『二・二六事件を起こした叛乱軍の首謀者の一人である栗原安秀中尉(中央)と下士官兵たち』

1936年2月26日は、日本近代史においても類を見ない大規模なクーデター未遂事件、「二・二六事件」が発生した日である。
社会運動家・北一輝の『日本改造法案大綱』に影響を受けた陸軍皇道派の青年将校らが岡田啓介内閣総理大臣をはじめとした政府要人を殺害し代わって主権を握ろうと目論んだこのクーデター案には、陸軍の下士官を中心として1,400人もの陸軍兵士が参加したという大規模な“昭和維新”であった。
その結果として、斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣という2人の総理大臣経験者を含む5人の政府関係者が殺害され、総理大臣官邸、内務大臣官邸、陸軍省及び参謀本部、東京朝日新聞等、永田町、霞ヶ関、赤坂の一帯を占拠。
日本政治の中枢を獲得することに成功した。しかし肝心の昭和天皇が“逆賊”と断じたことにより大義を失った反乱軍は下士官たちを投降させ、中心人物の野中四郎は拳銃自殺。
残るメンバーや北は法廷にその身を任せたが、銃殺刑に処された。
日本の国体にとって、天皇の存在がいかに大きいかを物語る事件であるともいえるだろう。

(写真はWikipedia February 26 Incidentより使用。Public Domain)

2月26日の不幸

1789年
【死去】エクリプス(Eclipse)【競走馬・種牡馬/イギリス】

“サラブレッド三大始祖”の一頭として知られる18世紀後半のイギリスで活躍した競走馬および種牡馬。成績は18戦18勝(諸説あり)、主な産駒には第5回ダービーステークスに優勝したサージェントなどがいる。1789年2月26日に死去。没年25歳。

1936年
【クーデター】「二・二六事件」

社会運動家・北一輝の『日本改造法案大綱』に影響を受けた陸軍皇道派の青年将校らが岡田啓介内閣総理大臣をはじめとした政府要人を殺害し代わって主権を握ろうと目論んだこのクーデター。陸軍の下士官を中心として1400人もの陸軍兵士が参加したという大規模な”昭和維新”の結果、斎藤実内大臣、高橋是清大蔵大臣という2名の総理大臣経験者を含む5名の政府関係者が殺害された。しかし肝心の昭和天皇が逆賊と断じたことにより大義を失った叛乱軍は下士官たちを投降させ、中心人物の野中四郎は拳銃自殺。残るメンバーや北は法廷にその身を任せたが銃殺刑に処された。

1936年
【暗殺】高橋是清【武士・官僚・政治家】

明治から昭和初期の武士および政治家で第20代内閣総理大臣(1921年〜1922年)となった人物。仙台藩の足軽・高橋覚治の養子となり、ヘボン塾で学んだ後1867年に藩命により渡米。貿易商ユージン・ヴァン・リードに学費・渡航費を着服される、ホームステイ先では年季奉公の契約書に騙されてサインさせられ奴隷として売られるといった経験をした後、1868年に帰国。1873年に文部省へ入省し官職をしながら英語教師として従事。1881年、農商務省へ入省、1885年に特許局初代局長へ就任。1892年日本銀行入行し、1899年に日本銀行副総裁へ就任。1905年、貴族院議員となり1911年に日銀総裁へ就任。1913年、第一次山本権兵衛内閣で大蔵大臣となり立憲政友会へ入党。1918年、原敬内閣下で再び大蔵大臣へ就任。1921年、原が暗殺され大蔵大臣・内閣総理大臣を兼任、同年政友会総裁となる。1924年3月、議員を辞職するも同年6月に加藤高明内閣下で農商務大臣へ就任。1925年、農林大臣兼商工大臣へ就任。1927年田中義一内閣、1931年犬養毅内閣で大蔵大臣へ就任。1932年「五・一五事件」で犬養が暗殺されると内閣総理大臣を兼任。斎藤実内閣で5度目の大蔵大臣に留任。1934年、岡田内閣で6度目の大蔵大臣就任中の1936年2月26日「二・二六事件」が起こり暗殺される。没年81歳。

