『1988年に出版されたサルマン・ラシュディ著「悪魔の詩」の表紙(写真左)と1989年2月27日発売の「タイム」誌の表紙』

1989年2月14日は、イラン最高指導者であるホメイニが、前年にイギリスで出版された書籍『悪魔の詩』がムハンマドの生涯をショッキングに描きすぎたとして、同書出版関係者へイスラム教の死刑宣告の“ファトワー”が出された日である。
ホメイニはその4カ月後の6月3日に心臓発作で死亡するが、ファトワーは発した本人以外は撤回ができないこととされているので、以後、撤回されることはなくなった。
その結果、1991年7月11日 に『悪魔の詩』の日本語訳をした筑波大学助教授の五十嵐一が大学内のエレベーターホールで刺殺され、さらには1993年にトルコ語訳者が開いた集会が襲撃され、参加者のうち37人が死亡した。
幾度もの殺害計画を逃れ、ラシュディは現在も存命ではあるが、同じくアルカイダの殺人リストに掲載されていたフランスのタブロイド紙『シャルリー・エブド』は2015年に襲撃を受け関係者12人が死亡。
もちろんその悲劇を受けラシュディはすぐさま『シャルリー・エブド』の支持を表明した。
果たして、イスラム教過激派と過激表現との間で渦巻く憎しみの連鎖が終わる日はくるのだろうか!?

(写真はサルマン・ラシュディ著「悪魔の詩」1988年/Viking Press刊と1989年2月27日発売の「タイム」誌)

2月14日の不幸

1400年
【死去】リチャード2世(Richard II)【王族/イギリス】

14世紀イングランドでプランタジネット朝最後のイングランド王(1377年〜1399年)となった人物。イングランド王エドワード3世の息子として生まれ、1377年に10歳で国王へ即位。1383年に専制政治を開始するも貴族たちから反発され宮廷闘争が勃発。その後、従弟ヘンリー・ボリングブルックら貴族によるクーデターにより廃位、ロンドン塔へ幽閉され、1400年2月14日に死去。没年33歳。

1779年
【殺害】ジェームズ・クック(James Cook)【探検家・軍人/イギリス】

“キャプテン・クック”の通称で知られる18世紀イギリスの海洋探検家および海軍士官でハワイ諸島を発見した人物。1746年に見習い船員として雇われ航海術などを学び、1749年に貿易船フレンドシップ号で働く。1755年に航海士へ昇進し英国海軍水兵へ志願入隊。「七年戦争」時に航海長へ昇進、1760年代からニューファンドランド島海域の正確な海図を作成。同戦争の功績により英国海軍本部および英国王立協会から注目され、1766年に金星の日面通過観測のため英国軍艦エンデバー号の指揮官として南太平洋へ派遣されることに。観測後は南太平洋探索へ向かい1769年にヨーロッパ人として二人目のニュージーランドへ到達し同海岸線の完全に近い地図を作成。1770年にオーストラリア大陸東海岸にヨーロッパ人として初到達、オーストラリア先住民のアボリジニと接触し『カンガルー』が英語表記されることに。帰国後は海尉艦長へ昇進し1772年に英国軍艦レゾリューション号で南方大陸探索へ向かうも南極大陸は発見できず南極大陸北方を周航しその後、南ジョージア島と南サンドウィッチ諸島を発見。帰国後はコプリ・メダルを授与され、1776年から北西航路探索のため三度目の航海へ出発。1778年にヨーロッパ人として初のハワイ諸島へ上陸しハワイ諸島をサンドウィッチ諸島と命名。続いて北洋航海の海図作成しアラスカで湾(現・クック湾)を発見。1779年に再びハワイ島へ戻るも同年2月14日に先住民との小競り合いから刺殺された。没年50歳。

1967年
【死去】山本周五郎【小説家】

昭和に活躍した小説家。幼少期から小説家を目指し、会社員の傍ら1926年に『須磨寺附近』が月刊雑誌『文藝春秋』に掲載され作家デビュー。1931年に馬込文士村の一員となり時代小説を大衆雑誌『キング』などで執筆。1942年に雑誌『婦人倶楽部』に執筆した『日本婦道記』が翌年、直木賞に選ばれるも辞退。以後、国内での作家としての地位を確立。1959年に『樅の木は残った』が毎日出版文化賞に選ばれるも辞退。1961年に『青べか物語』が文藝春秋読者賞に選ばれるも辞退。晩年も作家として活動を続け1967年2月14日に肝炎と心臓衰弱で死去。没年63歳。1988年に功績を記念し山本周五郎賞が発足している。

