2月24日の不幸
- 1990年
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【急死】マルコム・フォーブス(Malcolm Stevenson Forbes)【実業家/アメリカ合衆国】
経済誌『フォーブス』の元発行人、実業家。フォーブス誌の創刊者である父の事業を手伝い、父、兄が亡くなると会社の全支配権を手に入れ、事業の総指揮をとった。マルコムの指揮により出版業は成長をとげ、不動産、投機事業にも進出した。マルコムの豪勢な生活ぶりは有名で、ジェット機や大型ヨットにはじまり、美術作品、バイク、城なども収集していた。1990年2月24日に心臓発作で急死。没年70歳。死後、同性愛者であったことが雑誌に掲載された。
- 1994年
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【死去】ダイナ・ショア(Dinah Shore)【歌手・女優/アメリカ合衆国】
1950年1960年代にアメリカのテレビ番組などで活躍した歌手・女優。テネシー州ウィンチェスター生まれ。幼少の頃から歌うことが好きで、オペラ歌手を目指していた母親に連れられ、父親の経営する店で客を前に即興で歌っていた。14歳の頃、両親を伴いながらナイトクラブで歌い始め、トーチ・シンガーとしてデビュー。プロデビューも考えたが思い留まり、16歳で母親が病死してからは、学業に専念することを決意。大学へ進学後、カントリー・ミュージックの公開ライブ放送を行なっていたラジオ番組『グランド・オール・オープリー』を訪れたことにより、再び歌手を目指す。卒業後は、オーディションを受けるためニューヨークへ。ほとんどのオーディションでアメリカのポピュラー・ソング『ダイナ』を歌っていたため、芸名がダイナとなった。晩年は女子ゴルフの発展に貢献し、1972年に「コルゲート・ダイナショア・ゴルフ大会」を開催。1994年に世界ゴルフ殿堂入りをしている。1993年春に卵巣ガンと診断され、翌年2月24日にその合併症で死亡。彼女の78歳の誕生日のわずか5日前の悲劇だった。
- 1995年
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【急死】兵藤秀子(前畑秀子)【水泳競技選手】
1936年にナチス体制下で開催されたベルリンオリンピックの200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した競泳選手。その際のラジオ中継を担当したNHKの河西三省アナウンサーの「前畑ガンバレ!」の連呼は後にレコード化されるほどの名実況となった。なおオリンピックでの金メダル獲得は、日本人女性としては史上初の快挙であった。なお、1932年のロサンゼルスオリンピックの同種目で銀メダルも獲得している。引退後は指導者として後進の育成に携わり、1964年に紫綬褒章を受章。1990年には文化功労者に選出された(女子スポーツ界初)。1995年2月24日に急性腎不全で80歳没。
- 2003年
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【自殺】ベルナール・ロワゾー(Bernard Loiseau)【料理人/フランス】
バターやクリームというフランス料理を象徴する調味料の過剰な使用を否定し、”cuisine a l’eau(水の料理)”と呼ばれる独自の調理法で人気を博したフランスを代表する料理人で。1975年に、買収したかつての三つ星レストラン「La Côte d’Or(ラ・コート・ドール)」を1991年に三つ星に復帰させたことで知られるスター・シェフであったが、世界的な業務拡大で多額な負債を抱えることとなった。そんな折の2003年にフランスの料理誌『ゴー・ミヨ』が、レストラン採点を19点から17点に下げ、国民的新聞である『フィガロ』紙が「ラ・コート・ドール」を三つ星に値しないと報道、その精神的ストレスで自宅において猟銃自殺を遂げた。没年52歳。
- 2018年
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【死去】左とん平【俳優・タレント・歌手】
人気ドラマ『時間ですよ』や映画『楢山節考』等への出演で知られる俳優、タレント。「ヘイ・ユー! ホワッチャー・ネーム?」というギャグが定着し『とん平のヘイ・ユウ・ブルース』で歌手デビュー。後年その曲が再評価され1995年にCDとして再発売された。2017年6月に急性心筋梗塞となり長期の入院治療の末に、翌年2月24日に心不全で死亡。没年80歳。