『2年ほど掃除をしていない部屋で撮影された坂口安吾のポートレート』撮影=林忠彦/1946年12月に蒲田区安方町の自宅2階にて

1955年2月17日は、作家の坂口安吾が死亡した日である。
終戦直後に発表した『白痴』『堕落論』などの作品で知られ、太宰治、織田作之助らとともに戦後の無頼派を代表する人物である。
私生活では若くから神経衰弱を患い、芥川、太宰を始めとした周囲の人間の不幸を背負ったまま荒廃した生活を送った。
さらには自らの自殺願望を見つめながらヒロポン等の覚せい剤、睡眠薬を中毒患者として常用しつつ作家としての生活を送り、48歳で脳出血死を迎えるまで、孤独な人生を歩み続けた。
その中で辿り着いた「文学のふるさと」が「生存それ自体が孕んでゐる絶対の孤独」にあるという思想はもはや決意と呼べるものであり、結婚し、子供が生まれてからも変わることがなかったであろう。
しかしその極度に人間的な人生と作品に、多くの友人、読者が惹きつけられていたこともまた事実なのである。
1946年に撮影されたこの衝撃的な林忠彦による写真作品は、流行作家として全盛期のものでありながら、まるで充実した人生を送るもののそれには程遠い。
この混沌がいわば人生の絶頂期であるだけに、えも言われぬ迫力を漂わせている。

(画像はWikipedia Ango Sakaguchiより使用。Public Domain)

2月17日の不幸

1600年
【死刑】ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno)【哲学者・天文学者/イタリア】

ドミニコ界の修道士であり、哲学者。宇宙は無限であると唱え、またコペルニクスの唱えた「地動説」を擁護したことから、異端であるとされ、7年の獄中生活の後に火あぶりの刑に処された。没年52歳。

1909年
【死亡】ジェロニモ(Geronimo/Goyathlay)【戦士・シャーマン/アメリカン・インディアン】

1851年から30年以上にわたり白人に抗戦したネイティブ・インディアンの「アパッチ戦争」に参加したアパッチ族のシャーマンであり、戦士。家族全員をメキシコ人に殺され、銃弾の飛び交う中をナイフひとつで伝説的な立ち回りをみせ、メキシコ人側から守護聖人の名である「ジェロニモ」のあだ名を付けられ、以降それが彼の呼び名になった。1886年に投降すると、以降は米軍の虜囚として扱われ、1904年の「セントルイス万国博覧会」では「人間動物園」として展示されるなど屈辱的な日々を送った。1909年2月に落馬して怪我を負い、寒いところに寝かされたことで酷い風邪をひき、そのまま同月17日に肺炎で死亡した。没年79歳。

1934年
【事故死】アルベール1世(Albert I)【王族/ベルギー】

20世紀のベルギーで第3代ベルギー国王(1909年〜1934年)となった人物。第2代ベルギー国王レオポルド2世の弟フランドル伯爵フィリップ・ド・ベルジックの息子として生まれ1909年に即位。「第一次世界大戦」中は中立国としてドイツ軍のベルギー領内通過へ反発。終戦後の1919年にヨーロッパ君主として初のアメリカ訪問を実施。1925年にコンゴへアフリカ初の国立公園であるヴィルンガ国立公園を設立。即位中の1934年2月17日に登山事故で死去。没年58歳。

1955年
【死去】坂口安吾【小説家】

終戦直後に発表した『白痴』『堕落論』などの作品で知られ、太宰治、織田作之助らとともに戦後の無頼派を代表する小説家。私生活では若くから神経衰弱を患い、芥川、太宰を始めとした周囲の人間の不幸を背負ったまま荒廃した生活を送り、自らの自殺願望を見つめながらヒロポン等の覚せい剤、睡眠薬を中毒患者として常用しつつ作家としての生活を送り、1955年2月17日に脳出血で死亡。没年48歳。

1955年
【火災事件】「聖母の園養老院火災」

1955年2月17日、神奈川県横浜市戸塚区原宿町の養護施設・聖母の園養老院で火災が発生し収容中の老女143人のうち97人と職員2人の合わせて99人が焼死、8人が負傷。

