2月29日

2月29日の不幸

1年
【死去】吉川みき【ミュージシャン・エッセイスト】

1990年代から2000年代初頭にかけて活躍したシンガーソングライター。1991年にバンド「B#」でデビュー。1996年からソロ活動を開始。2000年に重症筋無力症を発症、2002年に闘病生活を綴った『病床からのIN MY LIFE』を出版。その後、エッセイ連載を執筆しながら2008年にカバーアルバム『Reunion』を発表。2012年にT細胞大顆粒リンパ球性白血病を発症し活動を続けるも2016年2月29日に死去。没年51歳。

1212年
【死去】法然【僧】

平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての僧で浄土宗の開祖として知られる人物。
叔父の僧侶・観覚に引き取られ、1145年に比叡山延暦寺へ向かい天台宗の僧・源光に師事。1147年に皇円の下で得度、同年に天台座主行玄から授戒を受ける。1150年から叡空の下で修行を積み法然(法然房源空)の房号を授かる。1175年に浄土宗を開宗。1198年に『選択本願念仏集』を発表。1204年に「承元の法難」が勃発、その後1207年に後鳥羽上皇の怒りを買い専修念仏停止が決定、還俗させられ門弟4人と親鸞らとともに流罪となる。流罪から10カ月後の同年12月に赦免され1211年に入洛が許可される。1212年2月29日に死去。没年78歳。

1868年
【死去】ルートヴィヒ1世(Ludwig I.)【王族/ドイツ】

19世紀ドイツでバイエルン王国第2代国王(1825年〜1848年)となった人物。初代バイエルン王 マクシミリアン1世の息子として生まれ、1825年にマクシミリアン1世が死去したことで王位を継承。即位後はヴァルハラ神殿建設やドイツ初の蒸気動力鉄道バヴァリアン・ルートヴィヒ鉄道を敷設。1821年に勃発した「ギリシャ独立戦争」を支持し1832年に次男オットー・フリードリヒ・ルートヴィヒを初代ギリシャ国王オソン1世として即位させる。「1848年革命」に愛人ローラ・モンテスとのスキャンダルにより退位しマクシミリアン2世へ譲位。1868年2月29に死去。没年81歳。

1927年
【事故死】【航空事故】後藤勇吉【飛行機操縦士】

大正から昭和初期の航空黎明期に活躍した飛行機操縦士で日本で初めて日本一周飛行を行なった人物。幼少期から機械に関心を持ち1914年に宮崎県から上京し三井物産・自動車部門の工員となる。その後、飛行士・白戸栄之助と出会い助手となる。1916年に帰郷し独学で飛行訓練を行ない直線飛行に成功。翌年に再び上京し帝国飛行協会操縦生試験に合格。合格後は陸軍依託操縦生として飛行訓練を受け、1919年に帝国飛行協会技師となる。1920年に帝国飛行協会主催の第1回懸賞飛行大会に参加し高度飛行および高等飛行で優勝。1921年に航空法が施行され、日本第一号の一等操縦士・一等飛行士の免許を取得。翌年に平和記念東京博覧会で新聞記者を乗せた日本初の旅客輸送を行なう。1923年に日本航空株式会社の運行責任者に就任、1924年に日本初の日本一周飛行を行なう。1926年に日本初の海外郵便物空輸である大阪・京城・大連の空路を開拓。1927年に宮崎から大阪へ日本初の生鮮農産物空輸を行なう。同年に太平洋横断無着陸飛行が計画されるも訓練中であった翌年2月29日に墜落死。没年31歳。後藤の死により計画は中止となった。

1944年
【死去】ペール・スヴィンヒュー(Pehr Evind Svinhufvud)【政治家・弁護士/フィンランド】

20世紀フィンランドの政治家でフィンランド首相(1917年〜1918年・1930年〜1931年)および大統領(1931年〜1937年)となった人物。大学卒業後、弁護士となり1892年に法案作成委員会メンバーに選出される。1907年に議会代議員へ選出され初代議長に就任。1914年の「第一次世界大戦」中にロシアの政策に反対しシベリアへ流刑となる。1917年に「2月革命」が勃発し帰国。同年に上院議長となりフィンランド初代首相へ就任。1918年に国家元首代行に就任。その後、再び首相を務め1931年に大統領へ就任。引退後は政治活動から離れ、1944年2月29日に死去。没年82歳。

1960年
【自然災害】「1960年モロッコ・アガディール地震」

1960年2月29日、モロッコ・アガディール沿岸でマグニチュード5.9の地震が発生。この地震によりアガディール市街が壊滅し12,000人〜15,000人が死亡、およそ12,000人が負傷。

1968年
【死去】西田天香【宗教家・社会事業家・政治家】

明治末から昭和にかけての宗教家・社会事業家および政治家で神道系新宗教の一燈園創始者として知られる人物。1893年に北海道へ開拓主監として入植し北海道亜麻製線株式会社を設立するも事業に失敗し、1896年に左足中指を切り落とした後滋賀県へ帰郷。帰郷後に京都の南禅寺や建仁寺で禅の修行を行ない1904年に一燈園を創始し活動を開始。1917年に劇作家・倉田百三が発表した『出家とその弟子』がベストセラーとなったことで国内で一燈園が知られることに。1919年に機関誌『光』を刊行。1921年に自身が発表した『懺悔の生活』がベストセラーとなる。1947年に参議院議員へ選出され緑風会へ参加。1953年に参議院議員選挙に落選し翌年に一燈園代表者を辞任。1967年に滋賀県長浜市の名誉市民第1号となる。 1968年2月29日に死去。没年95歳。

