇が死去したため天皇に即位。1568年、織田信長が朝廷の援助を行なう代償に京都を制圧。以後、信長と敵対する朝倉義景、浅井長政、石山本願寺との講和を行なう。1577年、信長を右大臣へ任命。1586年、後陽成天皇に譲位し1593年2月6日に死去。没年77歳。

1685年
【死去】チャールズ2世(Charles II)【王族/イングランド・スコットランド・アイルランド】

17世紀王政復古期ステュアート朝のイングランド(1660年~1685年)・スコットランド(1649年〜1685年)・アイルランドの王となった人物。イングランド・スコットランド・アイルランド王であったチャールズ1世の息子として生まれ、「清教徒革命」が起こると1646年にフランスへ亡命。1649年にチャールズ1世が処刑されると、同年にスコットランドがチャールズを王して擁立。1651年「ウスターの戦い」でイングランドに敗れると再びフランス、ドイツへと亡命し1656年に同盟を結んだスペインへ移住。「清教徒革命」後の1660年に王政復古が興るとロンドンへ入城しイングランド王に即位。1685年2月6日、心臓発作を起こし死去。没年54歳。

1740年
【死去】クレメンス12世(Clemens XII)【ローマ教皇/イタリア】

18世紀イタリアの第246代ローマ教皇となった人物。インノケンティウス11世から高位聖職者権を購入し聖職者となり、その後教皇庁で弁護士兼財務家として従事。1690年、フラスカーティ司教枢機卿に就任。1730年にローマ教皇へ選出されると教皇庁の財政を立て直し、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂のファサード(1735年)、トレビの泉(1762年)などを建設した。1740年2月6日に死去。没年87歳。

1918年
【死去】グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)【画家/オーストリア】

19世紀末に活躍したウィーン分離派を代表する画家のひとり。1876年、博物館付属工芸学校へ入学し1879年に弟エルンストらとともにデザインなどの請負を始める。卒業後、芸術家商会を設立しブルク劇場といった劇場装飾を中心に活躍しウィーン美術界での地位を確立。1891年、ウィーン美術家組合に参加。1894年にウィーン大学大講堂の天井画を制作するも『哲学』『医学』『法学』の3部作は論争を巻き起こしたため自身で契約破棄、報酬を返却するに至った。1897年、ウィーン分離派の創設メンバーへ。1902年、分離派展で大作『ベートーヴェン・フリーズ』を発表。1905年、分離派を脱退し翌1906年にオーストリア芸術家連盟を結成。その後、『接吻』『ダナエ』(1908年)などの作品を描き、1918年2月6日スペイン風邪から脳梗塞・肺炎を引きこし死去。没年55歳。

1958年
【航空事故】「ミュンヘンの悲劇」

1958年2月6日は、UEFAチャンピオンズ・カップ(現チャンピオンズリーグ)の準決勝、ユーゴスラビアでのレッドスター・ベオグラード戦を終えて帰国中のマンチェスター・ユナイテッドのチームを乗せたチャーター機が、給油に寄ったミュンヘンのリーム空港を離陸直後に墜落。乗員乗客44人のうち23人が死亡。キャプテンのダンカン・エドワーズを含む現役の一流フットボール選手8人が死亡した。原因は羽に付着した氷による離陸時の速度低下といわれている。

1964年
【死去】エミリオ・アギナルド(Emilio Aguinaldo y Famy)【革命家・政治家/フィリピン】

独立後フィリピン初代大統領(1899年〜1901年)となった人物。1895年、一族から引き継いだビナヤカン地区バランガイ首長、カウイト町長といった職務に従事。1895年に革命家アンドレス・ボニファシオらの秘密結社カティプナンに参加。1896年にカティプナンが武装蜂起し「イムスの戦い」「ビナヤカンの戦い」で植民地政府であったスペイン軍に勝利。翌年、スペイン軍はアギナルドが治めるカヴィテ州へ侵攻を開始。アギナルド軍は同州から撤退後ゲリラ戦を続け、同年にスペインと和平協定を結ぶ。以後、アギナルドは香港に亡命していたが1898年「米西戦争」が勃発するとアメリカの援助を受けフィリピンへ帰還。「フィリピン独立戦争」を宣言しフィリピン革命軍を率いて米西戦争へ参加。同年フィリピン独立を宣言しフィリピン初代大統領に就任。翌1899年「米比戦争」が勃発、1901年アギナルドがアメリカ軍の捕虜となり同戦争は終結。同年釈放されカウイトへ帰還した後は元革命軍兵士の支援をしながら農業を営むといった引退生活へ。1964年2月6日、冠動脈血栓症により死去。没年94歳。