1994年
【処刑】アンドレイ・チカチーロ(Andrey Romanovich Chikatilo)【連続殺人犯/ソビエト連邦】

“ロストフの殺し屋”“赤い切り裂き魔”などと呼ばれた20世紀ソビエト連邦の連続殺人犯。1978年から1990年にかけてソビエト連邦国内で52人を殺害。被害者の多くは少女や若い女性で強姦の後に殺害している。1990年11月20日にKGBによる捜査で逮捕され1992年に死刑が確定。1994年2月14日に銃殺刑で死去。没年57歳。

1995年
【死去】ウー・ヌ(U Nu)【政治家/ビルマ】

20世紀ビルマの政治家で初代ビルマ首相(1948年〜1956年・1957年~1958年・1960年~1962年)となった人物。ラングーン大学在学中から同大学学生連合会長などを努め、卒業後の1930年に民族主義グループのタキン党へ入党。1943年にバー・モウ政権下で外務大臣および宣伝相に就任。1945年に反ファシスト人民自由連盟(AFPFL)の副総裁、制憲議会議長に就任。1947年7月19日にビルマ独立の指導者でAFPFL総裁であったアウン・サンが暗殺されたためAFPFL総裁へ就任。1948年にビルマが独立し初代首相へ就任。以後、1962年まで首相を歴任。晩年も政治活動を続け1995年2月14日に死去。没年87歳。

2003年
【死去】ドリー(Dolly)【クローン羊/スコットランド】

スコットランドのロスリン研究所で、世界初の哺乳類における「体細胞クローン」として産まれた雌羊。1997年2月22日に発表されると、全世界的に議論を呼んだ。ちなみにドリーの名は女優のドリー・パートンの豊かな乳房にちなみ命名されたもの。2003年2月14日に死亡。没年6歳。死因はヒツジ肺肺腺腫。死後の2003年5月9日から、剥製としてエディンバラにあるスコットランド博物館へ並べられている。

2004年
【怪死】マルコ・パンターニ(Marco Pantani)【自転車競技選手/イタリア】

「ツール・ド・フランス」8勝、「ジロ・デ・イタリア」8勝、1998年には「ツール・ド・フランス」「ジロ・デ・イタリア」ともに総合優勝という”ダブルツール”を史上7人目に達成したイタリアを代表するプロロードレーサー。スキンヘッドに髭、ピアスという自転車競技者らしからぬ独特な風貌と”イル・パイレータ(海賊)”の愛称で親しまれ、全世界的にカリスマ的な人気を誇ったが、最盛期の1999年頃からドーピング疑惑の渦中の人物となり、2001年から2003年まで出場停止処分に。2004年からレースに復帰するも、ドラッグ中毒や奇行の噂が絶えず、2004年2月9日、リミニのホテル「ラ・ローズ」に宿泊中の14日朝、半裸の状態で死亡しているところを発見された。自殺と見なされたが、その後コカインの過剰摂取による脳水腫、肺水腫であると診断された。後に母親による再審理請求の結果、2014年8月に殺人容疑での再捜査が決定された。一方、死後の2004年から「ジロ・デ・イタリア」では、「チマ・パンターニ」なる呼び名を険しい山岳コースに名付けその功績を記念した。

2005年
【死去】ラフィーク・ハリーリー(Rafic Baha El Deen Al-Hariri)【実業家・政治家/レバノン】

20世紀レバノンの実業家および政治家でレバノン首相(1992年〜1998年・2000年〜2004年)となった人物。サウジアラビアの建築業界で成功を収め、1979年にハリーリー基金、1982年にオジェ・レバノン社を設立しレバノン内戦での復興事業などに携わる。レバノン内戦終結後の1990年にレバノンへ帰国、1992年から1998年、2000年から2004年にかけてレバノン共和国首相に就任。2004年にシリア軍の駐留問題をめぐり首相を辞任し翌2005年2月14日に爆破テロにより殺害された。没年60歳。

2010年
【死去】ディック・フランシス(Dick Francis)【競馬騎手・小説家/イギリス】

20世紀イギリスで活躍した競馬騎手および推理小説家。祖父はアマチュア騎手、父は厩務員といった家に生まれ10代から騎手を目指す。「第二次世界大戦」後の1946年にアマチュア障害騎手となり1948年にプロ騎手へ転向。以後プロ騎手として活躍し1957年に引退。引退後は新聞記者となり『ロンドン・サンデー・エクスプレス』の競馬欄担当に就任。同年に自伝『女王陛下の騎手』を発表し1962年に初の長編小説『本命』を発表。その後エドガー賞長編賞を受賞した『罰金』(1970年)、ゴールド・ダガー賞 を受賞した『利腕』などを発表し、自国での小説家としての地位を確立。1973年に英国推理作家協会会長に就任。晩年は息子のフェリックス・フランシスとの共著で小説を発表し2010年2月14日に死去。没年89歳。

