『マルコムXが射殺された直後のオードゥボン・ボールルームのステージと1964年のマルコムX(写真右)』

1965年2月21日は、“最も過激な黒人公民権運動家”として知られたマルコムXが元同士のNOI(Nation Of Islam)メンバーにより暗殺された日である。
同時期を生きたマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師とは対照的に、白人への嫌悪感を剥き出しにした言動で、同様に攻撃的であったNOIとともに社会の注目を集めたマルコムであったが、NOI加入の原因となったイライジャ・ムハンマドのレイプ事件を咎めて以来、教団とも疎遠となり、在籍時にも暗殺未遂事件に巻き込まれていた。
その頃からは過激な言動のみならず、イスラム教の正統派に転向し1964年にNOIを脱退し「Organization of Afro-American Unity(アフリカ系アメリカ人統一機構)」を立ち上げ、自らの活動を続けた。
しかしNOIの攻撃の手は退団後いっそう強まり、1965年2月14日には自宅に爆弾攻撃がなされ、さらには21日の演説中に、NOIの信者3名により射殺されたのであった。
彼らが常に敵対人種として見なしていた白人にではなく、同士ともいうべき黒人の手によって暗殺されてしまったところに、1960年代黒人公民権運動の悲壮さが滲んでいる。
果たして我々は、それを遠い過去の記憶と呼べるのであろうか?
マルコムXの死から50年がたった現在、アメリカの人種問題はなくなるどころか、“過激な”大統領が毎日とりかかる日常業務と化しているーー。

(写真はWikipedia Malcolm Xより使用。Public Domain)

2月21日の不幸

1513年
【死去】ユリウス2世(Julius II)【ローマ教皇/イタリア】

16世紀イタリアの第216代ローマ教皇(1503年〜1513年)で、ミケランジェロ、ラファエロといった芸術家を援助しローマにルネサンス最盛期をもたらしたことで知られる人物。修道院で学んだ後、1471年にサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリの枢機卿へ就任。1480年、教皇使節としてフランスへ渡る。1485年、枢機卿ロドリゴ・ボルジアとの確執が深まりボルジアが教皇になるとフランスへ逃亡。1494年、ナポリ王国への継承権を主張するようシャルル8世を動かし、フランス軍とともにイタリアへ侵攻。その後、教皇アレクサンデル6世と和解、教会軍総司令官チェーザレ・ボルジアの支持を得て1503年に教皇へ選出された。教皇就任後はローマを占領していたヴェネツィア軍を追い出すため自ら軍を率いてペルージャなどを攻略。1508年、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井がを依頼。同年フランス、アラゴンとともに対ヴェネツィア共和国同盟締結。1511年、フランスの影響力を恐れヴェネツィア共和国、アラゴンと対フランス同盟の神聖同盟締結。1513年2月21日、病により死去。没年69歳。晩年も外交的な姿勢をとったため”The Warrior Pope(戦士教皇)”と称されることとなった。

1677年
【死去】バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza)【哲学者/オランダ】

デカルト、ライプニッツとともに17世紀近世合理主義哲学者のひとりとして知られるオランダの哲学者。ユダヤ人であったが当時のユダヤ教のあり方に対して批判的だったため、1656年に地元アムステルダムのユダヤ人共同体から追放される。その後は移住を繰り返しながら執筆活動を開始。1670年『神学・政治論』を匿名で出版、1674年同書は禁書処分へ。1675年『エチカ-幾何学的秩序によって証明された』(1677年出版)を完成。1677年2月21日、肺病のため死去。没年44歳。

1846年
【死去】仁孝天皇【天皇】

江戸時代後期に第120代天皇(1817年〜1846年)となった人物。1809年に立太子となり、1817年に天皇に即位。即位後は朝儀復興のために尽力し皇族や公家のための教育機関の設置を目指した。1846年2月21日に死去。没年45歳。没後1847年に学習所(後の京都学習院)が設置された。

1919年
【暗殺】クルト・アイスナー(Kurt Eisner)【政治家/バイエルン王国】

「ミュンヘン革命」の中心人物として知られ、バイエルン自由州の暫定首相(1918年〜1919年)となった人物。大学卒業後『フランクフルト新聞』といった新聞社の編集に従事しながらフリードリヒ・ニーチェの批判論文を発表しドイツ国内から注目を集める。1890年頃、皇帝ヴィルヘルム2世への批判記事を執筆し不敬罪で投獄されることに。1898年、ドイツ社会民主党から招かれ機関紙『Vorwärts(前進)』 の編集員となり同党入党。1905年、修正主義を巡り編集部内で対立が起き退職。1907年、ニュルンベルクで社会民主党系紙の編集職に就き、フリージャーナリストへ転向。1914年「第一次世界大戦」勃発、当初アイスナーは戦争肯定派であったが後にクララ・ツェトキンやアルベルト・アインシュタインらと反戦団体の新ドイツ連盟に加入。1917年、独立社会民主党に入党し代表に就任。1918年、労働者デモを煽動したとし反逆罪で逮捕される。釈放後はバイエルン王家打倒を目指す組織を結成、翌年に暫定首相に選出され、社会民主党・独立社会民主党からなる臨時内閣を樹立。その後、国王ルートヴィヒ3世がオーストリアに亡命し無血革命に成功。1919年、ドイツ国暫定首相フリードリヒ・エーベルトとの対立や共産党からも批判され支持が下がり首相を辞任。1919年2月21日、辞任表明に向かう途中、右翼将校アントン・グラーフ・フォン・アルコ・アオフ・ファーライらに襲撃され死去。没年51歳。

