『警察に包囲されたあさま山荘』

1973年2月28日は新左翼組織「連合赤軍」のメンバー5人(坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久)が管理人の妻・牟田泰子を人質に軽井沢の浅間山荘に立て籠もった事件「あさま山荘事件」が終了した日である。
警察が包囲する中、人質の監禁は219時間にも及び、警察が包囲する中で日本最長の事件となった。
また、極寒の状況でテレビ中継されたことでも国民的な注目を集め、民放・NHK併せて90パーセント近くもの視聴率を記録した。
結果的には9日後の2月28日に鉄球で山荘を破壊し、立てこもり犯全員の逮捕という結末となったが、後に映画化された1979年の小説『食卓のない家』を皮切りに、2000年代に至っても数多くの「あさま山荘事件」作品が作られ続けている。
その事実は、日本最長の警察による包囲劇がまた、我々の心に長く住み着いていることの証明であろう。

(WIkipedia Asama-Sansō incidentより使用)

2月28日の不幸

1935年
【死去】坪内逍遥【小説家・劇作家・評論家】

明治時代に活躍した小説家、劇作家および評論家で近代日本文学や演劇改良運動などに多大な影響を与えた人物。大学在学中の1880年にウォルター・スコットの小説『ランマームーアの花嫁』の翻訳『春風情話』を出版。大学卒業後は教育者をしながら1885年に代表作となる評論『小説神髄』を発表。1889年、雑誌『国民之友』に『細君』を寄稿した後、小説執筆を休止。翌年、シェイクスピア、近松門左衛門の研究に着手。1897年、新歌舞伎『桐一葉』などの戯曲を発表。1906年、新劇運動の先駆けとなる文芸協会を開設、以後『役の行者』などの戯曲を執筆。並行して『ハムレット』(1909年)『詩編其二』(1928年)までシェイクスピアの全作品を翻訳。晩年は熱海の双柿舎で過ごし熱海市立図書館の設立に協力。1935年2月28日、風邪と気管支カタルを併発し死去。没年77歳。

1947年
【クーデター】「二・二八事件」

1947年2月28日、戦後台湾・台北市で起きた中国国民党政権に対する不満から起きた暴動。事件は闇タバコを販売していた台湾人女性に対し、中華民国の官憲が暴行し商品と所持金を没収したことに始まる。およそ2万人から3万人の犠牲者を出し暴動は翌月同政権により鎮圧された。

1953年
【社会事件】「バカヤロー解散」

1953年2月28日、衆議院予算委員会において吉田茂首相が西村栄一議員の質疑応答に対し「バカヤロー」と発言。この発言のため同年3月内閣不信任案が可決し衆議院は解散となった。

1964年
【死去】辰野隆【文学者・教育者・随筆家】

日本人としては初の東大フランス文学科教授として知られるフランス文学者。東京生まれ。父は東京駅などを設計した建築家の辰野金後吾。教え子には、三好達治・小林秀雄・中島健蔵・森在昌といった錚々たる人物がいる。また、谷崎潤一郎とは中学時代からの同級生であり友人でもあり、1939年に出版された随筆『忘れ得ぬ人々』の中でも谷崎について触れている。1923年に教授となってから、定年退官するまでの1948年までフランス文学の主任教授を勤め上げた。1960年に東大から文学博士を授与、1962年には文化功労者となった。1964年2月28日に死亡。没年75歳。

1972年
【テロ】「あさま山荘事件」

新左翼組織「連合赤軍」のメンバー5人による立て籠もり事件「あさま山荘事件」が機動隊の突入により終了。坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久の5人全員が逮捕された。その模様はテレビ中継されたことでも国民的な注目を集め、民放・NHK併せて90パーセント近くもの視聴率を記録した。

1986年
【暗殺】【未解決事件】オロフ・パルメ(Sven Olof Joachim Palme)【政治家/スウェーデン】

第33代・第37代スウェーデン王国首相(1969年〜1976年・1982年〜1986年)となった20世紀スウェーデンの政治家。スウェーデン全学連委員長などを経て、1952年にスウェーデン社会民主労働党入党。1957年、上院議員に選出され1963年に無任所相へ就任。1965年に運輸通信相、1967年に教育相となった後、1969年に首相および社会民主労働党党首へ就任。その後、1982年に再び首相に就任。1986年2月28日、路上で何者かに暗殺され死去。没年59歳。事件後、麻薬中毒者であったクリステル・ペターションが逮捕されたが後に無罪となっている。

1994年
【殺人事件】「富士フイルム専務殺人事件」

1994年2月28日、富士フィルム専務であった鈴木順太郎(当時61歳)が暴力団とのトラブルから東京都世田谷区の自宅で暴力団組員・沖野進一(当時29歳)に刃物で刺され死亡した事件。事件後、沖野は逮捕され懲役14年の判決が下った。

2001年
【死去】蟹江ぎん【タレント】

長寿の一卵性双生児”きんさんぎんさん”として話題になった愛知県在住の姉妹の妹。前年1月23日に107歳で死亡した姉・成田きんに引き続き2001年2月28日に老衰で108歳没。