2010年
【死去】ダグ・ファイガー(Doug Fieger)【ミュージシャン/アメリカ合衆国】

20世紀アメリカで活躍したミュージシャンでロックバンド「The Knack」のメンバーとして知られる人物。1970年代にロックバンド「Sky」でメジャーデビュー。1974年にドイツのプログレッシブロックバンド「Triumvirat」へ参加。1979年に「The Knack」を結成し同年に発表した『My Sharona』がアメリカの音楽業界雑誌『ビルボード』の「ビルボードホット100」で6週連続1位を獲得する大ヒット。その後もミュージシャンとして活躍し1999年にソロ・アルバム『First Things First』を発表。2006年にガンを患い、闘病生活を送り2010年2月14日に同病で死去。没年57歳。

2012年
【薬物過剰摂取】【自殺】マイク・ベルナルド(Mike Bernardo)【キックボクサー・ボクサー/南アフリカ】

創生期のK-1グランプリで強豪として活躍したキックボクサーであり、200年からはボクシングに転向した元プロボクサー。愛称”ベルちゃん。”元WKAムエタイ世界スーパーヘビー級、元WAKO PROムエタイ世界スーパーヘビー級王者。その後の2000年にK-1復帰したが、2004年3月27日に現役引退。後進の育成に乗り出したが、2012年2月14日に薬物多量摂取で、42歳没。幼少期からのいじめが原因で、生涯最後の2年は鬱病に苛まれる日々であったという。

2015年
【死去】シーナ【歌手】

1978年に夫の鮎川誠と結成したロック・バンド「シーナ&ロケッツ」のヴォーカリストとして知られる歌手。名前は夫婦ともに敬愛するバンド「ザ・ラモーンズ」の楽曲『Sheena Is A Punk Rocker 』より。2009年ライブ直後に声帯全体にポリープができたために呼吸困難で窒息死寸前となったが、手術で奇跡的に生還。そのまま40年以上活動を続け最晩年までステージに立ち続けたが、2015年2月14日に子宮頸ガンで死亡。没年61歳。2014年7月に子宮頸ガンのステージ4であることが診断されていたが公表せず死の1カ月前までステージに立ち続けた。死後、バンドは鮎川がヴォーカルを務め活動を続行。毎年4月7日を「シーナの日」として記念ライブを開催している。

2015年
【死去】ウィリエム・ルスカ(Willem Ruska)【柔道家・プロレスラー/オランダ】

1960年代後半から1970年代にかけて活躍したオランダの柔道家・プロレスラーで柔道男子無差別級・重量級金メダリストとして知られる人物。オランダ海軍水兵入隊し柔道と出会い、1960年から選手として活動を開始。1972年に「ミュンヘンオリンピック」へ出場し柔道男子無差別級・重量級金の両方で金メダルを獲得。選手引退後はプロ格闘家へ転向し新日本プロレスへ参戦。1976年に行なわれた「格闘技世界一決定戦」でアントニオ猪木と対戦。その後もプロレスラーとして活動するも脳卒中となり2001年から車椅子生活へ。2015年2月14日に死去。没年74歳。

2016年
【急死】神江里見【漫画家】

昭和から平成にかけて活躍した漫画家。高校卒業後にさいとう・プロへ入社。退社後は小池一夫らと出版社スタジオシップを設立し1973年に漫画雑誌『ヤングコミック』に掲載された『ヒモ』で漫画家デビュー。以後、劇画作家として活躍し『弐十手物語』(1981年〜2005年)などを発表。『爆誕ツバメ』連載中の2016年2月14日に急死。没年65歳。

2018年
【銃乱射事件】「マージョリー・ストーンマン・ダグラス高校銃乱射事件」

2018年2月14日、アメリカフロリダ州ブロワード郡パークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高等学校で銃乱射事件が発生。犯人は同校を退学処分となっていた元生徒ニコラス・クルス(19歳)で火災報知器を作動させた後、非難する生徒へAR-15ライフルを乱射。この事件により教職員・生徒を含む17人が死亡。

2019年
【死去】時津洋宏典【大相撲力士・タレント・実業家】

昭和から平成にかけて活躍した大相撲力士およびタレント・実業家。中学3年生で中学相撲全国大会に出場し“阿波の怪童”と呼ばれる。中学校卒業後は時津風部屋へ入門し1985年に初土俵を踏む。1990年に十両へ昇進し1992年に新入幕を果たす。その後は1995年を最後に陥落し再入幕を果たせず、1999年に生涯戦歴505勝486敗8休(88場所)で現役を引退。引退後は準年寄・時津洋として時津風部屋の部屋付き親方となる。2001年に準年寄の在籍期間任期満了により退職。以降はタレント、や荒汐部屋マネジャー、相撲部屋料理「時津洋」を経営し2019年2月14日に心不全で死去。没年49歳。