『1946年6月頃にニューヨークで撮影されたナット・キング・コールのポートレイト』撮影・William P. Gottlieb

1965年2月15日は、アメリカのジャズ・ピアニスト出身で初めて突出したシンガーとなったナット・キング・コールが死亡した日である。
スウィング・ジャズ末期のピアニストとしても目覚ましい活躍をみせていた“キング”であったが、この世のものとは思えぬ美声が注目されると、瞬く間に『モナリザ』『スマイル』など数多くの世界的ヒット曲を1950年代に連発し、まさにポピュラー・ミュージック界の巨星と呼ぶにふさわしい活躍をみせ、いまだ人気絶頂といった1965年、45歳という若さで早世した。
ちなみに、ナット・キング・コールは、『スターダスト』というスローバラードの定番でも大ヒットを飛ばしているが、その死から48年後の2013年2月15日にロシア・チェリャビンスク州に隕石が落下し、1491人が怪我、52歳の女性には直撃をしたという、世にも珍しい事件が発生している。

(写真はWikipedia Nat King Coleより使用。Public Domain)

2月15日の不幸

1961年
【航空事故】「サベナ航空548便墜落事故」

1961年2月15日にアメリカ・ニューヨークのアイドルワイルド空港(現ジョン・F・ケネディ国際空港)からベルギー・ブリュッセル国際空港に向かうサベナ航空548便(ボーイング707-329)が滑走路の空きを待つためにブリュッセル国際空港上空で旋回後に近くの村落に墜落。乗員乗客73人全員と地上の民間人1人が死亡した。原因は機長による技術的ミスと見られている。なお、事故機にはプラハで開催される1961年世界フィギュアスケート選手権に出場予定のアメリカ代表チームの選手18人とコーチ、関係者16人が乗り合わせており、同国のフィギュアスケート界にとっては多大なる損失となった。なお、事故発生50年後の2011年、全米フィギュアスケート協会は1961年世界フィギュアスケート選手権アメリカ代表チームの殿堂入りを発表した。

1965年
【死去】ナット・キング・コール(Nat King Cole)【歌手・ピアニスト/アメリカ合衆国】

ジャズ・ピアニスト出身で初めて突出したシンガーとなったとされる人物。『モナ・リザ』『スマイル』『スターダスト』など数多くの世界的ヒット曲を1950年代に連発し、ポピュラー・ミュージック界の巨星と呼ぶにふさわしい活躍をみせた。いまだ人気絶頂といった1965年に45歳という若さで肺ガンのため死去。死後の1991年、娘のナタリー・コールが父のの録音とデュエットした『アンフォゲッタブル』をリリースし世界的なヒットとなった。

1980年
【急死】新田次郎【小説家・学者】

1988年のNHK大河ドラマ『武田信玄』の原作となった同名小説や、1977年の映画『八甲田山』の原作となった1971年の小説『八甲田山死の彷徨』等の代表作で知られる小説家。1956年に『強力伝』で第34回直木三十五賞を受賞し、1974年には『武田信玄』等の歴史小説作品で吉川英治文学賞を受賞している。また、無線電信講習所(現・電気通信大学)を卒業した気象学者としても知られ、1966年に依願退職するまで、中央気象台(現・気象庁)で勤務し続けた。1979年に紫綬褒章を受章し、翌年2月15日に心筋梗塞で急死。没年67歳。

1999年
【死去】山岡久乃【女優】

1970年のドラマ『ありがとう』や1990年に始まったドラマ『渡る世間は鬼ばかり』等、多くのテレビドラマ(主にTBS制作)で母親役を演じ“日本のお母さん”としてお茶の間で親しまれた女優。1946年に俳優座入団して同年にデビューして以降、50年以上にわたり映画、ドラマで幅広く活躍。1998年10月に人気シリーズとなった『渡る世間は鬼ばかり』を降板し、制作陣との不和などが噂されたが、同年12月に胆管ガンに罹ったことを発表。翌年2月15日に胆管ガンによる心不全で死亡した。没年72歳。

2003年
【死去】吉村道明【プロレスラー】相撲の学生横綱から黎明期のプロレスに参戦。力道山の牽引した日本プロレスで”火の玉小僧”として活躍した名脇役レスラー。力道山の急死を受けて最後まで同団体を支えたが、アントニオ猪木、ジャイアント馬場らの主力が離脱し1973年に引退を決意。引退後は母校である近畿大学相撲部顧問として後進の指導に当たった。呼吸不全で76歳没。
2013年
【気象事故】「2013年チェリャビンスク州の隕石落下」

ロシア・チェリャビンスク州に隕石が落下し、1491人が怪我、被害総額は時価10億ルーブル(約30億円)にものぼったといわれている。1954年にアン・エリザベス・ホッジスに命中した時以来の珍事として、52歳の女性にはその欠片が直撃し、頸椎骨折を負った。

2016年
【死去】大山茂【空手家】大山倍達が開いた極真会館の前進、大山道場に入門し指導者に。1966年には百人組手を完遂している。1967年に極真会館の指導者として渡米し、空手の普及のため多くの海外を巡った。著名な弟子にアントニオ猪木と対戦したウィリー・ウィリアムスがいるが、その試合を受けたことで指定ともに極真会館を破門されたことも。晩年は復帰したが1984年に離脱。国際大山空手道連盟の総主・顧問としてニューヨークを拠点に活動した。晩年は心臓病を患い、76歳没。