2005年
【死去】飯島夏樹【プロウィンドサーファー】

琉球大学在学中にサーフィンと出会い、アメリカの世界大会にアマチュアとして出場。その後ハワイに移住、日本国内外の大会に出場し1994年に日本人初のワールドカップ年間ランキング32位に入賞。1995年にグアムに移住しマリンスポーツセンターを起業、またウィンドサーフィン専門誌『Hi-Wind』などで執筆活動も行なう。2002年、肝細胞ガンとなり肝移植を受けるため日本に移住するも移植に適合せず、鬱病とパニック障害を併発。以降、執筆活動に専念し小説『天国で君に逢えたら』を出版しベストセラーに。2005年2月28日、同病により死去。没年38歳。

2008年
【死去】江藤慎一【プロ野球選手・監督・指導者・解説者】

社会人野球の日鉄二瀬を経て1959年に中日ドラゴンズに入団。強肩強打の野手兼捕手として1年目からレギュラーに定着。以降長らく同球団の主軸打者として活躍した名選手。1969年シーズンオフに監督の水原繁との不和からトレードを言い渡されるとそれを拒否して現役引退。しかし翌年社会人時代の恩師・濃人渉がロッテの監督に就任すると現役復帰。その年のリーグ制覇に貢献した。1971年に大洋ホエールズにトレードで移籍し、1975年には同じくトレードで太平洋クラブライオンズにプレイングマネージャーとして移籍。1976年にはロッテに復帰し同年末に引退した。現役18年で4球団を渡り歩き、通算2,084試合に出場。2,057安打、367本塁打、1,189打点というめざましい記録を残し、ベストナイン6回、3度の首位打者(1964年、1965年、1971年)を獲得。中日、ロッテというセパ両リーグのチームで首位打者を獲得した史上初めての選手となった(後に内川聖一が達成)。現役引退後は解説者として活動する傍ら、1985年には静岡県田方郡天城湯ヶ島町に「日本野球体育学校」を開校。後進の育成に努めた。2001年には自由連合から参議院議員選挙に比例代表区から出馬したが落選。2003年夏に脳梗塞で倒れて以降、寝たきりの療養生活を送り、2008年2月28日に肝臓ガンで死亡。70歳没。死後の2010年に野球殿堂入りを果たした。

2011年
【死去】与那嶺要(Wallace Kaname Yonamine)【プロ野球選手・監督/アメリカ合衆国】

ハワイ・マウイ島に生まれ、1947年にアメリカンフットボールのサンフランシスコ・フォーティナイナーズに入団。数度の怪我で現役引退し、1950年に野球に転向。マイナーリーグに所属していた1951年に読売ジャイアンツにスカウトされて来日を果たし、日系二世のアメリカ人ながら読売ジャイアンツの主力選手として活躍した伝説的なプレイヤー。現役生活12年で3度の首位打者を獲得(1954年、1956年、1957年)した巧打者であり、リーグMVP1回(1957年)とベストナイン7回(1952年~1958年)に輝くリーグを代表するスター選手だった。また、ドラッグバント、スライディング、スライディングキャッチ、ベースランニング等のアグレッシブな技術を本場アメリカから持ち込んだ最初の人物であったとされ、近代日本野球の基礎を築いた一人とされている。1960年末に長年のライバル関係であった川上哲治が監督に就任すると翌年から中日に移籍。1962年に現役引退後は1963年から中日のコーチとなり、1972年からは監督に就任。川上に激しいライバル心を燃やし1974年に巨人のV10を阻むリーグ優勝にドラゴンズを導いた。1977年に退任後はロッテ、巨人、南海、西武、日本ハムでコーチを歴任。なお、指導者としては現役引退後サラリーマン生活を送っていた権堂博をコーチとして招聘し、名指導者としての道を開いたことでも知られている。1988年シーズンを終えるとアメリカ・ハワイに帰国。1994年にアメリカ人選手として唯一となる野球殿堂入りを果たした。晩年はホノルルのシニアホームで悠々自適の生活を送り、2011年2月28日に前立腺ガンで死亡。没年85歳。

2013年
【事故死】【夭折】小関英吾【オートバイレーサー】

2000年代に活躍したモトクロスレーサーで日本のフリースタイルモトクロスの先駆者として知られる人物。2005年フリースタイルモトクロスの世界大会「Red Bull X-Fighters」に日本人として初参加。2009年、同大会で総合3位に入賞。2013年2月28日、練習場でバイクを運転中に転倒し死去。没年34歳。

2013年
【社会事件】「ローマ教皇ベネディクト16世生前退位」

2013年2月28日にローマ教皇ベネディクト16世が自らの意思で退位。存命中の退位は第192代ローマ教皇ケレスティヌス5世以来598年ぶりとなった。

2013年
【強盗殺人】【少年犯罪】「吉祥寺女性刺殺事件」

2013年2月28日、武蔵野市吉祥寺の路上でアルバイトの山田亜理沙(当時22歳)が少年2人に刃物で襲われ死亡し金品を強奪された事件。犯人は飯塚滉暉(当時18歳)、今井アレックス(当時17歳)の2人で逮捕後、無期懲役が確定した。

2014年
【死去】まど・みちお【詩人・作詞家】

『やぎさんゆうびん』『一年生になったら』『ぞうさん』『ふしぎなポケット』等、昭和期を代表する童謡の作詞を手がけた詩人。1994年に国際アンデルセン賞作家賞を日本人として初めて受章。2014年2月28日に老衰で死亡。没年104歳。