『アーサー・ミラー著「セールスマンの死」初版の表紙』

2005年2月10日は、アメリカを代表する劇作家であるアーサー・ミラーが死亡した日である。
1949年の代表作『セールスマンの死』では、ある敏腕サラリーマンの苦悩を通して終戦直後の虚脱感漂うアメリカ社会の闇を描き、その年のトニー賞演劇作品賞、そしてピューリッツァー賞を受賞するほどの世界的大ヒット作となった。
再演や翻訳も盛んに行なわれ、アメリカでは1984年のダスティン・ホフマン版、日本では仲代達矢らが演じたことでも知られる。
私生活の面ではマリリン・モンローの最後(3度め)の結婚相手としても知られ、国際ペンクラブ会長を務めるなど、いち劇作家にとどまらない存在感を発揮し、20世紀のアメリカ文化を象徴する人物でもあった。
そんなミラーが膀胱ガンからの心不全により死亡したのが2005年2月10日。
それは、ちょうど56年前に、ニューヨークのモロスコ・シアターでエリア・カザン演出の『セールスマンの死』が初めて上演された日でもあった。
それは、自らを世界的作家に押し上げた代表作がこの世に生まれた日に亡くなるという、とても偶然とも思えない不思議な最後であった。
主人公のウイリー・ローマンとは違い、ミラー自身が自殺という結末を選ぶことはなかったのだが、その人生の筋書きも、驚きに満ちたものであったといえるだろう。

(写真はアーサー・ミラー著「セールスマンの死」初版の表紙を使用/ヴァイキング・プレス社刊 装丁・ジョセフ・ヒルシュ)

2月10日の不幸

1755年
【死去】シャルル・ド・モンテスキュー(Charles-Louis de Montesquieu)【哲学者・思想家/フランス】

権力分立を説いた政治思想書『法の精神』を著した人物であり、当時のフランスの絶対王政を批判し、イギリス政治に影響を受けて三権分立制を説いた政治思想家。晩年は、視力の悪化に悩まされながら『百科全書』を記していた最中の1755年2月10日にパリで死亡。没年66歳。死因は高熱が出たことで、最終的に視力は完全になくなっていたという。

1923年
【死去】ヴィルヘルム・レントゲン(Wilhelm Conrad Röntgen)【物理学者/ドイツ】1895年にX線を発見し、1901年に第1回ノーベル物理学賞を受賞した物理学者。科学の発展は万人のものという考えから、ノーベル賞の賞金についても、ヴュルツブルク大学に全額寄付、特許等による経済的利益も一切受け取らなかった。癌腫で77歳没。
1984年
【急死】【早世】デビッド・フォン・エリック【プロレスラー/アメリカ合衆国】

“鉄の爪”の異名をとった名プロレスラー、フリッツ・フォン・エリックの三男であり、エリック兄弟では次男にあたり、2メートルを超える恵まれた体格で将来を嘱望されていたプロレスラー。ノーステキサス大学を中退し1977年にデビュー。NWAヘビー級王座を期待され何度も王座に挑戦するがタイトルを獲得はならず。1979年からは全日本マットに参戦し、1981年には兄ケビンとのコンビでアジアタッグ王座を獲得。1984年2月9日に、同月3日に奪取したUNヘビー級王座とともに来日し、天龍源一郎とのタイトルマッチを行なう予定だったが、その直前の同月10日に東京都内のホテルで急死。死因は急性胃腸炎と発表された。没年25歳。

1997年
【連続殺人】「神戸連続児童殺傷事件」

少年Aによる第一の犯行とされる事件が1997年2月10日の夕方頃に発生。神戸市須磨区の路上で女子小学生の2人がゴムのハンマーで殴られ、そのうち1人が重傷を負うことになった。

2003年
【薬物過剰摂取】カート・ヘニング(Curt Hennig)【プロレスラー/アメリカ合衆国】

米メジャー団体WWEで“ミスター・パーフェクト”のニックネームで活躍した技巧派レスラー。実父のプロレスラー、ラリー・ヘニングとバーン・ガニアのトレーニングを受け1980年にAWAでデビュー。WWEに参戦後はインターコンチネンタル王座を獲得し長らく活躍したが、1997年にWCWマットに移籍。日本には1983年の新日本プロレスに初来日。1985年からは全日本に移籍するなど、メジャー二団体で活躍した。2002年にブロック・レスナーとのトラブルでWWEを解雇され、インディーズのTNAに参戦。その試合で訪れていたタンパのホテルで2003年2月10日に死んでいるところを発見された。没年44歳。死因は急性コカイン中毒。日常からステロイドや鎮痛剤の過剰な摂取もその原因と言われている。

2005年
【死去】アーサー・ミラー(Arthur Miller)【劇作家/アメリカ合衆国】

1949年の代表作『セールスマンの死』でその年のトニー賞演劇作品賞、そしてピューリッツァー賞を受賞した20世紀アメリカを代表する劇作家。私生活の面ではマリリン・モンローの最後(3度め)の結婚相手としても知られ、国際ペンクラブ会長を務めるなど、いち劇作家にとどまらない存在感を発揮し、20世紀のアメリカ文化を象徴する人物でもあった。ニューヨークのモロスコ・シアターでエリア・カザン演出の『セールスマンの死』が初めて上演された日から56年後の2005年2月10日、膀胱ガンからの心不全で死亡した。没年89歳。

2007年
【自殺】【夭折】チョン・ダビン(鄭多彬/Jung Dabin)【女優/大韓民国】

ANAフィルムエンターテイメント所属。20歳の時に映画『燃ゆる月』でチェ・ジンシルの少女時代役で女優デビュー。その後ドラマ『ニュ・ーノンストップ』『屋根部屋のネコ』などで活躍したが、2007年2月10日にソウル市の友人男性宅のバスルームにてバスタオルで首吊り自殺。没年26歳。前日に自らのブログで自殺をほのめかす投稿をアップロードしていた。