1971年
【襲撃事件】「真岡銃砲店襲撃事件」

1971年2月17日、日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)のメンバー男6人が、最高指導者で獄中の川島豪を奪還するため栃木県真岡市の銃砲店を襲撃し猟銃10丁、空気銃1丁、銃弾およそ2300発を強奪。事件直後に2人が逮捕され、その後、残りの犯行メンバーおよび事件を指示した同会の永田洋子、坂口弘の6人が指名手配され1972年までに全員(うち一人は「山岳ベース事件」で死亡)が逮捕された。

1982年
【死去】リー・ストラスバーグ(Israel Lee Strassberg)【俳優・指導者/オーストリア・アメリカ合衆国】

コンスタンチン・スタニフスラスキーの「スタニフスラスキー・システム」に影響を受けて「メソッド演技法」を確立し、ニューヨークのアクターズ・スタジオの演技指導者としてマーロン・ブランド、ポール・ニューマン、アル・パチーノ、マリリン・モンロー、ジェームズ・ディーン、ダスティン・ホフマン、ロバート・デ・ニーロ、ジャック・ニコルソン、スティーブ・マックイーンら錚々たる俳優たちを育て上げた人物。1969年にニューヨークとロサンゼルスにリー・ストラスバーグ劇場研究所を設立し、後進の育成に努めた。なお、自らは俳優として出演することはほぼなく、『ゴッドファーザー PART II 』をはじめ、映画出演は8作品のみだった。心臓発作で80歳没。

2004年
【冤罪事件】【未解決事件】【誤認逮捕】【警察不祥事】「四日市ジャスコ誤認逮捕死亡事件」

2004年2月17日に三重県四日市市のジャスコ四日市尾平ショッピングセンターにあるATMコーナーで、泥棒扱いされた無実の男性(68歳)が警察に拘束され死亡した事件。被疑者として死亡した男性は書類送検されるも監視カメラの映像から男性を泥棒扱いをした女が男性の財布を奪おうとしていたことが発覚。犯人の女は逃亡し2011年に公訴時効が成立、未解決事件となった。その後、民事訴訟により三重県は遺族に対し3,640万円の支払いが命じられている。

2005年
【死去】オマール・シボリ(Enrique Omar Sivori)【サッカー選手/アルゼンチン・イタリア】

故郷アルゼンチンの強豪クラブ、リーベル・プレート、そして1957年から移籍したイタリアの強豪ユベントスで伝説的な活躍をみせたアルゼンチンを代表するストライカー。ユヴェントスの選手としては通算167得点を挙げ、1961年バロンドールを受賞した。なお、アルゼンチン代表としても9得点を上げる活躍をみせたが、1961年にはイタリアに帰化し、同国の代表選手としても活躍した。2005年2月17日に膵臓ガンにより69歳没。

2007年
【自殺】マイク・アルフォンソ(Mike Alfonso)【プロレスラー/アメリカ】

1989年にプロレスラーとしてデビュー後、1990年にFMWに“ザ・グラディエーター”として来日し大活躍をみせ、そのまま団体のエース格に。本国ではECWやWCWで活躍したが、2005年に内臓疾患により引退を決意。1年間の休暇をとり、2006年から地元であるフロリダ州タンパの不動産会社に勤務していたが、2007年2月17日、自宅で首吊り自殺をしているところを友人が発見。没年42歳。

2010年
【死去】藤田まこと【俳優・コメディアン・歌手】

1960年代に時代劇コメディー『てなもんや三度笠』でコメディアンとして全国的な人気を獲得した後に、1970年代に『必殺仕置人』『必殺仕事人』シリーズの中村主水役で俳優として絶大な人気を確立した人物。晩年は『はぐれ刑事純情派』『剣客商売』シリーズ等で中高年に絶大な人気を獲得し活躍を続けたが、2008年4月に食道ガンが発覚。治療の後に復帰を果たしたが、2009年10月にドラマ『JIN-仁-』(TBS)を慢性閉塞性肺疾患のために降板。その後はリハビリを続けていたが、2010年2月16日に自宅で突然吐血して搬送され、そのまま翌17日早朝に大動脈瘤破裂で死亡。76歳没。