1972年
【自然災害】「1972年2月八丈島東方沖地震」

1972年2月29日に東京都八丈島東方でマグニチュード7.0の地震が発生。被害地域となった八丈町ではがけ崩れなどが起こるもこの地震による死者・負傷者は出ていない。

1980年
【ソウルの春】「韓国公民権回復」

1980年2月28日に崔圭夏(チェ・ギュハ)大統領が公民権回復措置を発表したことで1979年10月26日の「朴正煕暗殺事件」から政治活動を規制されていた金大中ら反体制派の公民権が翌29日に回復。

1980年
【威力業務妨害】「壱岐イルカ事件」

1980年2月29日に長崎県壱岐市の無人島・辰の島でアメリカの動物愛護団体地球共存協会会長でグリーンピース財団に所属する活動家デクスター・ケイトが、駆除のために捕獲されていたイルカを囲っていた網を切りおよそ300頭のイルカを逃したことで逮捕された。その後、デクスターは威力業務妨害で懲役6カ月・執行猶予3年の有罪判決となった。

2004年
【2004年ハイチクーデター】「ハイチ大統領ジャン=ベルトラン・アリスティド国外脱出」

2004年2月29日にハイチのジャン=ベルトラン・アリスティド大統領が国内の反乱が激化したことで中央アフリカへ脱出。

2004年
【死去】鏡里喜代治【大相撲力士】

昭和に活躍した大相撲力士で第42代横綱となった人物。大相撲力士・粂川から勧誘され粂川部屋へ入門し1941年に初土俵を踏む。1942年に双葉山相撲道場へ移籍。1949年に前頭筆頭となり1950年に関脇、大関へと昇進し1953年に横綱へ昇進。1958年に生涯戦歴415勝189敗28休(50場所)で引退し一代年寄として鏡里を襲名。1970年に立田川部屋を創立。1988年に日本相撲協会を停年退職し退職後は不動産経営などを行ない、2004年2月29日に死去。没年80歳。

2004年
【死去】渡辺範彦【ミュージシャン】

昭和に活躍したクラシッククラシックギター奏者。8歳からギターを学び、クラシックギター奏者の松田晃演や作曲家の真鍋理一郎などに師事。1965年から2年連続で日本ギターコンクールに入賞し1967年に初のリサイタルを開催。1969年にパリ国際ギターコンクールで優勝、翌年にヨーロッパ各地で演奏会を開催。同年に『渡辺範彦-珠玉のギター小品集』を発表。1975年からNHKのギター講座『ギターを弾こう』の講師を務める。その後は演奏活動から遠ざかり2004年2月29日に肺ガンで死去。没年56歳。

2012年
【急死】デイビー・ジョーンズ(Davy Jones)【ミュージシャン・俳優/イギリス】

20世紀アメリカで活躍したイギリス出身の俳優・ミュージシャンでロックバンド「ザ・モンキーズ」のリード・ボーカルとして知られる人物。1961年に俳優養成所で働きながら役者デビューしBBCの『モーニング・ストーリー』に出演。1964年にミュージカル『オリバー!』に出演しアメリカ公演のため渡米。1965年にコルピックス・レコードから歌手デビューしソロアルバム『David Jones』を発表。同年に音楽業界紙『デイリー・ヴァラエティ』のオーディションへ参加・合格し1966年に「ザ・モンキーズ」としてデビュー。『デイドリーム・ビリーバー』(1967年)といったヒット曲を発表するも1970年に解散。解散後の1971年にソロアルバム『Davy Jones』を発表。1975年に「ドレンツ、ジョーンズ、ボイス&ハート」を結成しアルバム『素晴らしき門出』を発表。1970年代後半からはイギリスへ活動の場を移しミュージカルなどにも出演。1980年代から再びアメリカで活動を行ない、1986年に「ザ・モンキーズ」を再結成。その後は俳優やソロシンガーとして活躍するも2012年2月29日に心臓発作で急死。没年66歳。

2016年
【死去】ギルバート・R・ヒル(Gilbert Roland “Gil” Hill)【警察官・俳優・政治家/アメリカ合衆国】

20世紀アメリカの警察官、俳優、政治家で『ビバリーヒルズ・コップ』シリーズの警部役で知られる人物。アメリカ空軍軍人を退役後、デトロイト警察署の警察官を経て1969年に刑事へ昇進。翌年に殺人課へ配属さ「アトランタ児童殺人事件」などの功績からアメリカで注目を集める。1982年に殺人課担当の警部となり、1984年、1987年、1994と映画『ビバリーヒルズ・コップ』シリーズにダグラス・トッド警部役として出演し人気を博す。1989年に指揮官へ昇進し同警察署を退職。退職後はデトロイト市議員に選出される。その後、俳優業は行なわず2016年2月29日に肺炎で死去。没年84歳。