1936年
【暗殺】斎藤実【武士・軍人・政治家】

明治から昭和初期の武士および政治家で第30代内閣総理大臣(1932年~1934年)となった人物。仙台藩の家臣の家に生まれ、1873年に海軍兵学寮へ入学。1884年、アメリカへ留学し駐アメリカ合衆国公使館付武官を務める。帰国後の1888年、海軍参謀本部員となり巡洋艦「秋津洲」「厳島」の艦長に就任。1898年、第一次大隈重信内閣下で海軍次官に就任し、1906年の第一次西園寺公望内閣下で海軍大臣へ就任。1914年「シーメンス事件」により海軍大臣を辞任。1919年、海軍大将として復帰し第3代朝鮮総督へ就任。1929年、ジュネーブ海軍軍縮会議全権委員、枢密顧問官へ就任。1932年、第30代内閣総理大臣および外務大臣へ就任。1934年に文部大臣、翌年内大臣に就任。その後、内大臣在任中の1936年2月26日「二・二六事件」で暗殺される。没年77歳。

1936年
【暗殺】松尾伝蔵【軍人・公務員】

明治から昭和初期の軍人で岡田啓介の義弟として秘書官を務めた人物。1895年陸軍士官学校卒業、1901年歩兵第35連隊中隊長として「日露戦争」へ従軍。1915年、陸軍歩兵大佐となり、1919年「シベリア出兵」に従軍。1932年に退役、1934年に義兄の岡田が第31代内閣総理大臣に就任すると内閣総理大臣秘書官として従事。1936年2月26日「二・二六事件」で岡田の身代わりとなり暗殺された。没年63歳。

1936年
【暗殺】渡辺錠太郎【軍人】

1903年に陸軍大学校を卒業し翌年「日露戦争」に従軍。ドイツ大使館付武官補佐官、オランダ公使館付武官などを経て1925年に陸軍大学校校長に就任。1931年、軍事参議官兼航空本部長へ就任し同年大将へ進級。1935年、教育総監および軍事参議官へ就任。1936年2月26日「二・二六事件」により自宅で暗殺される。没年61歳。

1958年
【死去】横山大観【日本画家】

“朦朧体”と呼ばれる独特の画風を確立した近代日本画の巨匠。また、数多くの富士山を描いたことでも有名な画家でもある。茨城県出身で、1889年に東京美術学校日本画科第1回生として入学。岡倉天心、橋本雅邦から指導を受け、卒業後の1895年から「大観」を名乗り始める。翌年1896年から東京美術学校助教授となるも、校長であった岡倉天心の排斥騒動が起こり、天心らとともに辞職し日本美術院創設に加わる。1914年に日本美術院を再興してからは、近代日本画の中心人物として活躍した。1937年に第1回文化勲章授与。私生活では無類の酒豪で米を食べない偏食家として知られたが、特に大病することもなく89歳まで生き、1958年2月26日に死亡。その死後、勲一等旭日大綬章を追贈されている。

1966年
【虐殺】「ゴダイの虐殺(ベトナム戦争)」

1966年2月26日、ベトナム戦争で南ベトナムビンディン省タイソン県タイヴィン村アンヴィン集落ゴダイを訪れた韓国陸軍首都機械化歩兵師団が住民380人を全員虐殺。

1976年
【事故死】金城哲夫【脚本家】1963年に円谷プロダクションへ入社後、企画文芸部主任として『ウルトラQ』『ウルトラマン』『快獣ブースカ』『ウルトラセブン』等、円谷プロ創設期の大ヒット作で企画・脚本を担当した人物。1969年に同プロを退社し故郷の沖縄に帰郷。1976年2月23日に自宅2階の作業場に泥酔状態で上がろうとした際に転落。3日後の26日に脳挫傷で死亡した。没年37歳。
1993年
【テロ】「ニューヨーク世界貿易センタービル爆破事件」

1993年2月26日、ニューヨーク世界貿易センタービルの地下駐車場でアルカイダが起こした爆弾テロ。このテロにより6人が死亡、1,040人が負傷した。事件後、ムハンマド・サラーマーを含む4人が逮捕された。