1934年
【暗殺】アウグスト・セサル・サンディーノ(Augusto César Sandino)【思想家/ニカラグア】

20世紀ニカラグアの革命家でラテンアメリカにおけるアメリカへの抵抗運動のシンボル的存在として知られる人物。コスタリカで技能工として働いていたが1921年に帰郷した際に酒に酔い地元の保守党派の息子であったタゴベルト・リバスを殺そうとしたため追われることとなりメキシコへ逃亡。1927年、駐ニカラグアアメリカ海兵隊への抵抗運動を開始しニカラグア民族主権防衛軍を組織。抵抗運動は成功するも1934年2月21日、同国の国家警備隊司令官アナスタシオ・ソモサ・ガルシア将軍により暗殺された。没年38歳。

1961年
【事故死】赤木圭一郎【俳優・歌手】

日活第4期ニューフェイスとして日活へ入社後、1958年に『紅の翼』で俳優デビュー。石原裕次郎、小林旭に次ぐ第3の男として”和製ジェームスディーン”と呼ばれ活躍した二枚目俳優。映画『霧笛が俺を呼んでいる』『拳銃無頼帖』シリーズ等で活躍しているさなか、石原裕次郎の代役で参加した映画『激流に生きる男』撮影中の1961年2月19日の昼休み中に、日活撮影所内でゴーカートを運転中に猛スピードで大道具倉庫の鉄扉に激突。すぐさま病院に搬送され意識を回復したものの、2月20日に昏睡状態となり、2月21日に死亡。没年21歳。死因は前頭骨亀裂骨折からの硬膜下出血だった。

1965年
【暗殺】マルコムX(Malcolm X)【活動家・思想家/アメリカ合衆国】

同時期を生きたマーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師とは対照的に、白人への嫌悪感を剥き出しにした言動で、同様に攻撃的であったNOIとともに1960年代の世界的な注目を集めた”最も過激な黒人公民権運動家”。イスラム教の正統派に転向し1964年にNOIを脱退し「Organization of Afro-American Unity(アフリカ系アメリカ人統一機構)」を立ち上げ、自らの活動を続けたが、元同志であるNOIから標的にされ、1965年2月14日には自宅に爆弾攻撃を浴び、さらには21日の演説中に、NOIの信者3名により射殺された。没年39歳。

1970年
【テロ】【航空事故】「スイス航空330便爆破事件」

1970年2月21日にスイスのチューリッヒ空港からイスラエルのテルアビブへの定期便、スイス航空330便(コンベアCV-990コロナド)が、気圧の変化によりヴァ苦初する小包爆弾により墜落。乗員乗客合計47人全員が死亡した。後日、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は、その犯行声明を発表し、同団体のテロリストへのスイスでの有罪判決がその理由であると発表した。

1973年
【航空事件】「リビア航空機撃墜事件」

1973年2月21日、ベンガジに寄港していたリビア・トリポリ発エジプト・カイロ行きのリビアン・アラブ航空(現リビア航空)114便(ボーイング727)が、ベンガジに寄港後カイロに向かう途中でシナイ半島を通過時にイスラエル空軍が軍用機と見誤り撃墜。乗員乗客全113人中108人が死亡する大惨事となった。原因は114便が空路を逸れて領空侵犯していたことと、雲の中で警告信号が伝わらなかったことにあったといわれている。イスラエル側は民間機撃墜の誤りを認め賠償を約束したものの、半年後に第4次中東戦争に突入した。

1973年
【表現規制】【わいせつ問題】「四畳半襖の下張事件」

東京地検が、永井荷風作といわれる小説『四疊半襖の下張』を『面白半分』1972年7月号に掲載した同誌編集長・野坂昭如らをわいせつ文書に販売の罪で起訴。人気小説家の問題であり多くの表現者たちを巻き込んで最高裁まで争われたが、わいせつ文書に当たるとの判決が下った。

1974年
【連載打ち切り】「4コマ漫画『サザエさん』打ち切り」

1974年2月21日、朝日新聞掲載の4コマ漫画『サザエさん』が作者・長谷川町子の病気療養のため6,477話で休載。その後、連載が再開されることなくそのまま打ち切りとなった。

1980年
【襲撃事件】「花柳流家元3世花柳寿輔襲撃事件」

1980年2月21日、千代田区隼町にある国立劇場の楽屋廊下で家元制度に反対する前衛舞踊家・花柳幻舟が花柳流家元3世花柳寿輔の首を包丁で斬り全治2週間の傷を負わせた傷害事件。事件後、幻舟は逮捕され懲役8カ月の実刑判決を受けた。

1983年
【火災事故】「蔵王観光ホテル火災」

1983年2月21日、山形県山形市蔵王温泉2番地の蔵王観光ホテルで起きた火災事故。火災は4階建て本館2階の萩の間トイレ暖房用電気ストーブから発生、火災発生時は強風であったためすぐに燃え広がり館内全体がパニック状態となった。また、避難誘導の統率がとれず逃げ遅れたホテルの従業員、宿泊客含む11人が死亡、2人の負傷者を出した。