1984年
【死去】三原脩【プロ野球選手・指導者】

“三原魔術”の名をほしいままにした日本プロ野球の伝説的名将。1リーグ制の頃の日本職業野球連盟時代、2リーグ制に移行してからはセ・パ両リーグで監督として日本一を経験した唯一の指導者。プロ野球タイ記録の5球団で監督を務め、巨人、西鉄、大洋で日本一に導いた。現役時代は大日本東京野球倶楽部(後の東京巨人軍)に所属した。晩年は日本ハムの球団社長を務める等活躍したが、糖尿病を患い、その悪化による心不全で死亡した。没年72歳。

1998年
【死去】カール・ウィルソン(Carl Dean Wilson)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

1960年代に世界中を席巻したアメリカのサーフ・ロックバンド「ザ・ビーチ・ボーイズ」の中心メンバーであったウィルソン3兄弟の末弟。グループの中でも際立った美声の持ち主として知られ、『God Only Knows』等多くのヒット曲でメイン・ボーカルを務めている。1970年代以降は精神的に不安定であった長兄カールに代わりリーダーとしてバンドを率いたが、1988年に肺ガンで死亡。没年51歳。

1998年
【交通事故死】ファルコ(Falco/Johann Hölzel)【ミュージシャン/オーストリア】

1985年のヒット曲『Rock Me Amadeus』で知られるミュージシャン。1996年にドミニカ共和国に移住しており、1998年2月6日にドミニカのサント・ドミンゴを走行中に交通事故死。没年40歳。死後行なわれた検死結果、血液から高濃度アルコールとコカインが検出された。

2004年
【爆破テロ】「2004年モスクワ地下鉄爆破事件」

2004年2月6日、ロシア・モスクワ市内南部の地下鉄でニコライ・キプキエフらチェチェン人テロリストが起こした爆破テロ。通勤時間帯に爆発は起きたため、およそ120人が負傷、39人の死者が出た。

2007年
【死去】渡辺和博【編集者・イラストレーター・エッセイスト】

南伸坊に誘われ青林堂に入社。マンガ雑誌『ガロ』の編集者として、南の退社後は編集長としても活躍した。退社後はヘタウマと呼ばれた画風のイラストとエッセイで活躍、代表作に”○金””○ビ”等の言葉で1980年代の格差社会をパロディ化した『金魂巻』等多数。1984年にはテレビ『笑っていいとも!』にもレギュラー出演した。2003年に肝臓ガンと診断され、2005年に妻から生体肝移植をしたが、2006年にガンが再発し、欲念2月6日に死亡した。没年56歳。

2011年
【急死】ゲイリー・ムーア(Robert William Gary Moore)【ミュージシャン/北アイルランド】

「スキッド・ロウ」「シン・リジィ」等のバンドで活躍後、ソロのギタープレイヤーとして世界的人気を博したギタリスト。日本でも熱狂的な支持を受け、本田美奈子や浜田麻里との共作等でも知られる。休暇で訪れていたスペイン・エステポナで心臓発作を起こし急逝した。没年58歳。その葬儀の際に同じくミュージシャンである息子、ジャック・ムーアが演奏するアイルランド民謡『ダニー・ボーイ』で見送られた。

2016年
【地震】「2016年台湾南部地震」

2016年2月6日、中華民国台湾南部高雄市でマグニチュード6.6の地震が発生。この地震により台南市・高雄市合わせて550人以上が負傷、117人の死者が出た。このうち永康区の死者は115人で16階建てのビル維冠金龍大樓が倒壊したことによる。

2018年
【地震】「2018年花蓮地震」

2018年2月6日、中華民国台湾東部花蓮県近海でマグニチュード6.4の地震が発生。この地震により 花蓮市内ではホテルやビルが倒壊し17人の死者が出た。