1996年
【急死】大藪春彦【小説家】

『野獣死すべし』『蘇える金狼』等の代表作で知られるハードボイルド小説の大家。『暴力租界』執筆中に東京都世田谷区の自宅で肺炎のため急死した。没年61歳。

2002年
【死去】成田亨【デザイナー・彫刻家】

日本を代表する特撮キャラクター、ウルトラマンをデザインした人物。彫刻家として活動後、円谷特技プロダクションの契約社員となり『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』等の作品で美術監督を務め、ウルトラマンや怪獣のデザインを担当した。晩年は幼少期にゆかりのある尼崎市の武庫川の土手にウルトラマン、ウルトラセブン、突撃!ヒューマン!!の三位一体像の建立を志したが、2002年2月26日に多発性脳梗塞で死亡した。没年72歳。

2004年
【事故死】【航空事故】ボリス・トライコフスキ(Boris Trajkovski)【政治家/マケドニア】

「ユーゴスラビア紛争」後にマケドニア共和国大統領(1999年〜2004年)となった人物。1992年、同国がユーゴスラビア連邦からの独立宣言をしたことをきっかけに政治活動を開始し内部マケドニア革命組織・マケドニア国家統一民主党へ入党。党外務委員会委員長、キセラ・ヴォダ区長顧問を経て、1998年に外務副大臣に就任。翌年、マケドニア共和国大統領に就任。2001年「マケドニア紛争」が勃発するも同年に停戦に成功。2004年2月26日、ボスニア・ヘルツェゴビナに向かう途中、搭乗していた政府専用機(ビーチクラフト200スーパーキングエア、機体記号Z3-BAB)が墜落し死亡。没年47歳。

2007年
【夭折】【競技中事故死】坂谷真史【競艇選手】

1999年11月11日に三国競艇場でデビューし、2007年1月のGI全日本王者決定戦優勝戦で3着になる等の好成績を収めた福井支部期待の若手競艇選手であった人物。2007年2月26日に住之江競艇場で開催された大阪府都市競艇組合主催GI第50回住之江周年記念「太閤賞」競走6日目(最終日)第3レース一般戦において転覆し、後続の船に巻き込まれ事故死。死因は脳幹裂傷及び頭蓋骨骨折の合併症。26歳没。競艇史上28人目の殉職者となった。なお、妻の佐々木裕美も競艇選手である。

2007年
【死去】高松英郎【俳優】

1960年代から2000年代にかけて活躍した俳優。1947年、鎌倉アカデミア演劇科に入学、1951年「第5期ニューフェイス」として大映東京撮影所に入社。1953年映画『怒れ三平』でデビュー。1958年の映画『巨人と玩具』で注目され『黒の報告書』(1963年)で大映を退社。その後は『柔道一直線』(1969年)、『雲のじゅうたん』(1976年)といったドラマで活躍。晩年も俳優として活動を続け、2007年2月26日に心筋梗塞で死去。没年77歳。

2012年
【死去】米田一典【バレーボール選手・指導者】

1973年の法政大学在学中に日立女子バレーボール部のコーチとなり、1975年に監督へ昇格。同チームを常勝チームに育て上げた人物。1974年からは全日本女子チームのコーチにも就任し、山田重雄監督の元で1976年モントリオールオリンピックの金メダル獲得に貢献。1984年からは女子バレーボール日本代表監督に就任し同年のロサンゼルスオリンピックで銅メダルに導いた。全日本女子監督成績通算204勝108敗。2011年に活動休止に追い込まれた四国Eighty 8 Queenを仙台に移転し、仙台ベルフィーユを立ち上げ震災復興に乗り出したが病気のため秋には退任。翌年2月26日に肺ガンで死亡した。没年61歳。

2013年
【死去】嶋村カオル【声優】

TBS『ランク王国』のラルフ役で知られる声優。乳ガンで46歳没。

2014年
【死去】山本文郎【アナウンサー】1957年にラジオ東京に入社しアナウンサーとして活躍、『テレポートTBS6』『モーニングEye』等の司会で知られるTBSの男性アナウンサー。晩年の1996年10月に退社しフリー転向。2014年2月26日午前2時6分に肺胞出血で病院で死亡。79歳没。